2015.02.08

【2年間を振り返って】孟母三遷

こんにちは。山内研修士2年の青木です。
先月末に修士論文口頭試問が終わり、今はずっと先延ばしにしてきた自動車免許の取得のために教習所に通う日々です。同時に、来年度から所属することになる業界について少しでも知識をインプットしようと、隙間を見つけては情報収集をしています...

さて、今年度最後のお題は「振り返り」ということで、修士2年間を振り返ってみたいと思います。

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◯1年目:模索→焦点化
1年目の初めは、「大学院で研究する」ということがどのような活動をすることなのか、正直はっきりとわかっていなかったように思います。様々な領域から学生がやってくるこの学府にとってそれは必然なのかも知れません。とにかくそんな状態なので、その進め方に慣れることに精一杯でした。僕はもともと理工系の研究室に所属していて、指導教員と一対一の相談で研究が進んでいくスタイルに慣れていたこともあり、まずは山内研のようなゼミとファシリテーターとの相談を中心に研究が進むというスタイルを受容することから始まりました。
研究の進め方に慣れてくると、次は自分がやりたい研究は何なのかということを自問自答する日々が続きました。もともと学習について学部時代にあまり(というかほとんど)学んでこなかった自分にとって、日々流れこむ知識は全てが新鮮です。昨日まで考えていたやりたいことが、今日読んだ文献によって揺さぶられるということが多々起きました。そのうち、読んだ文献に引っ張られて自分が何を研究したいのか、わからなくなって混乱してしまう時期もありました。自分の今やっている文献レビューは、果たして自分のやりたい研究につながっているものなのかどうなのか、ということを毎日ぐるぐる考えていました。
1年目の冬、ひと通り土台となる理論や先行研究のレビューを進めてきたころ、実際の現場で学習者にヒアリングをして、自身の研究の関心の領域と照らしあわせて問題点を焦点化する段階に入りました。研究室の諸先輩方のご協力の下、複数の学校で放課後にさまざまな高校生とお話させていただいた結果、実際に高校生の抱えている問題を受けて、今まで調べてきたことに濃淡がついていく感覚を覚えました。もっと掘るべき場所と、切り捨てる場所がなんとなく見えてきたように思い、ここで「自律的な学習」から「学習の計画性」「先延ばし」という研究の軸が見え、研究計画がある程度形になりました。


◯2年目:実装→実践→記述
正直、焦点化した問題はかなり根が深くレビューも不完全な状態だったのですが、自分のとった問題点の解決方法が「システムによる介入」である以上、開発物を作らないことには先に進まないので、夏から秋にかけてはひたすら実装作業に続きました。しかし、学部時代に経験したことのないスケールの開発で、さらにWeb系の使用したことのない言語もあり、その習得が必要だったので、概形が完成するまでにどれほどの時間を要するかなかなか検討がつきませんでした。知り合いのエンジニアの方のご協力も受けながら、付け焼刃的ではあるものの漸進的に進めていった結果、操作性はともかく機能面に関してはなんとか形になりました。
同時に、システムの効果を測定するための評価実験についてもその協力者を検討していたのですが、夏合宿で訪れた隠岐島の方々のご好意によりそこで評価実験をおこなうことになりました。評価実験をおこなう際には、種々の困難もありましたが、結果として非常にリッチなデータが得られる結果となりました。
ここまでの段階で、修士論文提出までは約一ヶ月。かなり時間的にハードなことは目に見えていましたが、とにかく書き進めるということを念頭に置いて残り時間を常に意識しながら「暫定的な完成」を数回経て、修士論文の完成に至りました。


◯満足のいく研究のために
以上、事実をつらつらと書いてみましたが、ここから少し振り返ってみて、もっとこうすればよかったかな、と思うことを書いてみようと思います。

【レビューを加速させるために】
学府の学生はほとんどそうですが、他領域からやってきた人間にとって、新しい領域で学術研究レベルの知識を修得することは非常にハードルが高いと思います。もちろん、入試までにある意味「教科書」的な必読書はある程度読んできましたが、「読み」を加速させるための既有知識量としてはまだ不十分なものだったように思います。今になって思うのですが、最初読むのが辛かったハンドブックが、今ではスムーズに読み進められたりするのは、やはり専門的な用語およびその語が用いられる領域について「出会う」経験を積んだからだと思います。まず初めの時期はそのような「出会う」機会を増やすために、専門書や論文を読む合間に、学部生向け、一般層向けの書籍(新書、有斐閣アルマの赤丸のもの、放送大学テキストなど)を読んでおいてもよかったかな、とも思います。

【とりあえずつくってみる】
教育工学研究では「開発」「実践」を扱う研究が多く、研究室の修士生も僕を含めて多くの方がそれをおこなってきていますが、全てがうまくいく結果に結びつくとは限りません。少しでも期待する結果に結びつけるためには、可能であればまだ早いと思う段階でも何かしらつくってみても良いのかなと思います。もちろん、何事にも「プレ」はすべきだということは各所で言われて来たことではありますが(僕の場合は十分にできませんでしたが)、それよりももっと早い段階で一度かたちにしてみる、また、スキル等の関係で十分につくれなくても、かなり具体的に「つくったものがどのようなものになるのか」について考えておくことは無駄にならないように思います。もちろん、レビューとの優先順位は考えながらですが。

【だれがどうなるべきなのか】
これもあたりまえのことなのですが、対象となる学習者の像をできるだけ具体的にイメージすることが重要だと思います。そのために、研究対象となりそうな方々に会ってお話をすることはもちろん重要ですが、できれば可能な限り多くの幅広い方々とお話をするべきだと思います。やはり時間の問題はありますが、お話をした方の数だけ、文献からは読み取れないような一人ひとりの生活背景やマインドを伺うことができます。そこから常に自身の研究との接続を考えてブラッシュアップしていくことが、より質の高いアウトプットに結びつくのではないでしょうか。


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最後に、総合的に俯瞰して実感したのは、研究は常に暫定解しか出せないということです。
自分にとって新しい発見が生まれる度に、理想のゴールが少しずつ前に移動していき、本当に納得できるものにたどりつくことは難しいことを実感しました。しかし、その暫定解と根気強く向き合っていくことが修士研究を進めていく際の真摯な態度ではないかとも思いました。
別の領域に移動すれば別の領域の慣習があり、その中での学びがあります。いろいろな場所でいろいろな学習者に会えばまた、その中でしか得られない学びがあります。赴いた場所、領域でその都度自身の考えを再構築していくことが、研究自体にとっても僕自身にとっても理想的なものにつながるのかなと思いました。


なんだか長くなりましたので、このあたりで終わります。今春からは社会人として、また新たな領域で精進したいと思います。


青木智寛

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