UTalk / 応用人類学入門ー「プロの素人」として世界をみるー

早川 公

先端科学技術研究センター 特任准教授

第210回

応用人類学入門ー「プロの素人」として世界をみるー

9月のUTalkは、応用人類学がご専門の早川公さん(東京大学先端科学技術研究センター 特任准教授)をお迎えします。文化人類学のフィールドワークやエスノグラフィーの手法をもとに、まちや学校、企業などの“文化”を見つめ、そこにいる人々とともに未来を描く――それが応用人類学です。早川さんはこれまで、商店街やインクルーシブスポーツ、農業や大学など、さまざまなフィールドを見つめ、課題解決に向けた提案を行ってきました。そして、どんな現場でも大切にしているのが、「プロの素人」として世界を見ることだといいます。そのまなざしには、私たちが日々過ごす職場やまちを見つめ直し、よりよい未来を描くためのヒントが隠されているかもしれません。皆様のご参加をお待ちしております。

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昨今の大学では「役に立つ学問」を求められる風潮が強まっています。学生時代から文化人類学が専門だった早川さんも例外でなく、かつて他の学会では、例えば人間理解の重要性を主張しても、「それって何の役に立つの?」と聞かれることがよくありました。けれども、そんな文化人類学が最近は「旬だよね」とビジネス領域から注目されることが増えてきたといいます。

日本では民族学とも言われる文化人類学ですが、そもそもどのような学問なのでしょうか? その理念を一言でまとめるのなら、「他者の世界を理解しようとすることによって、自分が生きる世界を分かりなおす学問」と表現できます。例えば遠く離れた国にいる民族のもとへフィールドワークに行けば、そこでは大なり小なり様々なカルチャーショックを受けるはずです。時には「おかしい」慣習や価値観に驚いたり、ムッとしたりしてしまうようなこともあるでしょう。文化人類学的には、その瞬間に「おかしい」相手と、それを「おかしい」と感じる自分が同時に発明されると言えます。つまり異文化を理解する試みが、自文化の当たり前を見直すことにもなるのです。このような瞬間を捉えて記述していくことが文化人類学の基本であり、観察者自身が変容していくことを認める点で古典的な自然科学とは大きく異なります。国際的に広く受け入れられている「文化相対主義」の考え方などは、その主要な学問的成果の一つです。

そして現代社会における様々のコミュニティの問題解決にも、文化人類学の方法論を生かせないだろうか——このような発想で生まれたのが応用人類学です。現地の文化・文脈を理解するだけでなく、そのより良いあり方を探るというのが目標になります。多少の差はあれど多くの研究者は文化人類学と応用人類学を両立しており、早川さんは特に応用への関心を強く持っています。例えば学生時代にはつくば市の商店街を拠点とし、地域特産品の開発や、空き家の文化財化をはじめ様々なプロジェクトに参画してきました。文化というのは何も、そこに既に存在しているものだけではありません。例えば失われていた伝統儀礼といったものにも目を向け、地域の人々と関わりながらその伝統を復興していく中で、新たな価値を創り出していくこともありました。

近年、早川さんは大学授業の改善業務など、組織開発の方面にも携わっていらっしゃいます。人類学の実践者として早川さんが大事にしているのは、「プロの素人」という視点です。実はこれこそが、人類学に社会的注目が集まるようになった理由でもあります。ビジネスにおけるイノベーションの源泉として「デザイン思考」という考え方が広まり、今まで当たり前と考えられていた物事を新しい視点から捉えることが重んじられるようになりました。まさしくその点で、人類学的な姿勢——例えば「人間の行動を新鮮な驚きを持って受け入れる」「判断せずに観察する」「手がかりを求めてゴミ箱さえもあさる」——が評価されたのだと言います。一般にプロの専門知は、もちろん不可欠です。しかし、それだけでは立ち行かなくなることもあります。そんな時は一度専門知の眼鏡を取り外し、まっさらな目で問題を見直してみると、そこに突破口が見えてくるかもしれません。さらにそれを専門知や個々人の特性とうまく掛け合わせることができれば、「人事の妙」や「なりゆき」から始まる一見退屈な仕事にも主体的に意味を見出すことができるでしょう。早川さんがオススメするのは「自分の中に『プチ・人類学者』をインストールしておくこと」です。先の例のゴミ箱のような身の回りの物や場所、例えば通勤風景でも街の看板でも何でも良いので、とにかく文字や写真で記録し観察してみる。それを積み重ねるうちに、そこに暮らす人々の行動や価値観が見えてくるかもしれません。そうして浮かんだ素朴な疑問や違和感を大切に抱えておくことも、人類学への入り口となります。

今回参加された皆さんの盛り上がりは、過去に類を見ないものとなりました。会が終わった後も半分以上の方々が残り、たくさんの質問を早川さんにぶつけます。もともと文化人類学に興味のある方々が多かったそうですが、それにしても帰る気配がほとんど見えません。UTalkの運営陣としても、大変な驚きでした——こういったことを書き留めることも、プチ・人類学者をインストールするための一歩となるでしょうか? UTalkを通して、皆さんの日常にも新しい物の見方や気づきがもたらされることを願っています。早川さん、そして参加者の皆様、誠にありがとうございました。

[アシスタント 村松光太朗]