東洋文化研究所 准教授
第198回
9月のUTalkは中国の思想史、科学技術史がご専門の田中有紀さん(東洋文化研究所 准教授)をお迎えします。中国では古来より儀礼について論じる学問「礼学」の中で論じられ、人間社会を支える礼と技術は何らかのつながりがあると考えられてきました。田中さんは現在特に清代の学者江永(こうえい)に関心を寄せ、当時の中国の技術思想を読み解いています。文献に一字一句向き合う苦労はあるそうですが、当時の儀礼と技術の関わりを読み解いた先には、AIや半導体、通信といった先端技術で目覚ましい発展を遂げる現在の中国とのつながり、そしてこれからの人間と技術のあり方について何かヒントがあるかもしれません。皆様のご参加をお待ちしております。
本日は東洋文化研究所の田中有紀さんをお迎えして、中国における音楽や技術に対する思想についてお話を伺いました。 田中さんは音楽に昔から興味があり、卒論作成時から中国思想と音楽を絡めた研究をなされてきました。現在は音楽から広がって数学・天文学などの他学問にも研究領域を広げ、中国における技術と科学との関係性やそれらと中国思想との位置付けを研究していらっしゃいます。今回UT cafeには大きな七弦琴が持ち込まれ、田中さんが実際にリコーダーを吹いて音律の説明をされるなど、普段の回にまして雅趣に富んだ1時間となりました。
初めに話題に上がったのは、明代の思想家、朱載堉です。朱載堉は「十二平均律」を16世紀に発明した学者として知られます。十二平均律とは1オクターブの音程を12等分する音律理論のことで、現在の多くの楽器の調律理論として使われています。これは転調において非常に便利な理論であるため、マックス・ウェーバーによれば、合理化を推し進めた西洋近代の発展とも結びつきが強いとされてきました。十二平均律は西洋の世界で作り出されたものと考えられてきましたが、実は朱載堉により、西洋に先だって中国で理論が生まれたとも言われています。 古代中国ではもともと、三分損益律といって、笛を三分割し長さを増したり減らしたりする方法によって、十二律を計算する理論が採用されていました。しかしこの音律では三分割が基本単位になり、それを繰り返したとしても、ちょうど1オクターブ上の音を算出することはできなかったのです。古来より音楽に易学や暦との強い関連が見出されていた中国では、易学や暦が「往きて復た返る(同じサイクルを繰り返す)」のに対して音律が「往きて返らず」の状態であることが問題視されており、同じサイクルを繰り返すことができる十二平均律の発見は、とても重要だったと言えるでしょう。
次に田中さんが話題に上げたのは清代の思想家、江永です。江永は中国の思想が朱子学・陽明学から清朝考証学へと移行した転換期の学者で、「十二平均律」を唯一正確に理解した人物でもあります。 江永は二十四節気(季節を春夏秋冬の4つに区分し、さらにそれを6つに分ける方法)に関して定気法を提唱しました。同時代の著名な学者である梅文鼎が、当時の中国人の日常生活により身近な区分である恒気法を提案したのに対して、江永はより太陽の動きに即した区分法を主張したようです。これに対して田中さんは、太陽の真の動きという真理と二十四節気という人間の都合による技術は、なるべく一致させるべきだという科学技術観を江永は持っていたのではないかと指摘します。 そのほかにも江永は、真理を聖人が知っていたかどうかよりも、真理を日常で使えるような技術に落とし込もうとする人間の努力の重要性を述べており、他の清朝の学者とは一線を画す主張を持っていました。 このように清朝中国において西洋の知識を取り入れた科学技術論を呈した江永ですが、自らの科学技術論はあくまで中国古来の「儀礼」の学問の中に位置づけていたようです。つまり自然科学や技術は社会に働きかけるためのものであると考えており、それは、一方で技術に関する考証を追究し、一方で人間の心や社会をどう導くかに関連する儀礼を追究した江永の態度と一致しています。
技術倫理や科学倫理が重要さを増している現代では、倫理観を各技術に応用して物事を判断する場合が多いように感じます。その中で「儀礼」つまり社会倫理の中に、科学技術を位置付けた江永の捉え方は、倫理と技術の関係性について新たな視座を私たちに提供してくれるのではないでしょうか。
素晴らしいお話をしてくださった田中有紀さん、ご参加されたみなさんありがとうございました。
[アシスタント 川俣愛]