2012.06.28
みなさまこんにちは。M2の山田小百合です。「山内研との出会い」シリーズ5回目を担当させていただきます。
今月頭に大学院の入試説明会も行われ、毎週木曜日には受験希望者が研究室に来ているのを見ながら、私の入試決断のときを思い出していました。「就職活動をやめました」というタイトルの通り、私は就職するつもりでいた人なので、大学院という選択肢をなぜ選んだのかを踏まえながらいろいろと振り返ってみようと思います。
高校時代の話になるのですが、教育の影響と社会の営みに興味があった当時の私は、大学時代は教育社会学を学んで、教育に関わるマスコミ業に就きたいと漠然と思っていました。教育の現場をたくさん見て回って、世界中の良い実践・現場をより多くの人に伝えられる人になりたいと考えていたからです。それもあって、高校卒業と同時に、教育・福祉・その他自分の関心のある新聞・雑誌記事をスクラップして集めていました。(今はネットがあるのでやめましたが、これは大学2年の終わりごろまでやっていました。)
結局教育社会学を学べる大学に行けなかったのですが、社会科学全般を学べるところに入学しました。
大学2年次、とあるマスコミサークルで活動していた際に、自分が思い描いているところに到達するまで遠回りをする気がしてならなくて、逆にマスコミという選択肢に疑問を持ち始めてしまいました。その時期くらいから「社会起業家」という言葉を聞くようになり、これを機に「マスコミじゃなくて、こうやって社会的に価値のある現場を自ら生み出す・現場を支えるような活動をしたほうがよっぽど良いのでは」というような考え方に変わっていきました。このあたりからもともとアプローチしたかった「特別支援教育・インクルーシブ教育」に今後どうアプローチするかを考えていました。
そこで大学3年からは教育系の団体に足を突っ込んでは、まさに実践的な活動をしていました。それぞれの「現場」で気づいたことは多々ありました。しかし同時に「実践だけでは次のステップに行けないのでは」と薄々感じていました。
(ちなみに特別支援教育の現場には大学4年間足を突っ込まないと決めていました。18歳まで必然的にそういう環境で過ごしていたのであえて離れてみたかった。)
大学院という選択肢に最初に大きな影響を与えたのが「すずかんゼミ」でした。元文科副大臣の鈴木寛先生が行なっているインカレゼミです。大学3年前期、現場に足を突っ込むと同時に、月曜の5限に東大の駒場に毎週通う生活をしていました。ここは実践とは逆の場所で、まさに「次のステップに行くために鍛えられた場所」で、自分の苦手なことが何かを痛感させられるばかりでした。レジュメの作り方、自分の伝えたいことをどう伝えるか、言葉を選んで議論すること...たくさん内省しては学ばせていただいた環境でした。すずかんゼミの最後の日、すずかん先生とお話をしていくうちに、「大学院」という進路の選択はどうかという話になり、大学院進学を決めていた友人もいたことがきっかけで、大学院、一番良い選択かもしれない、と感じていました。
こうして就職活動の時期に突入するのですが、大学3年(正確には大学4年4月の半ばまで)大学院という決断ができないまま、実は就職活動に取り組んでいました。迷いが強すぎる故に、どちらも中途半端になっていることに気づきました。これはどちらかに決断せにゃならんなと思って、「就職活動を辞める」ことにしました。就活から逃げてると言われたこともありますが、両親は応援してくれていましたし、他にも背中を押してくださる方が多々いたので、決断をすることができました。そして大学院進学準備のために「就職活動をやめました」と周りに宣言して自分にハッパかけていました。笑
ただ、大学院という場所がどんなところで、どんな人がいるのか、全然わかっていなかったので、4月に入って1週間のうち3人の大学院生と会うという目標を立て、いろんな大学院生にお会いし、お話をきかせて頂きました。特別支援教育らしい研究を、「特別支援教育専攻でない研究室で」というこだわりだけは持って探していましたが、気づけば1ヶ月経つにもかかわらず、手応えがないまま不安ばかりが募っていきました。
悩んでいたそんなとき、本当に偶然、「学環とかいいんじゃない?」と、とある方に言われ、(当時「がっかんって何?」と思っていたくらい学際情報学府のことは知らなかった)たまたま現在は研究室の先輩となる安斎さんを紹介してもらった、というのが私の山内研との出会いです。初めて会った安斎さんとお話してて「探してたところはここなんじゃ?」とやっと前向きな気持ちになりました。その数日後、早速山内先生とお会いさせていただくことにもなりました。先生がNPO法人の代表でもあるので、そういう観点からも学べる、すごく贅沢な環境ではないか、と思いました。お話させてもらった際に、「まさに探してたのはここじゃないか!」と確信を得たことは今でも忘れられないですね。
(NPO法人 Educe Technologies http://www.educetech.org/ )
それからは必死な数ヶ月を過ごしました。研究の「け」の字もわからないなりに、研究計画書を考え、入試の勉強をして、初めて出会う言葉をひたすら身体に覚えさせたような記憶があります。それでも現在は、着々と研究が進み、わからないこともわかるようになってくるのだから、人間ってやればできるのだなぁ、なんて思っています。そしてやっぱりまだまだできないことだらけだなぁと痛感させてくれる贅沢な環境でもあります。
そもそも東大なんて絶対無理だと思って考えてもいなかったので、あの日の一言がなかったら、安斎さんと会わなかったら、私はずっと山内研の存在を知らなかったと思います。でも行きたい研究室に出会えたのは、あきらめずに「どんなことがしたいのか、この研究にどんな意義があるのか」考えては人に相談して、をただひたすら繰り返したからかなぁ、と感じています。
他大学のみなさん、特に、教育・学習について専門でない方でも、挑戦する価値はありますよ。入学が決まった方は来年度の研究室春合宿でお会いできると思うので、今から誰とお会いできるのか、とても楽しみです。
【山田小百合】