2016.04.03

【本年度を振り返って】博論執筆の物語

Ylab2015年度最後のブログ、D3佐藤が担当します。

1年前、私は博士課程に再入学しました。
自身の博士論文のテーマである「物語」的に振り返ってみると、語り手の私に「学生」という属性が再び加わったことと、博論という物語の話者に再びなったということでしょうか・・・。

「妻」であれば夫や親戚、「母」であれば子どもやママ友や学校の先生、「教員」であれば学生や同僚・・・語りというものは、想定される聞き手により、自ずと語る物語が規定され部分があります。日々の忙しさに紛れ、望まれる物語を淡々と語っていくことにすっかり慣れてしまった私にとって、再び「学生」として無から物語を生み出す作業はとても苦しく、私の人生の物語においてはありがたくも辛い一年でした。


今振り返ると、大きく2つの心の持ちようが欠如していたのかな、、、と反省しています。

1.思考すること
博士論文という壮大な物語を書くことは、初めてかつ未知なわけで、何が望まれ、想定されるのか分かりませんでした。
今となっては、望まれ想定される内容は無く作りあげること、無から語るために思考をめぐらさなくちゃいけない、そのために思考のモードを変えることが必要だったのだと思います。
後輩の博士論文を、ただ面白い!とか主張が格好いい!とかではなく、どのように博論という物語の世界を「無の状態」から作っていったのか、過去のゼミでの様子を思い起こし、物語を紡ぐ過程とリンクさせながら読ませて頂くことが大きな助けとなりました。何よりも先日の春合宿での博士号取得3名のセッションもとても参考になりました。

2.覚悟を決めること
私のテーマは、幼児がメディアを使用するもので賛否両論のある領域です。
過去一年在籍した就職先で、保育現場あがりの先生の思い(とても素敵な思想)が染み付いて、博士課程に再入学した頃、実は子どもの育ちに自身の研究が必要ないかもと考えるようになっていましたし、もはや自分のやっていることが嫌いでした。つまり、物語(ナラティブ)研究では体験の意味を作り上げることがとても重要なのに、自分はそれが出来ていないという大きな矛盾を抱えてました。
もちろん指導教官にはお見通しで、研究での主張に対し揺るぎない信念を作り上げ、たとえそれが大きな反論を産んでも刺し違える覚悟をしなくちゃいけないという心の持ち方、「覚悟」することを教えて頂きました。

博論という物語を覚悟した上で紡いでいくことで、大げさかもしれませんが、見るのが嫌でしょうがなかった自分の主張が、今では本当に重要で大切で、多くの人に広めていきたいものになりました。一次審査を経て、ようやく自分の研究の必要性が見えてきた気がします。


ここからは私的な物語ですが・・・
「母」としての語りに対し、全て反抗的に返してくる息子が、「学生」という立場でもがき苦しみ、愚痴る私の語りには、とても優しく返してくれたのが何よりも嬉しかったりしました。怪我の功名?苦あれば楽あり?とにかく明るい一節が生まれたのでした。

あと1年の学生生活。現職の大役や家庭との両立が益々困難になりそうな予感がありますが、博論執筆という物語が途中で終わらぬよう、最終章まで書き上げていきたいと思います。

佐藤朝美

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