情報理工学系研究科 助教
第209回
8月のUTalkはヒューマンコンピュータインタラクションを専門とする瑞穂嵩人さん(情報理工学系研究科 助教)をお迎えします。瑞穂さんは、バーチャルリアリティ (VR) を使って自分・他者・環境といった様々な要素を編集し、VR体験が記憶に与える影響を調べています。VRはしばしば仮想現実と訳されますが、本来「バーチャル」は「本質的な」という意味を持ち、VR研究のゴールはリアリティの本質を探求することだと言えます。記憶に影響を及ぼす、現実の「本質」はどこにあるのでしょうか。みなさまのご参加をお待ちしています。
バーチャルリアリティ(VR)という言葉に、どのようなイメージを持たれていますか? 例えば頭にゴーグルやヘッドホンをかけて、CGやアニメーションで作られた3次元空間を体験する光景が想像されるのではないでしょうか。そのようなイメージもあり、ニュースや雑誌では和訳として「仮想現実」という言葉がよく充てられます。しかしこれは正確でない、と瑞穂さんは語ります。本質的・実質的というのが「バーチャル (virtual)」の本来の意味合いです。つまり作られた空間であっても、それが現実空間と共通の性質を持つのであれば、それは実質的にはリアリティだと言えます。VRを作ることは、「現実の本質とは何か」を問うことになるのです。
学部時代から一貫してVRの研究に取り組んでいる瑞穂さんは、その切り口として記憶という現象に着目してきました。現実の生活は、経験されるあらゆる物事の記憶によって形作られています。この記憶というのは環境に依存しやすく、私たちは様々な物事を周辺情報と紐づけて記憶する傾向にあります。「今日の回を皆さんが振り返る際にも、『東京大学の本郷キャンパスのカフェ』で『夏場の昼下がり』に『若い男性研究者』が『喋っていた』という情報がセットで思い出されるかと思います」。もしそのような環境情報を自由に編集できるのなら、記憶にも干渉できるかもしれません。例えばゴーグルやヘッドホンで視覚や聴覚を操作するだけでも、没入感の高い人為的な環境を様々に作り出すことができます。そうして作られた刺激がどうリアルに感じられて、どう記憶に作用するのか?——瑞穂さんはこれを調べることで、記憶と現実の関係性を紐解こうとしているのです。
具体的な事例として、いろいろな場所で覚えたことは忘れにくいという話があります。家のリビングだけでなく、図書館やカフェなど場所を変えて勉強することで、その場所の記憶と共に覚えた内容が想起されやすくなるというのです。ただ、日常的に様々な場所に足を運ぶのにも限界はあります。そうした制約を越えて、多様な環境をその場で体験可能にするのがVRです。瑞穂さんはVR上で、実在する様々な場所の映像をプラネタリウムのように周囲に表示し、そこでの語学学習の効果を検討する研究を行いました。すると実際に場所の映像をコロコロと変えた場合には、学んだことをより忘れにくくなったとのことです。
記憶の定着を左右するのは、こういった場所や環境だけではありません。話し相手が誰だったか、どんな見た目だったかといったことも重要です。例えば講義をしている先生の見た目を、動物など様々なアバターに変換すると、学習効果が上がることがあります。このような他者が記憶に与える効果は、相手が物理的な実体を持つロボットである場合と、実体を持たないバーチャルなロボットの場合では、やや異なる特性をもつことも分かり始めているようです。また記憶への影響については、私たちの持つ身体の存在も無視できません。現実でも化粧や服飾で自分の見た目を変えることはできます。しかしVRの世界なら、新たな腕を生やす、アインシュタインや猫の体になるといった劇的な編集が可能です。そもそもVRでは、身体がないという状況がデフォルトになりがちです。だからこそ身体が重要ではないか、記憶の土台になっているのではないかという発想が出てきたのです。実際に瑞穂さんはVR上での手話学習で、実験参加者の身体をコロコロと入れ替えると、学んだことを忘れにくなったと言います。「これが自分の博士研究のイチオシパートです!」
以上のように、環境・他者・身体といった出来事を取り巻く多様な文脈へのアプローチが紹介されました。こうした文脈と記憶の関係性というアカデミックな興味もさることながら、瑞穂さんはその社会実装にも関心を示されていました。例えばVRを利用して様々な文脈を編集し、記憶力を何倍にも高められる日が来るかもしれません。参加者の方々からも、機械製造などの現場で利用できる可能性に期待が寄せられていました。また記憶という「ここにはない」過去を作り出す過程だけでなく、予測や創造といった「ここにはない」未来を作り出す方面にも広げ得るかもしれません。妄想や夢といった世界も、その延長線上にあると言えるでしょう。瑞穂さんが見据える「現実の本質」、すなわち私たちは何をもって「リアル」だと感じるのか。その探究の地平は、VR技術によってさらに広がっていくはずです。そんな夢が垣間見える素晴らしい回となりました。瑞穂さん、そして参加者の皆様、誠にありがとうございました。
[アシスタント 村松光太朗]