生産技術研究所都市基盤安全工学国際研究センター(ICUS)特任研究員
第130回
1月のUTalkは、ミャンマーの旧首都ヤンゴンでフィールドワークを行う松下朋子さん(生産技術研究所都市基盤安全工学国際研究センター(ICUS)特任研究員)をお迎えします。松下さんがヤンゴンで目に留めたのは、BDS(Back DrainageSpace)と呼ばれる背割り排水用空間。植民地時代に計画されたグリッド状の中心市街地にある、建物と建物の間の細長い路地裏のような空間です。ごみ溜め化して使われていないBDSを見て、松下さんは「勿体ない」と思ったそうです。民政移管以降、都市開発が進む中、社会的企業や自治体とともにBDSの再生・利活用に取り組む松下さんの研究を、ヤンゴンの人々の暮らしとともに紹介していただきます。みなさまのご参加をお待ちしております。
2019年1月、今年最初のUTalkでは、生産技術研究所都市基盤安全工学国際研究センター(ICUS)特任研究員の松下朋子さんにお越しいただきました。今回のテーマはヤンゴンの路地裏再生です。
もともと住宅復興など災害に関する研究を進めていた松下さんは2015年からミャンマーの防災力向上のためのプロジェクトに携わっていました。ある時、松下さんがミャンマーの旧首都ヤンゴンのダウンタウンを歩いていてふと目にとまったのがBack Drainage Space(背割り排水用空間)と呼ばれる路地裏空間でした。
ヤンゴンではイギリスの植民地統治時代にヤンゴン川に面する立地を活かした港湾都市形成が進められてきましたが、中心街のかたちは今も植民地時代から変わっていません。当時は洪水に対処するため、また日当たり・風通しの良い衛生的な都市環境を作るためイギリス人の手によってヤンゴンの中心街には下水・排水設備が整備されました。地下に下水管が通され、その上に現れたのが、日本の路地よりも幅が広く道路よりは狭い、幅5メートル、長さ250メートルの細長い空間、BDSだったのです。
しかし、松下さんがBDSを発見した時は、ゴミが散乱しており、行政の手によってフェンスが設けられ、立ち入ることも禁じられている状態でした。また、BDSについて記された資料も乏しく、周辺の住民に聞いても詳しい事情はわかりませんでした。松下さんは都市の真ん中で空間が使われず放置されているのは「もったいない」という意識をもつようになり、BDSについて調べ始めたそうです。
松下さんが住民の人に聞き取り調査をしていった結果、昔は子どもの遊び場として使用されたり、近所付き合いが活発に行われていた空間であったということが明らかになってきました。しかし、ヤンゴンの人口が増え、建物も高層化し、都市生活のマナーが新しく来た住民に十分に理解されなかったこともあり、BDSへのゴミの投げ捨てが始まりました。その結果、BDSを誰も使用しなくなり、治安が悪化したため、行政もそうした空間を閉じていくようになったのです。
しかし、全てのBDSが閉鎖されていたわけではありませんでした。一部の町内会のような組織では独自にBDSを管理する取り組みが以前からなされていました。例えば、そこでティーショップを開き、そこで生まれた収益をBDSの維持管理費に回すというかたちで、行政を介さずに住民同士でうまく空間を利用しながら維持していたのです。しかし、BDSは市の土地であるため、そうした取り組みも活動中止を余儀なくされるケースもでてきました。松下さんはこうした現状を前に、町内会レベルにある程度自治を任せて、空間を管理させるという仕組みを整えることが重要だと指摘していました。また、松下さんが調査を始めたのと同じ頃に、あるNPOが「BDSを庭にする」というスローガンのもと行ったパイロットプロジェクトが功を奏し、BDSの利用可能性に新たな光があたるようになってきました。ただ、そうした空間を継続的に維持してくためには、単にNPOや行政といった一部の人々のみが活動するのではなく、そこに住んでいる人々が自らの手で快適な空間を生み出し、維持していくことが重要なのです。上手な公民連携の姿を探っていくことが必要です。
また、BDSを活用していくにあたって松下さんが問題視しているのがBDSをとりまく周囲の集合住宅の非常階段の状況です。高層住宅の非常階段は、階下のBDSにつながるように設計されているのですが、BDSが使用されなくなったためか、そこにつながる非常階段も使用されなくなり、踊り場には物が置かれたり、壊れてもそのまま放置されたりして、上層階の住民は現在BDSにアクセスすることが難しい状況です。災害時に避難できないということは命に関わる問題で、こうした状況を変えていくことも重要な課題といえるでしょう。
ミャンマーでは長く続いた社会主義時代に都市建設が停滞していたこともあって、現在ヤンゴンには19世紀後半から20世紀初期にかけて建てられたコロニアルスタイルの建物が多く残っています。しかし1990年代頃からは徐々に開発が促進され、商業施設やホテル があちこちに建設されるようになり、開発と保全をいかに両立させていくかということが問われています。そうした状況のなか、昔からあった歴史遺産と言えるBDSの空間を活用するということは、ヤンゴンの都市の魅力を増すために、非常に重要な取り組みであるといえそうです。
参加者の方からは、そうした取り組みに対する住民のリアクションについて質問が上がっていました。松下さんはプロジェクトが実施されたBDS周囲の住民に対して世帯調査を実施したところ、BDSに近い一階の住民はBDS改善にも意欲的にかかわる一方で、上層階の人は関心が薄いという構造があると指摘されていました。また、住民にとってはBDSの空間というよりも、まずは排水設備そのものの改善に関心があるという声も聞かれたそうです。松下さんはそうした温度差があるということを踏まえつつ、どのようにしてより多くの住民をプロジェクトに巻き込んで、いかにしてBDSを持続可能な形で活用していけるかという部分が課題だと説明されていました。
松下さん、参加者のみなさま、どうもありがとうございました。
[アシスタント:中川雄大]