2010.02.09

【エッセイ】どうして日本人は質問しなくなるのか

日本では、大学の大人数講義で「質問はありますか?」と聞いて手をあげる学生はほとんどいません。たまに手をあげる学生がいると、好奇の目で見られます。
これは世界共通の現象ではなく、欧米では多くの学生が積極的に質問するのが普通です。
不思議なことに日本の小学校の授業では活発な質疑応答があり、グループ学習でも議論がもりあがりますが、中学校に入ると、ぴたっと誰も質問をしなくなります。
限られた経験からではありますが、欧米の学校では、むしろ小学校の方が静かで、中学校・高校と進むに従ってしっかり自分の意見を言う学生が増えるように思います。
だからといって日本の学生が考えていないわけではなく、その証拠にレポートを書かせると非常によく練られたものが提出されて舌を巻くことがあります。このような文化差はどちらが優れているというものではありませんが、協調学習やワークショップなどを考える上で、重要な条件としてあらわれてきます。

このような傾向がどこから由来しているのかについて、現在の研究で決定的な説明はありません。ここでは仮説レベルで検討してみたいと思います。

・社会に埋め込まれた文化的コード
日本社会においては、「目立つことや人と違うこと」を「恥ずかしいこと」であると解釈する文化的コードが存在しています。このことが歴史的にどう形成されてきたかは議論の余地がありますが、現状そうなっていることに疑義はありません。

・自己概念の発達と社会との関係性構築
中学校に変わるタイミングでの変化ということから、自己概念の発達が何らかの役割を果たしていることも推測できます。自己概念を形成する際には社会の中での自分の位置づけも意識せざるをえなくなりますので、その際にさきほどの文化的コードが内面化されるということも考えられます。

・学校教育の影響
ただ、自己概念の発達だけが要因なのであれば、中学校に入って「一気に」変わることの説明がつきません。発達には個人差があるので、全員が一斉に変化するのは不自然です。中学校に入る際に、複数の小学校から合流し、いったん人間関係がリセットされる際に、中学校独自の文化的コードが内面化されている可能性もあります。

仕事柄小学校や中学校の先生方に研修の機会を持つこともあるのですが、おもしろいのは先生も学生と同様の反応をすることです。40人を相手にして「質問はありますか?」と聞くと手があがることはほとんどないのですが、ワークショップ形式にして4人で話をしてもらうと、制止しても止まらないほど議論がもりあがります。

このようなことから、小学校6年間グループで話し合う経験から、小集団(特に4人)までのコミュニケーションスキルは発達するが、中学校・高等学校の6年間相互作用が活発でない授業を受けている間に、質問することは恥ずかしいという文化的コードが内面化された結果が大学の授業に現れているのではないかと考えています。

[山内 祐平]

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