2010.12.01

【エッセイ】学習は時間によって保証されるのか?

ちょっと前になりますが、アメリカ合衆国の下院教育労働委員会で大学の単位時間に関する議論が行われました。

下院教育労働委員会でオンライン学習の普及による履修単位時間の不透明化について議論。厳正な時間確保を求める議員に対し、大学認証団体はピアレビューを用いた柔らかい定義が必要と主張。MT @chronicle http://bit.ly/aONnpb

アメリカでは100% eラーニングで卒業資格がとれる大学をはじめ、多くの大学で一部のコースをオンラインで履修できる仕組みを導入しています。

在宅で学習する場合、従来の単位時間の考え方がなじまず、空洞化している(1単位あたりに必要な学習時間をとっているかどうかが不明である)のできちんと管理すべきであるというのが下院労働委員会の立場で、現場を審査している大学認証団体(アメリカでは教育省でなく、認証団体が大学の質を審査しています。)は、時間ではなく人による評価などより実質的な方法を優先すべきであると主張しているわけです。

学習を時間で保証するのか、アウトプットを人が測定することによって保証するのかについては、答えが見えない難問になっているようで、現在参加している国際会議ICCEでも議論が行われていました。

同じ場所に集まって講義をするという条件のもとでは、教員が話す知識量と記憶する知識量は時間によってある程度コントロールすることができます。
しかし、eラーニングのようにインタラクティブな仕組みを取り入れたり、プロジェクト学習のように知識よりも思考力を育成するような授業では、時間は学習成果の要因の一つであっても、絶対的な存在ではなくなります。今後大学の授業が多様化するに従って、この問題は深刻化するでしょう。

「学習時間」は世界中の大学で、長い間学習を保証する柱として使われてきました。しかし、近代型の大学モデルが曲がり角を迎えつつある今、この大黒柱を考え直すべき時期にきているのかもしれません。

山内 祐平

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