総合文化研究科 教授
第80回
池上俊一さん(東京大学大学院総合文化研究科教授)のご専門は西洋中世、ルネッサンス史。フランスやイタリア等、ヨーロッパの食文化と歴史にまつわる研究や講義もされています。ルイ14世の頃から国をあげて食文化を大切にしてきたフランス。フランス菓子はその美食神話の中心とも言える存在感を持っています。今回は中世から現代までのお菓子の移り変わりを通して、背景となる歴史との関わりをご紹介いただきました。
2014年11月のUTalkでは、西洋中世史を専門にされている池上俊一さんをお招きしました。池上さんは食文化を研究テーマのひとつとされており、今回はフランス菓子の移り変わりから見た、フランスの歴史についてお話していただきました。
ふだんから私たちの身近にあるお菓子。ひとたび「デパ地下」を見渡せば、さまざまなお菓子を見つけることができます。そうしたお菓子も、みなそれぞれ由来をもっているものです。例えば、最近日本でも人気のマカロンは16世紀にイタリアからフランスに伝わり、20世紀に入るとパリで人気が沸騰しました。このパリ、あるいはフランスという国は、お菓子を語る上で欠かせない存在です。池上さんは「お菓子というとフランスですが、それはただ美味しいからそうなっているのではなく、フランスのイメージ戦略が反映しています」と言います。
そもそも、現在私たちを楽しませてくれている西洋菓子のいくつかは、中世にまでさかのぼります。中世という時代は、今に通じる生活様式の基礎が登場した時代ですが、中世におけるお菓子の作り手は、何より修道院や貴族の家でした。修道院では、お菓子とは「神と人間をつなぐもの」として、食されていました。一方、貴族の家でも、小麦やハチミツを使ったお菓子が作られていました。また十字軍をきっかけにヨーロッパとイスラム世界の文化交流が進むと、砂糖や香辛料もお菓子に使われるようになりました。
こうした中世からのお菓子づくりは、次第にパリに集約していくようになります。12・13世紀になると、国王の宮廷はパリに固定され、宮廷人たちが集まります。またパリ大学も設立されて、パリは政治と文化の中心都市になっていきました。そこでは国王の力と密接にかかわりながら、洗練され、またきらびやかな都会風の料理やお菓子がつくられるようになりました。宮廷では国際結婚をきっかけに、スペインからチョコレートが、イタリアからは砂糖菓子やアイスクリームが入ってきました。こうした他国のお菓子をフランスは洗練された形で取り込み、あたかも自国のお菓子であるかのように仕立てあげたのです。こうしたお菓子は、カフェ文化の登場とともに次第に民衆の口にも届くようになっていきました。
時代は下り、フランス革命によって国王が処刑され、特権階級であった貴族たちが弱体化すると、今度はブルジョワ層がお菓子の舞台に登場してきます。彼らは「家庭を大事にする」「お茶の時間を楽しむ」といった新しい感性をもたらしたと池上さんは言います。この時代に登場した重要人物がアントナン・カレームでした。彼は食べるだけでなく見ても美しいフランス菓子をつくりあげ、「お菓子による建築物」ピエスモンテや、シャルロットといった新しいお菓子を生み出しました。また、産業の発達と鉄道の発展は、マドレーヌといったフランスの地方菓子をパリに進出させました。このようにフランス菓子は、フランスの歴史と「文化力」を表すものとして、その歴史を積み重ねてきたのです。
池上さんのお話のあと、参加者の方から「食事と権力の結びつきはいつごろからあったのか」という質問が出されました。池上さんは、結びつき自体は古代からあったと答えたうえで、中世では食事の「量」が権力を表すものだったのが、次第に「材料のめずらしさ」に移り変わっていき、18・19世紀は「華麗・豪華・洗練」になったとお話されました。いつの時代にも、民衆には手に入らない食事のあり方が追求され、変遷をたどったのです。
今回のお話を聞いて、私たちの身近にあるお菓子にも様々な歴史の蓄積が表れていることを知ると、次からは見る目も変わって、より一層お菓子を楽しめるようになりそうだなと感じました。
お越しいただいた池上さん、参加者のみなさま、ありがとうございました。
[アシスタント:杉山昂平]