情報学環/東洋文化研究所・准教授
第127回
10月のUTalkは、比較アジア法制史を専門とする額定其労さん(情報学環/東洋文化研究所・准教授)をお迎えし、狩猟をテーマにお話いただきます。 世界にはさまざまな狩猟文化が存在しています。日本におけるイルカ漁や捕鯨、イギリスの狐狩りなどをめぐって、その是非を考えさせられる機会も少なくありません。額定其労さんは法制史の観点から、こうした狩猟文化が古くからの慣習や規制のもとに存続しており、社会規範と切り離せないものだと考えています。私たちの社会や集団のあり方と結びついた狩猟という営みについて、歴史的に捉え、あらためて考えてみませんか?
2018年10月のUTalkは、比較アジア法制史を専門とする額定其労(エルデンチロ)さん(情報学環/東洋文化研究所・准教授)にお越しいただきました。文化や社会の一側面としての「狩猟」についてお話いただきました。
額定其労さんはまずおっしゃいました。狩猟は人間の文化にとって重要な意味をもってきたし、これからも続いていくだろう。でも「自由勝手に続ける」のではなく、「ルールのもとに続ける」ことになる――狩猟は「法制度」の問題なのです。
都市で生活していると忘れがちですが、私たちは日々野生の動植物と接触し、時に「狩って」います。シカやイノシシを狩ることもあれば、「紅葉狩り」「イチゴ狩り」に出かけることもあります。狩猟が生活の手段である遊牧狩猟民族民でなくても、自覚はないかもしれませんが、広く言えば「狩猟」と関係をしない人間はもしかしたらいないかもしれません。
歴史的にも、様々な目的で狩猟は行われてきました。例えば、「ローヤル・ハント」と俗称さ呼ばれる最高権力者による狩猟はユーラシア大陸全般で見られます。日本の武将、モンゴルのハーン、イスラームのスルタンなど、時の最高権力者は、権威の誇示や軍事訓練、あるいは娯楽と健康のために狩猟をしていました。強い虎を狩ることが権力の象徴になることもあれば、大きすぎず小さすぎない鹿を狩るのが「ちょうどよい」こともあります。動物によっても狩猟の意味あいが異なってきます。
一方で、狩猟に対する批判の声も高まってきています。イギリスでは伝統的にキツネ狩りがスポーツとして行われてきましたが、動物愛護の観点から反対する人が増えています。日本によるでも反捕鯨運動がたびたび議論や紛争になってきました。
「狩る」という行為は、一匹の動物に狙いを定め、しとめる瞬間に傷をつけるものです。だからこそ、「狩りができる」ということは力を象徴するものになるし、動物を痛めつける忌避感をもたらすものにもなるのです。
そうした両側面を抱えるからこそ、これからの狩猟はルールのもと行われていくでしょう。法律や条令、あるいは規約や慣習もとで、誰が・どこでなら・何を狩っていいのかを議論しながら、狩猟という文化は続いていくでしょう。
額定其労さんは話のなかで「なぜ紅葉狩りのように、植物に『狩り』の文字を使うのか」、「鹿狩り・虎猟・鷹狩りが相互にどのように異なるのか」などと積極的に問いかけられ、参加者のみなさんもたくさんの意見を述べてくださっていました。額定其労さん、参加者のみなさま、どうもありがとうございました。
[マネージャー:杉山昂平]