2013.07.21

【山内研の必読書籍】「脱学校の社会」


みなさま、こんばんは。

山内研の必読書籍シリーズも第7回目となりました。
今回は、M1中村絵里が担当いたします。

ご紹介するのは、「脱学校の社会」(イヴァン・イリッチ著, 東 洋・小澤 周三訳, 東京創元社, 1977)です。
本書は、Ivan Illich : The Deschooling Society. (Harper & Row, 1970. 1971)の1971年版の全訳版です。

まず、著者イリイチ*(1926-2002)のプロフィールをご紹介します。
* Illichは、日本語でイリイチともイリッチとも表記されています。

1926年 ウィーン生まれ。グレゴリアン大学で神学と哲学を修める。ザルツブルグ大学で歴史学の博士号を取得。
1951年 渡米。 ニューヨークでカトリックの助任司祭となり、1956~60年、プエルト・リコのカトリック大学の副学長を勤めた後、メキシコのクエルナパーカに国際文化資料センターを設立し、同センターでラテンアメリカに関する研究セミナーを主催。

本書では、イリイチがニューヨークやプエルト・リコに在住した自身の経験を通じて「学校に就学させることによって、すべての人に等しい教育を与えることは実現できないだろう」と考えるに至り、当時の学校制度の批判を行い、新しい教育制度のネットワークの必要性を訴えています。

タイトルにある「脱学校」という文字を見ると、あらゆる学校を否定し、学習制度を否定するのかと思われるかもしれませんが、イリイチが批判したのは、次の三つの前提に基づいた「学校」です。

一、子どもは学校に所属する
二、子どもは学校で学習する
三、子どもは学校でのみ教えられることができる

そして、イリイチは、この前提に基づいた「学校」の外での学習の重要さを指摘しつつ、「われわれが知っていることの大部分は、われわれが学校の外で学習したものである。生徒は教師がいなくても、否、しばしば教師がいるときでさえも、大部分の学習を独力で行うのである。」「誰もが、学校の外で、いかに生きるべきかを学習する。われわれは、教師の介入なしに、話すこと、考えること、愛すること、感じること、遊ぶこと、呪うこと、政治にかかわること、および働くことを学習するのである。」と述べています。

脱学校化された社会における新しい教育制度の下の「学校」は、次のような場になるとしています。

●学生に学ぶための時間や意思をもたせようとして彼らを懐柔したり強制したりする教師を雇う代わりに、学生たちの学習への自主性をあてにすることができる

●あらゆる教育の内容を教師を通して学生の頭の中に注入する代わりに、学習者をとりまく世界との新しい結びつきを彼らに与えることができる


さらに、新しい教育制度を提案するにあたり、すぐれた教育制度の三つの目的を示します。


一、 誰でも学習をしようと思えば、それが若いときであろうと、年老いたときであろうと、人生のいついかなる時においてもそのために必要な手段や教材を利用できるようにしてやること

二、 自分の知っていることを他の人と分かち合いたいと思うどんな人に対しても、その知識を彼から学びたいと思う他の人々を見つけ出せるようにしてやること

三、 公衆に問題提起しようと思うすべての人々に対して、そのための機会を与えてやること


本書を通じてイリイチは、特定の年齢層を対象とした特定の制度に基づく「学校」に入る機会を得られない貧困層や社会から排除された人々に対して、新しい教育制度のネットワークをもって、学習のための新たな選択とチャンスが与えられるようになることを希望しています。

出版から40年以上がたった今、私たちの社会はイリイチが望んだような教育制度を享受できているでしょうか。
「学校」と「人間の学び」について、考察を深めることのできる一冊です。

【中村絵里】

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