2016. 7. 3 開催
第5回 公開研究会

学生の学びは変わるか?反転学習のここまで、ここから

パネルディスカッション FLIT Seminar
溝上慎一 FLIT Seminar

溝上慎一
京都大学/教授

塙雅典 FLIT Seminar

塙雅典
山梨大学

山内祐平 FLIT Seminar

山内祐平
東京大学

森朋子 FLIT Seminar

森朋子
FLITフェロー・関西大学

ファシリテーターとの役割ではない、教員の教科の専門家としての役割とはどのようなものか?

溝上 生徒の意見のまとめをする時に、生徒のレベルではなく、1つ2つ上の次元でまとめるといったところに教師としての役割があると考えています。それがもし生徒とか教科書レベルのまとめで成立してしまうようであったら、先生いらないよって生徒に思われてしまうんじゃないかと思うので、やっぱり知識のところで1つ上のことを示す必要があるのではないかと思います。

山内 私としては講義などのダイレクトインストラクションが授業の外に出たとしても、ティーチングの本質は失われないと考えています。学生の発表や議論を聞いていて、適切な指摘やアドバイスをできるのは、それに関する内容知を持っているからです。つまり、ファシリテーションの中でティーチングをしているのです。これをファシリテーションと呼ぶか、ティーチングと呼ぶかは用語の問題だと思っています。

反転授業において講義映像をどう作り、見せるか?

山内 反転授業では知識教授のルートがビデオに変わっていて、実はビデオの作り方とか生徒のビデオ視聴の質が結構効くんですね。だから逆にこれを問題にした方がよくて、ビデオの作り方にはいろいろな工夫ができるということを意識するべきだと思います。

山梨大学でやっている工夫としてはノートをとってきてもらうということをしています。ノートを作る時の、評価のためのルーブリックを事前に配布して、授業時に学生同士で相互評価させたり、授業後にノートを集めて採点したりしているという授業もあります。そのような形で、ビデオをこのように見てください、それでノートを作ってきてください、といった指南をしています。

パネルディスカッション FLIT Seminar

講義映像を見るという予習の段階に対する評価を重視するべきではないかと考えているのですが、教員がどこまで介入していいものでしょうか?

私は予習を評価しようとはあまり思っていません。講義を見てくることはもちろん学習の一部ですが、対面の授業でいかに学生が認知プロセスの外化を行えるか、というところが肝要だと思っています。ですので、予習のところまでぎちぎちに評価する必要はないのではないかという立場に立っております。

山内 原理的には、予習を評価に入れるパターンと入れないパターン、どちらもあると思いますが、実態としては予習を成績に組み込む例はあまりないと思います。というのも、根源的な問題として、宿題とは何かという問題がある。つまり、学校外での学習を授業相当として良いのかというところです。授業相当ならば成績をつけても良いのだけど、授業相当でなければフェアでないってことになってきてしまうわけです。

反転授業で学生の学びは変わるのか?

変わってほしいと思っています。こういうことをやることによって学生に、自分に適した学び方というものを身につけてもらい、自分で調べて、自分で必要な知識を手に入れて、それを正確に表現するということをできるようになってほしいと思います。

溝上 この段階で、反転授業によって学生や学習が変わっていくということを言えるわけではないですが、私が反転授業に興味を持って関わっているのは、アクティブラーニングの中にある、協調学習やPBLといったものとは違う観点からフォーカスされる問題が深掘りされることで、アクティブラーニングの学習パラダイムを推進する契機になるんじゃないかと思っているためでもあります。

山内 変わる可能性があると考えています。ただしその際の有効条件が2つあります。それは、反転授業をはじめとする様々な授業改善の動きを総動員し、かつ教員が本気になってやろうと思いそれをやる環境が整備される必要があります。

私は、カリキュラム自体に目を向ける必要があるのかなと思っています。日本の大学では高度な探究型学習は3、4年次のゼミ等があるので、基礎学力の定着を目指すそれよりも1年生の基礎科目のようなところで反転を多様にして、探究型ゼミ等に繋げていく、といったようなことを考える必要があるのではないかと思います。

パネルディスカッション FLIT Seminar