2008.05.27

【エッセイ】「気前のよさ」をささえる文化というシステム

5月10日に、情報学環・福武ホールオープニングシンポジウム「世界の一元化に抗して文化に何ができるか」が開催され、好評のうちに終了いたしました。お手伝いいただいたみなさん、参加していただいた方々にお礼申し上げます。シンポジウムの様子は5月24日の朝日新聞に掲載されたほか、7月上旬でNHK BSフォーラムで放映される予定です。またお知らせします。

このシンポジウムではいろいろ面白いことがあったのですが、個人的には大阪大学総長の鷲田先生が最後のまとめで発言されていたことが心に残りました。(以下のまとめは私なりの解釈も入っています)

「アーティストの強さは、彼らがリベラルであることから来る。ここでいうリベラルは、自由というよりも、英語でもう一つの意味である”気前のよさ”という意味である。彼らは普通だとありえない時間や労力をかけて、表現活動をおこなっている。自分のもてるものをおしげもなく最大にふるまう、その気前のよさこそが、創造的なエネルギーの源泉になっている。」

自分のもてるものをおしげもなくふるまう「気前のよさ」をささえる、文化というシステムがなければ、創造的活動は生まれないのでしょう。

それはすぐ役に立つのか、いくらの金銭的価値になるのか、という問いは、この世に生きている以上、逃げることはできません。しかし、この呪縛からいくばくか逃れられる場を用意していかないと、新しいことを生み出すエネルギーは失われていくのだと思います。

[山内 祐平]

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