UTalk / もう一度考える、科学とのつきあいかた

内田麻理香

教養学部附属教養教育高度化機構 特任准教授

第206回

もう一度考える、科学とのつきあいかた

5月のUTalkは、科学技術コミュニケーションと科学技術社会論がご専門の内田麻理香さん(教養学部附属教養教育高度化機構 特任准教授)をお迎えします。 新型コロナウイルスの流行を機に、陰謀論が流布しました。また今年の米国大統領再選のニュースを機に、科学と政治のあり方にも注目が集まっています。しかし科学に対する不信を抱く人々に対し、科学的な知識を押しつけるだけでその不信を解消しようとする考え方は「欠如モデル」と呼ばれ、よい解決策にはならない、と内田さんは考えます。実はご自身が欠如モデルの発想で人々に科学的知識を伝えて科学ファンを増やそうとし、上手くいかなかった経験が、現在の研究のきっかけとなったそうです。これからの科学とのつきあいかたのカギは「日常生活の中にある科学を“楽しむ”こと」と語る内田さん。欠如モデルを乗り越え、日常の中の科学の楽しさを見つける方法についてお話を伺います。みなさまのご参加をお待ちしております。

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あなたの身の回りで、科学に触れる機会はありますか? 例えばサイエンスショーや実験教室、科学ニュース・番組・雑誌、サイエンスカフェなど——こうした活動は、一般に「科学技術コミュニケーション」あるいは「サイエンスコミュニケーション」と呼ばれます。具体的な形こそ様々ですが、科学と社会をつなぐことを目指している点では概ね共通しています。内田麻理香さんは東京大学の大学院生を対象とした副専攻プログラム「科学技術インタープリター養成プログラム」において、こうした科学技術コミュニケーションの教育・研究に携わられています。

内田さんは中学時代から理系を志していました。そのきっかけは『機動戦士ガンダム』だったと言います。作中で描かれたような宇宙の暮らしを実現する仕事に携わりたいと考え、大学では工学部に進学しました。しかし大学院に進んでから自身の目指すべき道に漠然とした違和感を抱くようになり、道半ばで断念することに。その後の生活で内田さんは家事に真面目に取り組み始めましたが、当初は失敗が多くあったそうです。例えば料理であんかけを作るのに、片栗粉でなく小麦粉を使ってしまったのだとか。なぜ失敗してしまうのかと思い原因を探ってみたところ、デンプンの性質によって「粘度」が異なるということがわかりました。このように、家事の失敗を通してかつて縁が切れたはずの科学との新たな出会いがありました。学校や実験室だけでなく、家事のような日常の世界にも「見えない科学」が潜んでいたのです。内田さんはここに着目し、家庭の科学にまつわるウェブサイトを立ち上げて情報発信を始めました。

しばらく活動を続けていた内田さんですが、やがて新たな壁に突き当たります。「こんなに科学が面白いということを伝えても、なぜ皆は科学を好きにならないのだろう?」。実際、自身の発信内容に興味を持ってくれた人々の多くは、学校の先生をはじめ元々科学に関心の高かった層でした。好きな人・詳しい人だけが内輪で盛り上がってしまい、新規の科学ファンはなかなか増えません。そんな状況にもどかしさを感じた内田さんは、新たに研究者としての科学技術コミュニーションの道を歩み始めました。

研究を始めて内田さんが知ったのは、自身が体験したようなことが科学技術コミュニケーションにおいてありがちな根深い問題だということです。人々が科学に対して不信感や忌避感を抱くのは科学を知らないからであり、科学的な知識を注ぎ込んであげればそれは解決する——こうした発想は「欠如モデル」と呼ばれます。しかし、これに基づくコミュニケーションはまず上手くいきません。例えばガンダムが好きでない人に対して「好きにならないのは知識が足りないからだ」と考え、作品の醍醐味や観るべき順番を事細かに説いたとします。果たして、その人は好きになってくれるでしょうか? 「むしろ、ますます敬遠されてしまうかもしれないですよね」と内田さんは語ります。科学への不信は陰謀論に結びつくこともありますが、それに対するアプローチとしても、欠如モデルは意味がないどころか逆効果になりかねません。

それでは、より良い科学技術コミュニケーションの形とは何なのでしょうか? 現時点で確かな正解があるわけではないものの、内田さんは一つの考え方として「相手の文脈を尊重すること」を挙げました。例えば医療に対して不信感を持つ人がいるのは、かつてお医者さんに邪険にされたことがあるからかもしれません。実際にそうした人々の信念や原体験に耳を傾け、コミュニケーションを試みようとする研究者・実践者もいます。欠如モデルはしばしば「一方向コミュニケーション」と混同されがちですが、上述の意図が満たされるのであれば、知識を一方的に伝えること自体は問題ではありません。「真に批判されるべきは、科学とは異なる文脈を上から目線で否定し、科学を押し付けようとする態度なのです」

今回内田さんが提供した話題には、思い当たる節がある参加者の方々も多かったようです。家族・友人との関わりや学校教育の場面など、身の回りのコミュニケーションにおける様々な体験談が共有され、白熱した議論が展開されました。「欠如モデル」について考えることは、科学をはじめとしたあらゆるコミュニケーションを円滑に行っていく上で重要なヒントを与えるのではないでしょうか。内田さん、そして場を盛り上げていただいた参加者の皆様、誠にありがとうございました。

[アシスタント 村松光太朗]