2012.02.28

【エッセイ】創造性と専門性

企業のイノベーションブームに触発された教育における創造性育成論議について、重要にもかかわらずあまり検討されていないテーマがあります。創造性と専門性はどう関係しているのかという問題です。

教育の文脈では、専門性と創造性は対置的に使われることがあります。特に大学教育では、従来の専門教育に対する教育形態として創造的活動を含むプロジェクト学習に言及する時もあり、転移可能性の高い「新しい教養教育」として位置づけられています。

確かに、教科書に記述できるレベルの専門知識についてはアップデートが激しく、逆に変わらないものは、流通することで価値が下がるという現象が頻繁に見られます。ただ、だからといって創造的活動に専門性が必要ないかというと、そんなことはないのではないかと考えています。

イノベーションに関する議論でよく引き合いに出されるiPadを例に考えてみても、生み出したAppleという企業は情報技術に関する専門家集団です。他の企業と目の付け所は違いますが、全く違う領域の専門家集団やアマチュアが作り上げたものではありません。

価値創発的な事例についてプロセスを見てみると、教科書レベルを超えた経験知が多様な刺激によって異化され、そこからブレイクスルーが生まれている例が多いように思います。

人間はなんでもいいから新しいアイデアを出せと言われれば、色々話すことはできます。実は、出たアイデアが価値につながるか直感的に判断することが難しいのです。

このプロセスを支えているのが、さきほど述べた「教科書レベルを超えた経験知」であり、エキスパートが持っている暗黙知ではないかと考えています。アイデアの検討の際には、それが現実にうまく機能するかどうか頭の中でシミュレーションすることが必要ですが、エキスパートは本人にも理由は説明できないけど、「これはうまくいく」「これはうまくいかない」と感じることができます。そういう意味で高いレベルの専門性と創造性は密接に絡み合っているのです。

創造的な活動を含む授業やワークショップは、このことに十分配慮しないと、「ままごと」に終わってしまう危険性があります。子どものうちは、専門性と接続していなくても、創造的活動の楽しさややりがいを知ること自体が目標でもいいと思いますが、大人になれば、社会に出てから何を生み出せるかについて問われるようになってきます。さきほど述べたようなエキスパートの専門知はすぐに身につくものではないので、学生以外に活動に直結した専門性を持った社会人やその専門性を相対化できる別の専門性を持った社会人を含めてチームを構成するなど、専門的知識と創造的活動をつなぐ仕組みが必要なのではないでしょうか。

山内 祐平

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