2007.10.16

【エッセイ】学習のレベル

後期の授業が始まりました。大学院の基礎科目「文化・人間情報学基礎III」では、同僚の水越さんと一緒に毎年数名の「知の巨人」の思想の変遷を追う授業を行っています。
今年、私が選んだのは、マリア・モンテッソーリとグレゴリー・ベイトソンです。モンテッソーリは幼児教育、ベイトソンはダブルバインドなど精神分析領域の業績が有名ですが、今回は、モンテッソーリを「史上初の学習環境デザイナー」、ベイトソンを「学習を教育から解放した巨人」として位置づけています。
ベイトソンの学習論として有名なのが、学習とコミュニケーションの階型論です。これは、学習をゼロ学習から学習IVまでにレベル分けするもので、非常にユニークな考え方です。

「ゼロ学習の特徴は、反応がひとつに定まっている点にある。その特定された反応は、正しかろうと間違っていようと、動かすことができないものである。
学習Iとは、反応がひとつに定まる定まり方の変化、すなわちはじめの反応に変わる反応が、所定の選択肢群の中から選び取られる変化である。
学習IIとは、学習Iの進行過程上の変化である。選択肢群そのものが修正される変化や、経験の連続体が区切られる、その区切り方の変化がこれにあたる。
学習IIIとは、学習IIの進行過程上の変化である。代替可能な選択肢群がなすシステムそのものが修正されるたぐいの変化である。(のちに見ていくように、このレベルの変化を強いられる人間やある種の哺乳動物は、時として病的な症状を来たす。)
学習IVとは、学習IIIに生じる変化ということになろうが、地球上に生きる(成体の)有機体が、このレベルの変化に行き着くことはないと思われる。ただ、進化の過程は、個体発生のなかでIIIのレベルに到達するような有機体を生み出しているわけであるから、そのような個体発生上の変化を変化させる系統発生上の変化は、事実IVのレベルに踏み込んでいるといえる。」
(精神の生態学, 1972)

この時代の学習観の主流である行動主義的学習観をカバーしながら、コミュニケーション論と進化論まで統合してみせる切れ味には脱帽するしかありません。
学習を支援する応用的研究をしていると、単純な学習には行動主義、社会的学習には社会的構成主義と使い分けたくなる誘惑にかられることがありますが、本来新しい理論体系は、古い理論が対象としているものも整合的に説明できる必要があります。
そういう意味では、行動主義と構成主義の関係は、パラダイムシフトとよべるものではないのかもしれません。ベイトソンの階型論は理論と呼ぶには荒すぎるスケッチですが、統合理論の方向性を指し示しているように思います。

[山内 祐平]

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