2012.02.02

【読書感想文】ドラゴンボールとワンピース

博士課程1年の安斎です。僕は、気に入った漫画を何度も何度も読み返すのが好きです。漫画は、小説ほど文字情報が多くなく、映画ほど映像情報が多くなく、僕にとって色々な読み方で何度も読みたくなる、バランスの良いメディアなのかもしれません。

色々な漫画を読みますが、中でも僕はドラゴンボールが大好きです。ワンピースも好きですけど、やっぱりドラゴンボールが好きです。ところが、最近の小学生はワンピースは好きだけど、ドラゴンボールを全然知らないのだそうです...。時代は移りゆくのですね...。


●個人主義からコラボレーション主義へ

それも、ある意味仕方が無いことなのかもしれません。ドラゴンボールとワンピースを比較してみて思うのは、ドラゴンボールはきわめて「個人主義」的な漫画だと感じます。強大な敵にぶちあった時に、その問題を解決する方略はたいてい「修行をして個人の能力を高める」ことです(たまに、元気玉のような奥の手にも頼りますが)。しかも、多くの戦闘は1対1です。いろいろ苦戦するけれど、最終的に敵の戦闘力を上回った悟空が登場して、一時的に共闘した仲間は用無しになり、タイマンで悟空が相手を倒す、というパターンで物語が展開されていきます。ラストバトルでの悟空の「一対一で勝負してえ...待っているからな...オラももっともっと腕をあげて...またな!」という台詞からも、個人主義的な信念が読み取れます。

一方で、ワンピースはとても「コラボレーション主義」的な漫画ですよね。海賊という設定がゆえ、船長、航海士、コック、船医...など、役割分担が明確であり、仲間との助け合いや絆が重視されており、コラボレーションしながら問題を解決していくことが前提になっています。ドラゴンボールとは対照的に、個人が修行をするシーンもほとんど出てきません(最近になってようやく出てきましたね)。

近年主流である、創造性や問題解決を「天才的な個人」によるものではなく「コラボレーション」を前提に考えるキース・ソーヤーのグループジーニアスの考え方を想起させます。


●個人のパフォーマンスは社会的に評価される

また、この2つの漫画の違いは、個人の能力の評価方法についても読み取る事が出来ます。

ドラゴンボールの場合は、おなじみの「スカウター」を用いて、個人に内在する「戦闘力」を数値で測定する形で個人の能力が可視化されています。戦闘においては相手との相性とか時の運とかもあるだろう...と思うのですが、それでも戦闘力という絶対の基準があり、それを高めることがドラゴンボールというゲームで勝つ唯一の手段になっている。戦闘力42000では、戦闘力53万のフリーザには絶対に勝てないわけです。そこがシンプルで面白くもあるのですが。

一方でワンピースはというと、「悪魔の実」という個性的で特殊な能力をベースに世界観が設定されており、戦闘において相性や連携の要素が重要になっています。だから、戦闘力のような絶対的な基準で個人の能力を評価しにくい。そこで、「懸賞金」という指標で個人の能力が間接的に評価されているのがワンピースの特徴です。その個人がどれだけ強かろうが、社会的に何もしなければ懸賞金はゼロです。ところが、3億ベリーだった海賊が、大きな事件をやらかすと、実力に関わらず途端に懸賞金が4億ベリーになったりする。つまり、その海賊がどれだけ強いかではなく、どれだけの事を成したのか、という観点から社会的に評価されるシステムなのです。

創造性は個人に内在するものではなく社会的な相互作用の中でしか判断できない、というチクセントミハイの創造性のシステムモデルを想起させますね。


---

そういうわけで、創造性や学習について研究している観点から比較しても、ワンピースはドラゴンボールに比べてとても現代的な価値観で構築されている漫画だなあと思うのです。

僕はコラボレーションの研究者なのに、なんでドラゴンボールの方が好きなんだろう...と、ここまで書いて疑問に思ってしまいましたが笑、たまにはそんなことをあれこれ考えながら漫画を読むのも、一つの読書の方法ではないでしょうか。

[安斎 勇樹]

PAGE TOP