2012.03.13

【今年を振り返る】暗黙知の壁:自転車に乗れない私


みなさま、ごきげんよう。修士1年の早川克美です。
今回のテーマは【今年を振り返る】。

実はこのテーマ、憂鬱です。うーむ。むしろ振り返りたくない。
しかし、それでブログを閉じるわけにはまいりません!
憂鬱の理由を明らかにし、1年を総括することで、前に進めるというものです。
苦々しい思いで、社会人大学院生の修士課程初年度をふりかえりたいと思います。

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この1年は、大学院という研究の共同体に存在する「暗黙知」との闘いであったといえます。ご存知の通り、「暗黙知」とはハンガリーの哲学者マイケル・ポランニーが提唱した概念で、主観的で言語化することができない知識、言語化して説明可能な知識(形式知)に対し、言語化できない、または、たとえ言語化しても肝要なことを伝えようがない知識のことです。「暗黙知」の例としては「自転車の乗り方」があります。つまり、自転車を乗りこなすことはできるけれど、その乗り方について、どのように操作するのか、明示的に言葉で語ることはできない、というものです。個人がもつ知識には、言葉で表現できる部分と、言葉で表現できない部分とがあり、前者よりも後者のほうが多くを占めています。ポランニーはこの後者を「暗黙知」とよびました。

研究を進めていく上での作法と言いましょうか、その思考法は、学部から学んできた他の方には体得した「暗黙知」でした。ゼミナールでみなさんから様々なコメントをいただいても、言葉は確かに聞き取れるのに、意味として自分の中にストンと入ってこない。そう、まさに私は「自転車に乗れない人」であり、転びまくる日々を重ねてしまいました。

誤解があってはいけないので、ここではっきりさせておかなければいけないのは、山内研究室のゼミナールにおいては、研究における「暗黙知」を形式知化して、共同体全体で共有していくことによって、より創造的な知を育むしかけがたくさん用意されています。先輩のファシリテーターによる研究の方法論についてのサポートや、春・夏に開催される合宿での学習プログラムなど、他にも日常の様々な場面で充実しています。このブログもそのひとつですね。

話を戻しますと、この恵まれた環境とシステムの骨格に感動し、なるほど!と理解できるのに、自分のこととなると「?」マーク満載となる始末。山内先生をはじめ、みなさんの貴重な時間を使わせていただいているのに、なかなか理解できない自分が悔しく、申し訳なく、仕事でも泣いたことがなかったのに、何度も涙が出てしまう情けない時間が流れていきました。

原因を探していくと、実にシンプル。
私は研究への思考法を今までの人生で経験したことがなかったのです。遙か昔の美術大学のデザイン科では、卒業に際しては作品制作のみで、みなさんが乗り越えた論文執筆という関門をスルーしてきたわけです。デザイナーとしての多くの時間は、別の暗黙知を自分に授けてくれましたが、創造性のブラックボックスを容認されているデザインの世界では、根拠を曖昧にしたままでも問題解決は実現できるわけで、研究の思考法とはおよそかけ離れていた思考が染みついてしまっていたのでした。ただ、デザインの思考プロセスと研究の組み立てには相通ずる部分も多々あり、その同異を明確にできなかったことも原因を深刻化させてしまったと思います。

しかし、しかしです。

大学院に進学し、研究の道に進みたいと望んだのは、まさにこの根拠、原理を追究したかったからに他ならず、自分の既定の枠を乗り越えない限り、先には進めないのです。

こうして、いつまでも自転車に乗れないという状況は、さらなる悪循環を生み出します。わからない、ということがわかっても、それをうまく質問に転化させていくことが出来なくどんどん硬直化していきます。硬直化した頭は、倫理的思考を持ち得ず、コミュニケーション能力も低下し、相談ベタになっていく始末。やりたいこと、知りたいことが山ほどあるのに、同じところをぐるぐるしている非生産的な状況を半年近く続けてしまいました。


...と、ここまで書いて...はたと。
振り返るほどに息苦しい独白が続いており、読みづらいかと思われます。
もうしばらくの間おつきあいください。


そして、1年が経とうとする今、頭と身体を動かし続けることでしか、この苦境を乗り越えられないのだということをやっと実感を持って理解しつつあるところです。
おいおい、1年かけてそんな基本的な事を言っているのかい?と自分で突っ込みたくなりますが、正直に「基本のき」がわかってきたところなのです。
一つ一つの可能性を丁寧に検証し、つぶしていくことで見えてくるもの。やっと、そのプロセスの重要性に気づいた、その入口に立てたように感じています。ひどい1年でしたが、ここを通る必要があったのでしょう。

とはいうものの、まだまだ大きな補助輪がないと自転車を走らせることができません。そう、自覚しています。なんてバカなんだろう、と我が事ながら笑いがこみあげてきます。でもきっと、もう泣かないで(笑)進めることができるようにも感じています。
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懺悔のような記事となってしまいました。
どれだけわからなかったのかを記録しておくことも意味があると考え、このような内容となりました。お見苦しい点、ご容赦くださいませ。

内省ばかりしていますが、一方で、ワクワクする気持ちは少しも失われていないことを最後に記したいと思います。自分が明らかにしていきたいこと、そしてそれが社会の役に立つことにつながっていくこと。残された人生の時間はそう多くはけいけれど、それにかけるだけの喜びがあると信じています。


この1年、辛抱強くご指導、支えてくださった山内先生、ファシリテーターの八重樫さん、佐藤朝美さん、助教の方々、研究室の先輩方、そして同期のみんな、ありがとうございました。
次の1年は、懺悔ではなく、みなさんと様々なことを共有し、自らも発信・実践し、その成果をここで述べられるようになりたいと思います。

拙文におつきあいいただきありがとうございました。
春はもうすぐです。
しばらくは振り返らないで歩んでまりたいと思います。

みなさまにおかれましても、良き春が訪れますことを。。

早川 克美

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