2016.10.04

【山内研っぽい1冊】佐伯胖『理解とは何か』

ブログ更新がすっかり空いてしまい、失礼をいたしました。
大学院は8月9月が夏期休業期間で9/26から秋学期が始まっています。私たち修士1年の学生は自分の研究に加えて8月〜9月上旬:夏合宿とそれに向けた準備(フィールドワークの調整、古典の読み込み)、9月中旬:学会への参加 といった形で夏休みを過ごしました。その様子も機会があればぜひ紹介したいと思います。
皆さんはどのような夏を過ごされたでしょうか...?


さて、残すところわずかとなってきた「山内研っぽい1冊」。
このシリーズでは鞄の中に入っていたら「もしかして山内研の人ですか?」と言われてしまうような1冊を紹介しています。今回は認知科学者の佐伯胖氏が編集し、各分野の著名な研究者が執筆している『理解とは何か』をご紹介します。


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「理解できた?」と当たり前のように私たちは「理解」という言葉を使いますが、「理解している」とはどういうことか...?
実はかなり難しい問題だということに、本書のタイトルを見た瞬間に気付かされます。そして本書を読み終わった後に「理解とは何か」ということに対する明確な答えを手に入れることは残念ながらできません。


本書は5章から成っています。
様々な専攻の方が「理解」について語る、認知科学寄りながらもやや学際的な構成です。


1章は科学思想を研究されている村上陽一郎氏。
これまでの科学において「理解」がどう作られ、どう変わってきたかを紹介します。新しい科学的発見がそれまでの常識をひっくり返す瞬間を考えてみると、理解はその時々の状況に依存するのではないか、という問題提起がされます。


2章では代数学の研究者で数学教育に取り組まれた銀林浩氏が、算数・数学が「できる」ことと「わかる」ことの関係について論じます。
小学校低学年の子どもは「できる」ことを重視するが学年が上がるにつれて「わかる」ことが気になってくる。それらは人が物事をどうイメージするのかと関連しているのではないかと言います。


3章担当は認知科学、学習科学の研究者三宅なほみ氏。
彼女の博士論文を元に人の理解がどう作られ、どう揺さぶられて再構成されるか、理解の過程で他者がどのように関わっていくかが細かく描写されています。


4章は米心理学者マイケル・コール氏による「書くことの起源」や「アルファベットの習得」から見た理解の話です。
IQは通常なのにアルファベットが理解できない子どもの事例を通じて理解の多様性について探ります。


5章は編者佐伯胖氏が、理解の研究史を紹介します。
「理解」の研究はピアジェの頃から始まったとされますが、その後知識・思考・行動といった様々な概念が下支えとしてあってようやく初めて理解の研究が出来るようになったと佐伯氏は指摘します。また「理解」しているかをどのように測るかも長年の課題として残っていると言っています。


このように、「理解」という私達が何気なく使っている言葉でも、
 ・真正面から迫ることは実は難しく
 ・様々な先人たちの努力があって初めてその意味が少しづつ見えてくる
 ・そして研究が進んだからといって「理解とは何か」の答えは分からず逆にますますよくわからなくなっていく、

ということがこの本を読むとじわじわと伝わってきます。
「理解」って奥深い...(月並み)


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山内研が専門とする領域の一つに教育工学という分野があります。
教育工学は学習活動に対する支援を行うことが重視されますが、それと同時に研究としてそれを成り立たせることが重要です。


研究を行うにあたって求められることの一つに「用語・概念をきちんと定義する」ということがあります。今回取り上げた「理解」もそうですが、他にも「学力」や(自身の研究の場合では「学び方」など)とは何か?を説明する必要があります。
そうした用語を説明しようとすればするほど、理解しようとすればするほど分かったような分からないような気分になっていくものだ...ということを感じる毎日です。


そうした研究の厳しさ、楽しさを感じるのに(勿論、理解とは何かを考えるのにとても良い本です)オススメな1冊です。


【根本紘志】

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