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板津木綿子

総合文化研究科言語情報科学専攻 准教授

レジャー政治学への招待状

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概要

11月のUTalkは、文化史を専門とされている板津木綿子さん(総合文化研究科言語情報科学専攻 准教授)をお迎えします。板津さんが辿ったのは20世紀初頭の日本やアメリカの歴史。そこでは、資本主義、都市化、移民・・・様々な力学が働くなかで、「余暇の過ごし方」がつくられようとしていました。人生100年時代や働き方改革が叫ばれる今だからこそ、レジャーを学問する視点に出会ってみませんか。

2018年11月のUTalkでは、総合文化研究科准教授で文化史を専門とされている板津木綿子さんにお越しいただきました。

余暇やレジャーというものは、本来、自分の時間を楽しみのために自由に使うことであるといえます。しかし、実際にはさまざまな力学が作用してきた領域でした。例えば、話の冒頭に20世紀初頭のアメリカの新聞記事が紹介され、管理職の人の証言として次のような引用がありました。「部下の昇給を考えているときは、部下にどんな余暇の過ごし方をしているか尋ねるようにしています。時間の浪費家は要注意で、心身の向上を心がけた余暇を過ごしている人の方がいいと思っている。健全な余暇をしている人は職場での生産性も高いはず。」という内容でした。

さて、今日のメイントピックは20世紀前半に営まれたアメリカのロサンジェルスにおけるピクニックでした。もともとヨーロッパにおいては、「ピクニック」とは屋内で友達と食事をしたり、トランプをしたりして時間を過ごすことを指していたのですが、アメリカにピクニックが伝わったあと、ピクニックは屋外の活動になっていったのです。

そのなかでも、ピクニックが盛んになったロサンジェルスという場所は「都市になりたくない都市」という独特の性格を有した場所でした。当時のアメリカ大都市は移民が多く住み、工場がたくさん立地している雑多な場所だったのですが、そうした場所を嫌い、逃れてきたひとが集まったのがロサンジェルスという場所だったのです。そのため、ロサンジェルスには州の外や外国から流れてきた人が多く、生粋のロサンジェルス生まれの人々は4分の1程度であったと言われています。

そのようなさまざまな背景を持った人たちが親睦を深める場所がピクニックでした。それぞれの州から移住してきた人々が集う州人会が中心的な役割を果たして、次第にピクニックの規模は大きくなり、なんといっときは毎年10万人も集まるような非常に大規模のピクニックが開かれることもあったのです。

一方で日本人移民のようなマイノリティの人にとってもピクニックは重要なイベントでした。こちらもアメリカに渡った県人会単位でピクニックが行われることが多かったのですが、100年前においては県人会のようなつながりは非常に重要なコミュニティだったのです。というのも、見知らぬ国に降り立ち居住場所や職探しをするのに、郷土の同胞だったら頼っても良さそうだと思われていたからです。そのため、県人会で親睦を深めるピクニックは重要な場所でした。

ただ、白人の人々がきれいな海岸でピクニックをしていた一方で、日本人移民の人が同じ南カリフォルニアの海岸とはいえ、油田基地の近くでピクニックをしていた写真が残っています。日本人移民がピクニックをする場所が明示的に制限されていたわけではありませんが、差別意識に基づいて不文律の区分がなされていたかもしれません。

他方で、そうした状況においても、ピクニックとは差別されていた人々が、空間を一時的にではあれ、自分たちのものとして占有して使うということを同時に意味していました。それは当時において差別に対するささやかな抵抗だったのかもしれません。

来場者からも「10万人が集まるピクニック」に対して驚きの声が上がっていました。ピクニックとは家族や親しい友人などのみで営まれるプライベートなイベントであるという印象を持っていたという感想も聞かれました。板津さんは、渋谷におけるハロウィーンの騒動について触れ、あの自由な集まり方が10万人のピクニックと似ていると指摘し、コスチュームを着ることによって一体感が生まれたり、外国人などマイノリティの人が楽しむことができるという点もロサンジェルスにおいて行われていたピクニックに通じるものがあると説明されていました。

板津さん、参加者のみなさま、どうもありがとうございました。

[アシスタント:中川雄大]

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