2015.11.12
こんにちは、随分と寒くなってきましたね。
私も先日、体調を崩してしまいましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
M2の青木です。
今回のテーマである「私の20%の過ごし方」ですが、
私は、学部のときから行っている学習支援活動について書かせていただこうかと思います。
私の場合、学部時代は、児童養護施設で生活している中高生、大学院の現在は、高校を中退して高卒認定を目指している子たちの勉強をみています。
ですので、学習支援活動といっても、家庭教師や塾の講師とは違い、いわばボランティア的な関わりをしていました。
勉強をみているといっても、系統だてて勉強し成果を重視する学習塾とは違い、
おしゃべりすることを通して関係性をつくったり、テスト前などには一緒に勉強したり、体育祭前には一緒に運動したり、、、そんな感じで楽しくやっています。
現在の研究と、この活動は、ある意味乖離があるようにみえるかもしれませんが、
根底にある考えとしては通じるものがあると思っています。
学部時代に一緒に勉強していた子に言われた言葉で、印象に残っているものがあります。
「なんで、お金ももらえないのに毎週ここに来ているの?」
ボランティアにせよ、教育にせよ、教える側と教えられる側という構造、つまり、どちらかが受益者であるという構造があります。そのことを敏感に感じ取った一言なのでしょう。
ボランティアや教育はかくあるべし、ということは言うつもりはありませんが、
この構造を子どもが感じ取ってしまうのは少し寂しいな、とも思います。
個人的には、子どもも大人も楽しいと思える時間を共有できればいいな、と思っています。
そんな空間の共有からできた人と人とのつながりが、いつか困ったときに助け合うことに繋がるかもしれない。
(それを人はボランティアと呼ぶのかもしれない。)
そんな空間の共有からできた人と人とのつながりが、人生の学びとなっていくかもしれない。
そんな福祉や教育も、あってもいいのではないかな、と思ったりします。
この考え方は一般的な子ども全体に通用するものではないのでしょうが、そんな環境もあってもいいと思います。
そしてこの考えが今の研究にもつながっているのだと思います。
今でも、この言葉を思い出すと、こんなことを言わせてしまった自分の力不足が嘆かわしくなりますが、
その現場での反省もいかしつつ、自分にできることとして、研究をしっかり頑張っていきたいと思います。
それでは、次は逆瀬川さんです。
ごきげんよう。
【青木翔子】