2010.01.19

【エッセイ】ノートをとること

大学でノートをとっているのは日常的な風景ですが、歴史的に見ると、大学生がノートを使うようになったのは近代以降のことです。中世の大学では、教育活動のほとんどが口述で行われていました。教師の語りを記憶し、面接で確認するのが授業の典型だったのです。

「(中世における)大学での教育はもっぱら口述でなされていた。このことは討論を持ち出すまでもないだろう。教師は「購読」内容を書き取らせてはならなかった。当時の学生はノートもとらずに教師の説明を追いかけていたのである。」

ークリストフ・シャルル/ジャック・ヴェルジェ著「大学の歴史」白水社, 2009 p.45

近代になって大学生がノートをとるようにになった理由は大きく二つあげられます。まずはインフラが整ったことです。近代的な産業の興隆を背景に、工場で大量のノートを生産することが可能になりました。現在利用されている形状のノートが流通するようになったのは19世紀初頭です。また、鉛筆が工業製品として本格的に普及し始めたのも同時期です。大量生産による価格低下がなければ、貧しい学生はノートや鉛筆を購入することはできなかったでしょう。

次に大学の変化があげられます。中世の大学は法学・医学・神学を対象としたもので、限られた人たちしか行かない特別な組織でした。産業革命による社会の変化に対応するため、19世紀から20世紀にかけて、現在のような学部構成で社会に卒業生を送り出す近代的な大学が整備されたのです。大学教育の目標の変化に伴って、専門的な知識を記憶したり、手続きを記録し再生するスキルが重視されるようになりました。

現在我々が当たり前だと思っている大学教育の姿は、100年後には大きく変わっているでしょう。学生全員がネット接続デバイスを持ち、大学教育の目標が知識創発にシフトすれば、記憶のためにノートをとるのではなく、コミュニケーションのためにノートをとる時代が来るかもしれません。教育におけるメディアの利用形態は、その時代における学びと社会の関係の縮図なのです。

[山内 祐平]

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