2011.01.28

【私の学びの場】高校という文化

みなさまこんにちは。博士1年の池尻です。



授業やゼミ以外での学びの場を紹介するシリーズ【私の学びの場】
第8回は池尻が「高校という文化」というテーマでお送りします。


きっかけはM1の冬でした。山内研の先輩である森さんに都内のある高校を紹介してもらい、それ以来2年間その高校の世界史の先生の下で勉強させてもらっています。今回は、僕とこの高校の関係を大きく3つの時系列でお話したいと思います。


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(1)ベテランの先生の授業観察(M1の冬〜M2)
●高校現場にいないと見えない仮説を発見する
●学校文化のリズムを吸収する


 最初の頃は、ベテランの先生にお願いして授業を毎週見学させてもらい、授業後に質問をするというサイクルを1年間続けていました。毎回、授業を見る観点を変えて生徒や先生の様子を観察し、自分の中の仮説を確かめたり先生の暗黙知を探ろうとしていました。そして毎回、以下のような発見をまとめていました。


 ・生徒は今に関連することを話すと顔が上がる
 ・教え方が「具体的なエピソードの紹介」→「抽象的な概念の説明」順になっている
 ・生徒の部活や好きなことを把握した上で質問を振る相手を決めている


 授業観察ノートは2冊ほどになり、合計数十個の発見を書き留めました。M1の間にずっと論文を読みあさっていた僕としては、高校現場にいないと見えてこない仮説を発見できたことはとても財産になっています。

 また、1年間通ってカリキュラムの流れを知れたのも大きな収穫でした。単発のワークショップや実験的な活動ではなく、学校文化の時間敵な流れにカチッとはまるように研究のアウトプットを考えられるようになったのもこの頃からでした。


(2)別の先生の授業観察(D1の春〜冬)
●自分とは違う授業スタイルを吸収する
●ポートフォリオ的に教材を作ることを知る


 2年目からは世界史の別の先生の授業を見させてもらいました。こちらの先生は写真や風刺画を散りばめたプリントを自分で作る先生でした。僕は自分のスタイルも受けてきた授業も板書型で、上で紹介したベテラン先生も板書型だったので、プリント型の授業スタイルを吸収できたのは大きな収穫でした。

 プリント型というと教科書の穴埋め形式のようなものを想像する方もいると思いますが、この先生のプリントは歴史の流れを丁寧にまとめているだけでなく、教科書も資料集にも載っていない風刺画や写真を載せて視覚で歴史がわかるように構成されていて、自分の授業観の枠組みが広がる印象を受けました。ああ、自分はこういう授業をしている先生には何も話せない状態だったんだなと反省もしました。

 さらに、このプリントが毎年グレードアップされているという話を聞いて驚きもしました。毎回の反省点の反映とは別に、日々行っている美術館巡りなどをプリントに反映しており、教材自体が先生のポートフォリオのようになっていました。

 僕も歴史の教材を作っていますが、製作期間外でコンテンツを再構成することは滅多にありませんし、それを行っている時間も取れないのが現状です。その中で、学校の先生の成長と一緒に教材が成長していく姿を見て、教育や学校や研究を長期的に考えるようにもなりました。


(3)自分の授業(D1の冬〜今)
●研究と実践を融合する感覚を知る
●反感ではなく共感してくれる今の学校の限界点を知る


 その後、この高校で非常勤講師をしてみないかというお話をいただき、現在は教壇に立って高校2年生に世界史を教えています。

 まずはしっかり基本を押さえるために、見てきた先生の授業を真似することにに力を入れました。せっかくなのでこの2年間で学んだことを全部出し切ろうと思い、初めてプリント教材を作ったり、発見した授業を良くする仮説を盛り込んだ授業を試行錯誤しながらやっています。

 「言うは易し、行うは難し」で実際に教壇に立つことで多くの学びがあったのですが、それに加えて「研究」と「実際の教育」の間の溝はそこまで深くないと感じられたのが大きな収穫でした。

 もちろん話せる内容や知識量では反省点だらけなのですが、それでも研究の知見を織り混ぜることで授業はまだまだ改善できると実感できたことで、研究者としてホッとした面もありました。

 元々僕は、距離を取って学校教育を批判するスタイルが好きでなく、できれば学校を内部から徐々に改善していきたいと思っていたのですが、頭のどこかで「研究」と「実際の教育」は融合できないんじゃないかという心配がありました。それを払拭できたことによって、自分の研究ポリシーが固まった気がします。

 同時にできるだけ学校の先生に歩み寄り、学校文化にどっぷり漬かることで学校が持っている限界点をリアルに感じられてきました。学校文化や教師を受け入れつつ、教師はどこに限界点を感じているか、どういう言葉で表現したら反感ではなく共感を得られるか、研究者として自分はより本質的なサポートができるか、がうっすら分かってきているところです。


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まとめ

 「学びの場」における学びは、もちろんその場でしか学べないコンテンツやスキルも含むと思います。また、自分の考え方を相対化することも含むと思います。ただ僕は、より重要なことはその場の文化を「吸収する」ことだと思います。

 これはかなり長期間どっぷりその場に漬からないといけないので大変ですが、研究者にとっては体験して損はない期間だと思います。

 修士の頃は自分の意見をグイグイ押していましたが、今では研究領域や教育現場にいる色々な人の意見や悩みが頭の中で混ざり合うようなイメージになっています。こんな形で研究を進められるようになったのも、2年間もこの高校で学ばせてもらい、非常勤という機会をもらえたからだと思います。皆様、ありがとうございます。

 みなさんにも「学びの場」との素敵な出会いが生まれることを心より祈っています。


[池尻 良平]

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