2010.05.11

【エッセイ】どうしてプレゼンは字だらけになるのか

仕事に欠かせないツールになったPowerpointによるプレゼンテーションについて、Twitterで興味深いニュースが流れてきました。

敵はPowepointだ!
(The New York Times: We Have Met the Enemy and He Is PowerPoint)

刺激的なタイトルのこの記事では、アメリカ軍でPowepointによるプレゼン時間の浪費と「わかったつもりになる症候群」が問題視されていることが報告されています。
マクマスター将軍は、「なぜ危険かと言えば、それが状況を理解してコントロールしているという幻想を生み出すからだ。この世界の問題は全て箇条書きで表せるものではない。(not bullet-izable) 」と述べています。

軍隊だけでなく、一般的な組織でもPowerpointによるプレゼンテーションは問題になっているようです。

どうしてプレゼンテーションスライドは字だらけになるのか?
(cnet news: Why slides are too wordy)

こちらの記事では、箇条書きの危険性を指摘した上で、どうして文字だらけのプレゼンが作られるのかというプロセスを分析しています。
基本的には、発表者がスライドに依存せずにプレゼンできなければならないのに、現実はそうなっていないことから、人の語りなしで成立する「sliduments (スライド書類)」を作ろうとするところに、根本的原因があるという主張です。

この記事をTwitterで紹介したところ、面白いコメントがありました。組織レベルでそういう「スライド書類」を作るように指示しているところがあるようなのです。
こうなると、問題は発表者の力量ではなく、プレゼンテーションによる情報共有という活動が、仕事全体の中でどのような位置づけになっているかというレベルになります。スライド書類文化では、発表を儀式としてとらえていて、発表資料に合意事項がもらさず書いてあるかどうか(つまり、後から聞いていなかったと言われたときに証拠として反論できるようにすること)を重視しているのでしょう。

ただ、もしそうだとすれば、もっと厳密に記述された書面の形で確認した方がよいように思います。アメリカ軍の事例もそうですが、問題はPowerpointというツールそのものよりも、全てを箇条書きで記述し理解しようとする文化にあるように思います。箇条書きは楽ですが、万能ではありません。箇条書きにできない問題に対しては、事例をじっくり検討することや、しっかり構造化されたレポートを議論で改訂すること、インタラクティブにアイデアを出す対話型のセッションを行うことなど、いろいろなアプローチがあります。大事なことは「本当にここはPowerpointを使うべきところなのか」と疑ってみる態度なのかもしれません。

[山内 祐平]

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