2006.10.26

【Book Review】「幼児教育へのいざない―円熟した保育者になるために」

「幼児教育へのいざない―円熟した保育者になるために」
佐伯 胖 (著) 東京大学出版会 (2001/12)

この本は、7月22日の【Book Review】で紹介した「新コンピュータと教育」の著者・佐伯先生の初めての保育論の著書です。
「保育研究」が未だ「教育研究」になっていない現状を背景に、先生なりの保育に関わる"教育"としての根源的な問いを探り出し、教育学研究としてのスジをつける事を目的として書かれたそうです。そこには三本の柱があります。

1.「文化的実践への参加」
本書では、保育を、「(子どもの)文化的実践を、(子どもとともに生きる)文化的実践で、(子どもが成長し、文化の担い手となる)文化的実践へ導くこと」だとしています。
「文化的的実践」といったとたんに、それはもう、単独の個人のいとなみでないばかりでなく、特定の幼稚園や保育園の「園内」のいとなみにとどまらないことになります。親や地域の人々と「ともに生きている」ということがおのずから含意されます。それらの人々が、保育に実際に参加し、交流しつつ、保育の内容を豊かにしていくという実践活動は、ごく自然な発展として、のぞましいということが導かれます。親や地域の人たちが幼稚園や保育園の実際の保育にかかわってくるというケース、さらに、幼稚園や保育園の子どもたちが、親や地域の人たちと触れ合うことが自然に導かれます。

2.「ドーナッツ論」
ドーナッツ論を簡単に述べると、
人が世界とかかわりを作り出すとき、まずその人の自己(I)に共感的に関わる他者(YOU)とのかかわりをもつことが必要で、そのIYOUとのかかわりの世界を「第一接面」と呼ぶ。このYOUIとかかわるだけではなく、文化的実践が行われている現実世界(THEY)とかかわっているし、IYOUとともに、そのTHEYとかかわるようになる。
ということだそうです。このTHEYとのかかわりの世界が第二接面なのですが、ドーナッツ論をもとに先生が仰りたいことは、「二つの接面をバランスよく考慮しましょう」ということではなく、「二つの接面が自然に視野に入ってくるような保育の考え方を探り出さねばならない」ということだそうです。

3.「子どもらしさ」
先生は「子どもらしさ」として下記の点を挙げています。
  ・子どもは、時間をわすれ、我をわすれてものごとに「夢中になる」。
  ・子どもは、対象を「まるごと」取り込む。
  ・子どもは、自らが「表したいこと」を直接、まっすぐに、表す。
  ・子どもは、自らの「疑問」を、何の脚色もなく、当たり前に、そのまま出す。
子どもの営みの「文化的実践」とみなすということは、「こどもらしさ」を、未熟だとか、幼稚だというような見方をしないことだそうです。むしろ、「子どもらしさ」はわたしたちの文化として大切な特性であり、大人も含めて、あらゆる人々が「見習わなければならないこと」なのであるとしています。


この書は、保育を職とする人だけでなく、一保護者にとっても有用な知見が満載であると思います。園との関わりで保護者自身も成長していきます。ともに生き、ともにかかわり、作り上げ、さらに子どもから学ぶという視点のおかげで、私は幼稚園の保護者としての二年間を大変ポジティブに、活動的に過ごすことが出来ました。

ちなみに、先生を「幼児教育の世界」へいざなった方の一人が現在御茶ノ水女子大学助教授の刑部育子先生だそうです。当時学生だった刑部先生の修士論文指導の際、保育実践の世界に奥行きの深さ、そこにじっくり取り組んで考えることの、つきることのない「おもしろさ」を知ったとのことです。今年の山内研夏合宿の際、函館未来大学を案内してくださったのが刑部先生でしたね。今回、書を読み返して驚きました。

この本に出会ったのは3年前ですが、どうやら私の場合、この本によって幼児教育の世界にいざなわれたようです。 [佐藤 朝美]

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