2012.01.29
みなさま、ごきげんよう。
修士1年の早川克美です。今週の記事を担当させていただきます。
「旅において出会うのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても、我々は自己自身に出会うのである。旅は人生のほかにあるのでなく、人生そのものの姿である。」
これは哲学者・三木清の言葉です。この言葉の意味を最近あらためて考えています。すべての出会いや分岐点は、決して受け身ではなく、自らが選び定めてきたことなのだと感じます。自己効力感はもとより、後悔や反省も弱い自分の選択に他ならず、どんな道をどのような足跡を残してきたかは、まさに自己自身であります。そして、私は、どう生きていくべきか、について幼い時から何故か(笑)ずっと悩んでいます。
ここに、これまでの人生で何度となく読み返した本があります。最初に三木清を引いておいて、節操がないと思いますが、ずっと憧れている人間の生き方があります。あくまでも作品の中のその人物の生き方です。
司馬遼太郎著「花神」の主人公、大村益次郎、その人です。
大村益次郎は、日本近代兵制の創始者であり、高杉晋作の没後に、奇兵隊を倒幕に向け再編成し、大政奉還後に発足した官軍における事実上の総参謀を務め、戊辰戦争の勝利に貢献し明治維新確立の功労者といわれた人です。
周防国吉敷郡(現在の山口県山口市)の百姓に生まれた村田蔵六(後年大村益次郎と改名)は、新しい蘭学・洋学を学びたい一心で郷里を発ち、大坂適塾に緒方洪庵らを師として研鑽を積み、抜群の成績を上げ塾頭にもなりました。医師として故郷防長に戻った蔵六でしたが、ずば抜けて洋書を解読し、著述もできた彼は、様々な出会いによって、四国宇和島藩の軍艦建造に招かれ、それを機に洋学普及のため、江戸で私塾「鳩居堂」を開き、幕府の研究教育機関(蕃書調所のち開成所)でも出講するようになります。ただ、人と交わるのが不向きな蔵六は、出世をしても自らを売り込むことはせず、その45年の一生を愚直なまでに「技術者」でありつづけました。彼の一生はまさに技術者としての旅そのものだったと感じます。
自らの出来ること、なすべきことのみを見据え、芯を持って生き抜くこと、初めてこの本を読んだ高校生の時、その貫ききった生き方に美しさを見、震えたことを今でも覚えています。少し先の未来を予見しながら、ひたむきに学び続けた益次郎の生き様を、潔く美しいと感じたのです。と、同時に、多感な年頃の自分には、どうして男に生まれなかったのだろう、女でどこまで貫ききることができるのだろうか?と不透明きわまりない将来に絶望したりしたのは懐かしい感傷です。もちろん、今は女性として生まれたことに後悔はありません。(男女雇用機会均等法施行初年度の年代なので、現在20代の方達には想像もしないことかもしれません。苦笑)
話がそれましたが、とにかく、美しい生き方に憧れ、何か迷うたびに大村益次郎を思い返すという奇妙な癖がついてしまったほどです。なのに、益次郎の年齢を超えた自分は、まだまだ迷い多き道にいます。優秀でもない平凡な自分にとって、大きな功績を残すことは大それた望みであり、もちろんそこに目標を置いてはいません。ただ、自分の芯を持ち、貫いて生ききることができれば、そうありたいと、日々を重ねています。
もうひとつ、この本で私がワクワクしたのは、大阪「適塾」のさわりでした。
適塾とは、蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾です。後に現在の大阪大学へと発展していく適塾、元来は医学、医療を教育する塾でしたが、とても学際的な学びの環境にあったようです。青雲の志熱き若者である塾生たちにとってはオランダを通じてもたらされる最新の知識、技術には一々驚くものがあったのでしょう。関心の赴くままに、医学によらず各種の本を貪欲に読んだようで、判らぬ言葉の意味を探して、適塾に一冊しかなかったヅーフ辞書を奪いあうように利用したため、辞書をおいた部屋はヅーフ部屋と呼ばれ、明かりが消える間がなかったそうです。塾生たちの勉強ぶりはすさまじかったようで、福沢諭吉にして、自伝の中で「凡そ勉強ということについてはこのうえにしようもないほどに勉強した」と述懐しているほどです。こうした自由闊達な塾風が、幕末から明治初期にあって日本の近代化の各分野で活躍する多様な塾生を数多く輩出し、その塾生には、福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内などがいます。
東北から九州まであらゆる地域の若者達がめざし、学んだ適塾。どんな対話がなされていたんだろう、それぞれの塾生はどのように成長していったのだろう、どんなシステムだったんだろう。あぁ、行ってみたいなぁ、観察したいなぁと夢想します。
私が大学院に入り、最初に感じたことは「あ。適塾だ」。そう、今、自分がいる環境はまさに現代の適塾といえるべきものでした。多様な興味・関心を持った学問の徒がそして師がそこにはありました。とてもうれしかった。
もうすぐ私の大学院生としての最初の1年が終わろうとしています。想像以上に厳しく辛かった。でも、それ以上に楽しく興奮することが数え切れないほどにありました。学びをあきらめないで精進しようと思います。
思考は柔軟に。これは益次郎が技術を積み上げていく過程で、とてつもなく柔軟に様々なことを吸収していたことを、凝り固まった自分の思考への戒めとしたいと考えます。
志は強く貫けますように。逆境にびくりともせずに歩み続けた益次郎の生き方を、私なりに追っていきたいとのぞんでいます。
「人はそのひとそれぞれの旅をする。人生そのものが実に旅なのである。」
最後にふたたび三木清の言葉を。
学び、生きる私の旅はどうやら相当鈍行のようです。そして、かなり美しくない。納得するのにいちいち躓きますが、憧れを胸に、一歩一歩進んでまいりたいと思っています。
読書感想文?ではないような内容になってしまいましたが、1年を振り返る節目でもあり、自分を奮い立たせるために書かせていただきました。
寒い日がまだまだ続きますが、みなさまにはくれぐれもご自愛くださいますよう。
拙文におつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献
"人生論ノート"三木清、新潮文庫
"花神"司馬遼太郎、新潮文庫