2011.07.13

【エッセイ】小泉先生の思い出

ある会議で、ひさしぶりに大阪大学時代にお世話になった小泉潤二先生にお会いする機会がありました。小泉先生は文化人類学がご専門で、クリフォード・ギアツの理解者として有名な方です。

当時人間科学部で助手をしていた私は、インターネットの導入が学校の子ども達に与える変容を長期的に明らかにしたいと考え、エスノグラフィー的な手法が使えないかと試行錯誤していました。今と違って質的研究に関する日本語の書籍もあまり出版されておらず、洋書を読んでもよくわからなかったので、思い切って本職の人類学者に聞いてみようと研究室のドアをノックしたのです。今から考えればあんな偉い先生に突撃するなんて無謀なことをしたものだと思いますが、心に残る言葉をいただけました。

小泉先生は、どういう研究方法をとればいいのでしょうかという相談をした私に、以下のようなことをおっしゃいました。

「確かに研究の方法は重要だが、方法は目的と対応しているかどうかが大事なので、教科書にとらわれすぎることなく、自分の頭で考えなさい。それよりも、人類学者がどうして3年もフィールドに入るのかわかりますか? それは、3年たってはじめてでてくる言葉があるからです。人には信頼できる関係になってはじめて語りはじめることがあります。エスノグラフィーをするときには、そのことを大事にすべきです。」

この話を聞いて、方法のことばかり考えて人間のことを十分に見ていなかった自分を深く反省した記憶があります。

その後、ある小学校でのフィールドワークを元に、苦闘しながら論文を書き上げました。
不十分な作品ではありましたが、結果的に3年間フィールドに通い続けました。その時間の中で論文以上に大事な「現場を見つめる目」を学ぶことができたように思います。

山内 祐平

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