2012.01.25

【エッセイ】電子「教科書」という呪縛

AppleからiBooks2とiBooks Authorが発表され、教育の情報化が本格的に進展するのではないかという期待もでてきていますが、アメリカの専門家の中には異論もあるようです。

教育技術の専門家は(教科書というコンセプトが古い、価格的に課題がある、ソーシャルでないなどの理由から)AppleのiBooksに懐疑的

確かにiBooks Authorはよくできたツールですし、iBooksでマルチメディアを埋め込んだ教科書が安価に流通すれば市場は活性化すると思います。これによりiPadの中等教育への普及は進むでしょうし、Apple製品を人数分そろえられる財政的に豊かな学校には魅力的な発表でしょう。
その点をふまえた上で、さきほど紹介した記事の最初のパラグラフにある「これは以前流行したCD-ROMのインタラクティブマルチメディア教材と何が違うのか」ということについては考えておく余地があります。
今から20年ほど前、パーソナルコンピュータが本格的に映像や音声を扱えるようになったときに、CD-ROMにおさめられたマルチメディア教材が作られました。これらの教材には一定の教育的効果があることは研究により確認されていますが、「教科書の再発明」というほどのインパクトが残せなかったことも事実です。
一般ユーザーがタイトルを制作できるようになったり、流通システムが確立することには意義がありますが、それだけでは力不足なように思います。
記事にもありますが、我々はそろそろ近代教育システムの中核を担った「教科書」というメタファーについて再検討してもよいのではないでしょうか。分散したリソースを有機的につなぎ、ソーシャルな対話の中で学べるようになった現代の情報環境の中で、本当に現在の電子書籍的な形が教材として最も優れた姿なのかどうか、考えるべき時期に来ているのかもしれません。

山内 祐平

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