2014.03.03

【1年間を振り返って】少年易老學難成

皆さんおはようございます、こんにちは、こんばんは。山内研究室修士1年の青木智寛です。
早いもので大学院修士課程としての1年間が終わろうとしております。

今回のテーマにおいて、ブログのタイトルの流れが完全に出来上がってしまったので、これを崩すわけにもいかず、何かマイナーな故事成語を使ってやろうと、あれこれ考えていたのですが、やはり自分の頭から出てきた素直な言葉に落ち着けるのがいいだろうということでこのようなタイトルになりました。

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文字通り、あっという間の1年間でした。軒並みな表現ですが、正直、まだ数ヶ月ほどしか経っていないのではないかと思うくらいです。時間の経過を早く感じるのは、そこに注意が向けられないほど、熱中したり没頭したりすることが多かったから、とも思いますが、これは疑う余地もないことだと思います。

入学から4日間連続で行われた、概論(学際情報学概論Ⅰ)という洗礼を浴び、研究室ゼミ発表、基本的にグループワークかディスカッションで進む授業形態... 一度立てた研究計画も一旦保留に。自分がやりたいことは何なのか。価値のある研究は何なのかについて、一から作り直すことが始まりました。
前期はとにかく新たな環境での自分の創り方を必死に模索する数ヶ月でした。今までの自分が経験してきた「学び」のスタイルのどれにも属さない形態の学習に戸惑う日々を過ごしました。
特に、「読む」中心の形態の研究の進め方になれない自分にとって、読む、調べることに専念できたことは、非常に成長につながりました。そもそも「読む」とは何をすることなのかということから始まり、「読む」という行為に対する研究室のメンバーの皆さんとの意識の共有が徐々に図れてきました(ように思います)。言い換えれば、批判的思考が全然できていなかったのです。自分ではやっているつもりでも、まだどこかで漠然と読んでいたり感じていることが多く、自分という軸、自分の視点から、理論や文献の事例を比較検討しながら捉えるということができていなかったのです。(今でもまだまだ未熟ではありますが。)
それは、明文化こそされていませんが、毎週のゼミの時間に先生方、先輩方とのディスカッションの中で、またファシリテーターである池尻先生との会話の中で、自然に醸成されたことだと思います。山内研究室という「環境」から徐々に自分に浸透していくような学びでした。
そんなこんなで、夏の研究室合宿、共同研究のための出張、日本教育工学会全国大会への参加を経て、始まった秋学期、少し安定が見えました。ようやくなんとかやっていけそうだと感じました。
...が、そう安心したのもつかの間、学期末には重なる課題、発表。さらに追い打ちを掛けるように就職活動の開始。学期が終わってもまた、必死に疾走する日々がやってきています。きちんとしたRQも立ちません。今は研究の実現可能性を探るべく、現場に足を運ぶ毎日です。

とにかく、入学後、一度も止まらずにここまでやってきて、今もずっと走っています。おそらく止まったら再スタートはできないのではないかと思うくらいです。

でも、それでいいのだろうと思います。いかに修士課程という期間が短いかは、諸先輩方のお話やblog記事にも書かれていることだと思います。できることは本当に限られていて、気がついたら終わってしまうのだと思います。まさに「少年老い易く学成り難し」ではないでしょうか。

あと一年、限られた時間のなかで、邁進したいと思います。

(...なんだか血の気の多い文章を書いてしましましたが、とはいえ、適宜リフレッシュしながら進めていきたいです。とりあえず、春合宿の温泉が楽しみです。)

青木智寛
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