2010.07.02

【研究者の仕事術】 水越伸 教授

みなさま、こんにちは。M1の菊池裕史です。
【研究者の仕事術】シリーズ第5回は、情報学環教授の水越伸先生にインタビューに伺いました。

僕は今学期、山内先生と水越先生が担当されている「文化・人間情報学研究法III」という授業を受講しています。学生のグループワークに対してユニークな例を交えながら的確なアドバイスをしてくださる水越先生に出会い、「学環にはこんな面白い先生がいたのか!」と衝撃を受けました。そんな水越先生に、今回は「研究者になるまでの道のり」、「研究者になってからの具体的な仕事術」という2つのトピックについて伺いました。ぜひ全文を通してご覧ください!

【研究者になるまでの道のり】

Q1. 水越先生は最初から研究者を目指していたのですか?

高校の頃から人類学をやりたいと思ってて、自分で言うのもなんだけど、ある程度勉強したいというような気持ちがあって大学に入ったのね。ただ、完全に研究者になりたいとか、そんなふうには思ってなかったかな。大学の学部生のときから助手になるまでやっていたデザイン事務所での仕事が面白かったんだけど、すごく辛くて苦しくて・・。だから、なんかもっと「俺はこんなことをやるんじゃなくて、思想とか理論とかをやるはずだったんだよ!」みたいな気持ちがすごくあって、それで毎日毎日(デザイン事務所での仕事が)嫌だったんだけど、一方で現実の仕事もものすごい面白かったのよ。

Q2. 思想とか理論とかをやりたいというのは、学部の頃から考えていたのですか?

それは、社会人の人が大学院で勉強したいと言うのに近い感覚だったかな。山内研でもあるかもしれないけど、社会人のほうがピュアに学問をしたいって言うじゃん。それに近い感覚があったんだよね。大学3年の秋くらいから、ようやくさっき言った仕事(デザイン事務所での仕事)が自分1人でできるようになった感じがしてきて、それで、このままこうゆう仕事を社員としてやってくという道もあったんだけど、俺はそれは嫌だったんだよね。これはいかんと思ったわけ。でも、「じゃあ何だったらいいの?」っていう見通しはないのよ。ただ、それは嫌だなと思って大学の4年のときに大学院に行こうと思ったんだよね。つまり、大学4年生のときに「研究者になりたい!」っていう明確な気持ちはなかったんだけど、コマーシャルな世界で生きていくのは嫌だなと思ってたんだよね。

Q3. なぜコマーシャルな世界で生きていくことが嫌だったのですか?

何か、どっかで嘘だと思ってた。それは非常に虚構だと思ってた。要するに、同じモノ(プロダクト)でもガワを変えたり、ある技術にいくつかのグレードを設けることでそれをパッケージ化して、それにある社会的・文化的なイメージを付与して、記号的な価値を付与して。っていう、まぁ、人々の欲望を喚起して買ってってもらうみたいなさ。要するに送り手が巧妙にマーケティングと設計をして、人の文化的な行動をコントロールするっていう、それが良いかどうかは今考えるとわかんないんだけど、俺はそれはなんかやりすぎだと思ってたんだよね。それで、いつかそうゆうのは崩れると思ってた。こうゆう虚構の体系は必ずいつか崩れるに違いないと思ってた。だから、「俺はこうゆうコマーシャルだったりビジネスライクじゃない方向に行った方がいいよな。」って気はしてたんですよ。ところが、それはそれで面白いんだよな。やっぱりそこにはコマーシャルかパブリックかとか、アカデミックか大衆的かとかそういうことを別にした技法もあったし。あと、途中でやめるのが嫌だった。途中でやめたら負けだなとも思ってた。

研究者にまったくなりたくなかったかというと、それはそうじゃないと思うよ。でもぼんやりとしか思ってなくて、研究者になりたいっていうはっきりした気持ちはないまま、もうどうしてもそこの場所でそのまま行くのが嫌だったんで、パブリックな場として大学院をすごく理想視して考えたんだよね。それで修論を書いて博士に入ったころに、「僕もう事務所でやれることはやれたな。」と思って、それでもうやめようと思ったんですよ。ちょうどその頃僕は助教になれて、それを機に僕はデザイン事務所から足を洗ったんですよ。

【具体的な仕事術】

Q4. 具体的な「仕事術」といったものはありますか?

僕は基本的にケータイとスケッチブックとMacを持ち歩いてる。あと、色鉛筆みたいなものも。僕は基本的に絵でモノを考えるんですよ。そこで一番大事なことは、手書きで絵で考えて、それがある程度形になってからテキストでスライドにしたりするということ。スケッチブックの絵を後でスキャンしてiPhotoに入れておいたりもします。

Q5. それはテキストにならないことをイメージとして残しておくということですか?

うん、そうだね。言葉にならないことをイメージにしておく。あと、これ(スケッチブックを指して)は俺なりにパッケージ化されてて、これを見ると思い出すことがいっぱいあるんだよね。これは、「これを見るとその時に戻る」って言うようなものだから、間違ってもイラレで書き直すようなことをするっていうのはダメなのよ。ニュアンスが消えちゃうから。これはアイディアの種みたいなものなんですよ。アイディアって忘れちゃうじゃん?で、もう一回ここに戻ったときに、「あー、あの時こうゆう気分であんなこと考えてたな。」ということが思い出せて、リンクしているものを思い出すアイコンになるんだよね。

Q6. いつもMacとスケッチブックを持ち歩いているということですが、何かイメージが浮かんだ時に、「Macとスケッチブックのどちらに記憶しておくか」という判断はされているのですか?

それは段階的なもので、ある程度スケッチブックで形を成してきたらパソコンに移るんですよ。基本はこっち(スケッチブック)で考えてますね。だから重くても持って歩かなくちゃならない。あと、これ(スケッチブック)は小さくてはダメなんです、僕は。

Q7. なぜスケッチブックが小さくてはダメなのですか?

それは僕がデザイン事務所にいたときに叩き込まれたことで、手書きでノートをとるときには「大きい紙に比較的小さい文字でモノを書きながら、全体を眺めながら考えていくってことをやったほうが良いよ。」ってデザイナーの人に言われたの。要するに、文字とか記号が置かれている場の関係みたいなものでニュアンスとかが伝わるっていうところがあるから、ワープロで頭からしか書けないというのはダメなんだよね。

Q8. エスノグラフィーなどをやる時に、水越先生独特のやり方といったものはありますか?

たとえばどこかに行った時に、どの階に何があって、どれくらいパーティションがあるかとかを見てます。あと、どの雑誌が置いてあるのかとかも。そういうこう、レイアウトデザインみたいなこととか、どういう服を着ているのかとか、普通インタビューじゃどうでもいいだろって言われるようなことを凄くよく見てますね、僕は。

Q9. それは、何か狙いがあって見ているのですか?

まあ、狙ってはいますよね。それは、「その人たちが本当はどういう人たちなんだろう?」っていうことについて彼らがインタビューで答えてくれることっていうのは、彼らが本当に言いたいことのごく一部に過ぎなくて、言葉にならないものを捉えるためにはモノとか空間とか人の身のこなしとか、そうゆうことが重要だっていう狙いがあるよね。それと、組織の状況認識とかって誰か1人に聞けば分かるとか、インタビューだけで分かるものではないから、そういった意味でも今言ったようなことっていうのが大事だなってことは思ってたことですね。

Q10. グループで仕事を行う際に考えていることなどはありますか?

グループでプロジェクトをやる、あるいは色んな得意分野のある人が連合体を組んで何かをやるときのコーディネートをするときには、自分の仲間だけを集めないようにしてます。なるべく色んな得意分野を持っている人を集めるっていうのが面白いなって思ってて、いまだにそうゆうことが好きですね。

Q11. そういったコーディネートをする際に、多様な人が集まるとうまくまとまらないような気がするのですが、その際に気をつけていることはありますか?

すごくベタな言い方なんだけど、仕事の話だけをしないというか、あれこれと色んな話をしますね。その時に大事にしてるのは、その人の仕事のことだけじゃなくて、その人の人間としての全体をなるべく知ろうとする。だから、話す時にはすごくざっくばらんに気の置けないことを話したり、冗談を言ったり、お酒を飲んだり、その人の氷山の一角じゃない全部を見るようなところまでを分かち合いながら付き合うというような、その人のごく一部では付き合わないといったことを意識してますね。その人の全体性をリスペクトするというか、シンパシーをもってコーディネートをすると、よくある「キャラとか専門性といったことでぶつかる」ということはなくなりますね。まぁ、それは努めてやっているというよりは、僕のキャラクターですけどね。

Q12. 最後に、カバンの中身を撮らせていただいてもよろしいですか?(笑)

あぁ、あんまり何もないけど、いいよ。(笑)

画像(リンク切れ)

気になるスケッチブックはマルマンのものです!

本日はお忙しい中、長時間のインタビューにお付き合いいただき、どうもありがとうございました!

編集後記

僕が水越先生にインタビューに伺った際に最初に言われた言葉が、「キミはどんな人なの?何の研究をしてるの?」といったものでした。最初はなぜ水越先生がこのようなことを聞くのかがわかりませんでしたが、インタビューが終わったときには、僕を単なるインタビュアー(仕事)としてではなく、僕全体として捉えようとしてくださったのかなと思いました。インタビューの内容からだけではなく、インタビューをすることそのものを通して水越先生の言わんとすることを学ぶことができました。これから関わり合う人に対して、僕もこのような「その人全体を捉えるような接し方」ができるように努めていきたいと思います。

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