2014.02.22
みなさまごきげんよう。修士2年の早川克美です。
山内研究室のブログも今回で最後の担当となります。
そのことはさみしいような誇らしいような不思議な気持ちです。山内研究室で過ごした3年間は私の人生において最も貴重な学びの時間であったと思っています。正直、この場を旅立つことは積み重ね始めた思考の拠り所を失うようで、大変心細い思いでいっぱいです。
...と、未練がましく最後のブログを終わらせてはいけません。笑。
本題にまいりましょう。
この1年をふりかえる。
長いようであっという間だったと言うべきところですが、正直、私にとっては果てしなく長く感じられた1年間でした。勤務している大学の授業で使用し、一般書籍としても出版する教科書の執筆・動画教材の開発と、修士論文が重なり、物理的にも精神的にもプレッシャーで押し潰されそうな1年だったからです。
時間軸で正確に書くと、今でも奇跡か?と思うほどとのギリギリの工程であったため控えますが、こうしてすべてを何とかカタチにできたことをご報告できることに感謝しております。
実は、今こうして書いていてる時になっても、この1年をうまくふりかえることができずにいます。気持ちの整理がうまくできません。あまりにたくさんの事があったためか、記憶が断片的で俯瞰することが難しい状態です。しかし、そんな中でも、印象的だった事がいくつかあります。その中でも最も鮮明な出来事は、修論を書いている時の気づきでした。
それは、修論を書きながら、様々な箇所で、ゼミの時に指摘をいただいてたことが脳裏に浮かび、やっと言われていたことの真意がわかったことでした。「あぁ、そういうことだったのか!」と何度机の上で頭を抱え、嘆息したかわかりません。何故、ゼミの時にわからなかったのかを考えました。それは、修論という器の構造を、書く時まで理解できていなかったということにほかなりません。書き進めれば進めるほどに足りない自分が明らかになっていく過程は、修論の構造を理解し完成させていく作業とは反比例に、内省を強いられる厳しく苦しい時間だったといえます。
「知らざるを知るとなす.これ知るなり」
この1年を表すとするならばこの言葉しかないでしょう。情けないことですが、何がわからなかったのかがわかった1年でした。そして、いつまでも落ち込んでいては、ご指導いただいた山内先生、助教の先生、研究室のみなさんに申し訳がたちません。足りなかった自分に正面から向き合い、学び続けていこうと思っております。
「現象に謙虚であれ」
山内先生からいただいた言葉を大切に胸に留め、山内研究室で得た学びを、自分の中にしっかりと根づかせて活動していきたいと考えております。
山内先生、山内研究室のみなさま、ありがとうございました。
そして最後に、
3年間にわたってブログを読んでいただき、ありがとうございました。
春はもうすぐですね。
【早川 克美】