2014.08.23

【学者紹介】佐伯胖先生(東京大学名誉教授)

暑い日が続いておりますが,いかがお過ごしでしょうか.
こんにちは.M2の吉川遼です.

例年この時期の山内研究室では,ゼミ生が9月の夏合宿での学者紹介に向けてそれぞれが自分の担当の学者の人となりから理論,業績などをまとめる作業に追われています.

山内研究室に限らず,この学際情報学府に入学する人たちのバックグラウンドは非常に多様であるため,教育や学習に関心はあれど,それらの領域を専門としていなかった学生も多くいます.

教育工学,そして学習環境デザイン論の領域で研究を進めるにあたり,デューイやヴィゴツキー,ウェンガーやピアジェといった教育や学習,認知科学において多大な功績を残した大家の足跡を今一度踏みしめることで,現在の教育・学習に関する研究領域の趨勢に至る経緯やその連関,そして自身の研究との関連について押さえておくことの出来るこの夏合宿は,自身の研究に対する見識を広げる上でも非常に貴重な機会です.

今年でこの夏合宿に参加するのも3回目となり,僕にとってはややエキストラ色が強くなってしまいましたが,同じ学者であっても年度や学生によって発表の切り口が異なり,その分学者に対する認識がより広く,より深くなるので,今から夏合宿が楽しみです.

第1回目の今回は,これまで教育工学ならびに認知科学など幅広い分野でご活躍されている東京大学名誉教授・信濃教育会教育研究所長の佐伯胖(さえき・ゆたか)先生についてご紹介して参りたいと思います.

■10年単位の「変身」

今でこそ,近年のワークショップ研究の隆盛に伴い「まなびほぐし(アンラーン)」といった言葉が注目されがちではありますが,佐伯先生のご研究の変遷を辿っていくと非常に興味深い流れを見てとることができます.

◦1960年代... 教育にかかわる仕事をはじめる
◦1970年代... 「行動科学」や「意志決定論」の研究と教育
◦1980年代... 日本での認知科学研究振興に貢献
- 日本認知科学会設立
- 認知科学,教育研究への状況論の浸透と展開
- 翻訳『状況に埋め込まれた学習』,『プランと状況的行為』
◦1990年代...教育とコンピュータとの新しい関係性の模索
◦2000年代前半...日本の幼児教育史の統合的検討
◦2000年代後半...「まなびほぐし」ワークショップ研究・実践

佐伯先生ご自身が,研究対象の移ろいについて「10年単位の『変身』」と仰っているように,その当時の認知科学ならびに教育関係の動向にあわせ,ご自身の研究を進めていらしたことが,この年表からも伺うことができます.


■1980年代における状況的学習論と取り巻く環境

佐伯先生が翻訳されたLave, Wengerの『状況に埋め込まれた学習』は正統的周辺参加論(LPP)と実践共同体との関わりについて,具体的には実践共同体に参加することを通してアイデンティティを確立していく過程を学習のプロセスとして捉え,学習が状況に埋め込まれているとする状況論的学習観を日本に紹介された,という点においても,当時の日本の教育界の先頭に立ってご活躍なさっていたことが分かります.

佐伯先生の著書や関連する文献を読み解いていくと,この本が出版された1980年代当時の教育を取り巻く各学問の状況も明らかになります.

まず認知科学の分野においては1980年代よりヴィゴツキー心理学が「人は現実の社会の中で具体的な実践を通してどのように学習していくのか」という切り口から「学習や発達をもともと社会的な関係の中で生まれ,育まれるもの」と捉える社会構成主義的学習観が発展していきます.この中でヴィゴツキーは「最近接発達領域(ZPD:人は外界のさまざまな「媒介」(道具,記号)の資源を利用しており,それらの資源の活用を他人との社会的相互交渉によって内面化し,言語化することで高次の思考の手段にしている)」を提唱しており,この状況論的な学習観がレイヴ・ウェンガーの正統的周辺参加論へと繋がっていきます.

さらに当時はJ.ギブソンの生態心理学やエスノメソドロジーに代表される社会学そして文化人類学など多様な学問領域が認知科学との関連をみせており,状況論的学習観による研究はいわば,諸領域が結集した学際的な運動であったともいえます.


■状況論的学習観と学びのドーナッツ論

この社会構成主義的,状況論的学習観が広がっていく流れの中で佐伯先生は1990年代に学びのドーナッツ論を提唱しています.

この学びのドーナッツ論とは,

学び手(I)が外界(THEY世界:文化,理論,道徳,基準など)の認識を広げ,深めていくときに,必然的に二人称世界(YOU世界:人物,道具,言語,教材など) との関わりを経由する(佐伯 1995)

とするもので,従来の学習観,すなわち学習者個人が頭の中に特定のまとまりをもった知識や技能を獲得する過程を学習と捉える観点を諸悪の根源と見なし,批判するものでした.
この中で佐伯先生は,自身の周辺の世界である"YOU"とのかかわりや"THEY",さらには「文化的実践」への参加を通して子どもが学んでいく学習観を志向すべきだと主張しています.

この学びのドーナッツ論からも,学習が社会や人との関わりの中で学んでいく状況論的学習観を佐伯先生がいかに重要視していたかを伺い知ることができますが,では現代においてこのような学習観はどのような実践に落とし込むことができるのか,その実践の中で学習者は何を学ぶのか,といった問いに対して,近年佐伯先生が取り組まれてきた「まなびほぐし」「アンラーニング・ワークショップ」がキーワードになります.


■まなびほぐしとしての「ワークショップ」

佐伯先生は参加体験型学習方法としてのワークショップが本来目指すべきことは「"しがらみ"を解く」ことである,と主張し,状況論的学習,社会文化的学習としてのアンラーニング・ワークショップの重要性を著書で述べています.

ワークショップという普段とは「ちょっと違う」場所,人そして活動を通して,参加者は自身が普段無自覚のうちに身につけ,習慣化されてしまっている「当たり前」,すなわち文化的・社会的な「型」を参加者が互いにぶつけ合い,崩すことで,あたらしい「型」の可能性を模索し,組み替えていくことができる,と佐伯先生は「まなびほぐし」の場としてのワークショップの可能性について言及しています.

ある講演の中で佐伯先生は,

私が考える勉強と学びの定義とは
◦『勉強』=教えに従って『身につけるべきこと』を身につけること
◦『学び』=自分から『こうありたい』自分になること

と仰っています.この定義からも,佐伯先生が学習に対してヴィゴツキーのZPD,ウェンガーのLPP観に近い考え方を持っている事実が伝わってきます.


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研究対象は認知心理,コンピュータ教育,そしてワークショップと移りながらも,各時代の研究には状況論的学習観がしっかりと通底していることについて,佐伯先生の著書や講演の内容から感じ取ることができます.

佐伯先生のように自身の研究に軸をしっかりと持ちながらも,時代のニーズや問題点に素早く対応できるアンテナの高さ,そしてフットワークの軽さを併せつつ,研究を進めていく姿勢こそ,どの研究者にも求められる研究スタイルなのでは,と今回書き進めていく中でふと思った次第です.

そんな姿に少しでも近づけるよう,日々邁進していかなくてはなりません.

拙文失礼致しました.

吉川遼

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■参考文献
◦佐伯胖(1975)『「学び」の構造』. 東洋館
◦佐伯胖(1995)『「学ぶ」ということの意味』. 岩波書店
◦佐伯胖(2000)あゆみ--東京大学定年退官記念. 佐伯胖
◦佐伯胖(2003)『「学び」を問いつづけて: 授業改革の原点』. 小学館
◦佐伯胖(2004)『「わかり方」の探究 : 思索と行動の原点』. 小学館
◦柴田義松(2006)『ヴィゴツキー入門』. 子どもの未来社
◦佐伯胖(2007)『コレクション認知科学 2 - 理解とは何か』. 東京大学出版会
◦苅宿俊文, 佐伯胖, 高木光太郎(2012)『ワークショップと学び 1 - まなびを学ぶ』. 東京大学出版会
◦佐伯胖(2012)模倣から教育を再考する. 人間生命科学研究プロジェクト「ヒトの個体発生の特異性に関する総合的研究」公開講演会「子どもの好奇心は教育を超える」講演資料. http://www.blog.crn.or.jp/kodomogaku/m/pdf/26.pdf (2014年8月23日 閲覧)
◦青山学院大学(2012) 佐伯胖略歴および主要研究業績. 青山社会情報研究. 4, 58-61
◦阿部学(2012)「学びのドーナッツ論」は実践に活かされたか--理論と実践との乖離に関する一考察--. 授業実践開発研究, 5, 43-51
◦多元的共生社会におけるコミュニケーションシリーズ第2回「学びとアート」の関係を問い直す 講演資料. http://www.gllc.or.jp/project/seminar/image/201306_report1.pdf (2014年8月23日 閲覧)

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