2008.01.07

【エッセイ】論文の文体

毎年1月最初のゼミは、修士論文を集団添削する会になります。論文の間違いや表現のおかしさは自分ひとりではなかなか気がつきません。文章は、人の目を通ってはじめてよくなります。
学際情報学府のような多様な研究が行われている大学院では、領域による文体のずれをどう調整するかという問題がでてきます。自然科学系(理学・工学)の論文は、簡潔で短い文章が標準です。冗長な言い方をしていると、「無駄な言葉を使って」ということになります。
人文社会系(文学・社会学)では、程度の問題はありますが、表現の分厚さや余韻も「文章表現力」の指標になります。学際的な研究を行って学問の壁を越境しようとすると文体が分裂しそうになることがあります。それを統合するのは、新しい文化をつくる作業なのかもしれません。
ただし、どのような領域でも、自信のない文章はよくありません。「この論文の結論はおそらく正しいと考えているが、人によっては議論の余地があるかもしれないと思われる。」では、読者は苦笑いしてしまいます。
余韻と冗長は紙一重です。余計なものは含まれていないが、奥行きを感じさせる文章は、書くのは難しいですが、どの領域でも歓迎されます。自分でもなかなかできませんが、心がけたいものです。

[山内 祐平]

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