2008.07.18

【山内研と私】歴史教育、3つの違和感、覚悟(池尻)

山内研に入るきっかけを紹介する、【山内研と私】。
第4回は、池尻が担当いたします。

以前にも書きましたが、私は将来歴史の教師になろうと思って、この20年近くを生きてきました。ところが大学で勉強を続けるうちに、現在の歴史教育への「違和感」を抱くことが多くなりました。

私は専門性を重視するために、教育学部ではなく歴史学部に進んでいたのですが、そこで、思った以上に歴史学の深さを知ってしまいました。高校までの暗記とは全然違い、何故こういう結果になったのかを考えることで、現代にも通じるような理論めいたものが見えてくることが面白くて仕方なかったのです。だからこそ、子ども達に暗記中心の歴史を今まで通り教えることに違和感を持ったのです。

そこで、「よし、この役に立つ歴史学を子ども達に教えよう!」と思ったが最後、私の人生は路頭にさまようことになります。

まず、歴史学部から異端扱いをされ始めました。歴史学部では過去に何が起こったのかを追究するものだという風潮が強い学部のため、歴史学のスキルを子どもに教えようと考える私の居場所は無かったのです。

「じゃあ、教育学部に行ってみよう」と思い、色々な教授のゼミに参加したのですが、どうもしっくり来ない。歴史科教育の授業では、相変わらず知識の教え方ばかり追求しているし、教育学の授業はどこか現実味がないような気がしていました。案の定、ここにも私の居場所はありませんでした。

大学への期待が絶望に変わり、もうこうなったらすぐに教師になろうと思って教員採用試験の勉強を始めた頃、二つ目の「違和感」が出始めました。それは、社会に出たこともなく、学問も中途半端な新卒教師が一体子ども達に何を教えられるのかというものでした。経験不足は否めませんでした。

そこで、「就職活動をしてまずは社会を見てみよう」と思って就職活動を始めたのですが、「弊社を選んだ理由は?」に対する自分の答えが薄っぺらなものだとすぐに自覚しました。電車の窓に映るスーツ姿の自分を見て、一体何をしているのかとため息がもれ、就職をすることへの「違和感」が出てきました。やっぱり研究をしようかと大学に戻るも、私の考える歴史教育研究に合った居場所はありませんでした。

この3つの違和感のどれかを受け入れれば楽だったのかもしれません。でもどうしてもそれが出来ず、将来どうしようかと思いつつ、例のごとく教育学部の授業を受けている時に、山内先生に会いました。別に事前に山内先生を知っていたわけでもなかったのですが、実践的で柔軟な教育方法を聞いているうちに、「この人は他の教授と何かが違う」と思い、先生の所属を探っているうちに情報学環という大学院があるということを知りました。

どんな大学院かと先生に聞くと、「色んな研究者がいます。いわゆる学際です。新しくて面白いことなら何を研究しても良いんですよ」と説明され、「お金を稼ぎたいなら企業へ。好きな研究をしたいなら私の研究室に来てください」と笑顔で言われました。ああ、良かった。ようやく3つの違和感を受け入れずに生きていける道が見えたと思いました。諦めずに粘ってみるものだとつくづく感じました。

ただ、山内研に限らず情報学環全体に当てはまることだと思うのですが、基本的に好きなことをさせてくれる反面、学際という性質上最終的には誰にも頼ることができません。違和感を受け入れないからこそ、他人と生きる道が違うからこそ、この道で生きていくには相当の覚悟が必要になります。この覚悟が自分にあるのかと数ヶ月頭を悩ましたこともありましたが、「それでも行く!自分の人生の責任は自分で取る!」と決意したことが、私が山内研に入ることになった最後の一歩だったような気がします。

こう考えると、情報学環山内研への受験のプロセスは自分を大きく成長させてくれました。

ちょうど今日が情報学環の願書締切日です。受験者、特に学生の皆さんはまだ揺れている人も多いと思いますが、妥協せず悩みに悩んで、自分と話しながら後悔しない道を模索してみて下さい。きっと人生の大きな財産になると思います。健闘を祈っています。

[池尻良平]

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