人文社会系研究科・准教授
第57回
近代日本において、住宅の形とそれを見るまなざしはどう変わったのでしょうか。建築学から語られることがほとんどだった日本の住宅論。ゲストの祐成保志さん(人文社会系研究科准教授)は、それを社会学の視座から解き明かしています。12月のUTalkでは、住まいを持つことが「人生の一大事」となった歴史をひもときます。
2012年12月8日のUTalkでは、祐成保志さん(人文社会系研究科・准教授)をお迎えしました。祐成さんは住宅の社会学を専門にしていらっしゃいま
す。今回のUTalkでは、ご自身の調査経験などを交えながら、社会学的に住宅を見るまなざしについて話していただきました。
祐成さんが
住宅の社会学を専門とされたのは、もともと建築に興味があったからでした。ご出身である大阪の郊外は、70年代には新しい建物ができ、どんどん見た目が変
わっていました。そのような原体験の影響から、変化する「もの」によって社会を見つめようと考え、住宅を専門にされたのが大学生の時です。しかし、日本で
は「住宅の社会学」というものはほとんど研究されておらず、なかなか理解されないこともあったそうです。
住宅の社会学は「住宅を通して社
会を見る」ことを目的としています。その点で、「Brick and mortar
(レンガとモルタル)問題」と呼ばれる、設計に主眼を置く実務家の関心とは異なります。住宅の社会学では、住宅そのものを調べるだけでなく、そこで住人が
どのように暮らしているのかにも注目します。例えば、祐成さんは1998年にマレーシア・ペナン島で現地の人々の住み方についてフィールドワークをされた
り、建築家の山本理顕さんの手による熊本県営保田窪第一団地において、住民の暮らしぶりや、彼らが住宅に関していかなる思いを抱いているのかを調査された
りしてきました。保田窪団地の調査で分かったことは、同じ団地に住んでいても、人や世代によって住宅への評価が異なることです。つまり、住宅の「かたち」
だけを見ていても、人々の様々な暮らしぶりは分からないのです。「住宅って難しいな」と祐成さんは仰いました。しかし、それでも人それぞれの「住み方」
を、人に寄り添って見つめることに、住宅の社会学の本分があるのでしょう。
戦後の日本の住宅は「nLDK」の型をもとに設計されてきまし
た。nLDKという発想の前提には、「家族と住宅は対応していて、家族の人数に応じて最適な住宅の形が決まる」というような、住宅を「ユニット」として捉
える考え方があります。ユニットとしての住宅を設計するのは建築家ですが、それが普及したのは、社会がそのような住宅を求めたことに原因があります。ま
た、大正時代の住宅改善運動や、昭和初期の住宅展覧会、あるいは今和次郎の震災バラック建築や、大阪の家舟生活者といった歴史をたどる中で、祐成さんは一
貫して、住宅の「かたちの変化」と「住まい方の変化」の関係についてお話されました。ただ「かたち」を見るだけではなく、住宅をめぐる暮らし方や考え方を
探ることの面白みが伝わってきました。
参加者の方からの質問では、住宅の重装備化についてもう少し詳しく教えてほしいというものがありま
した。それに対して祐成さんは、nLDKについて説明された後、「住宅はメディアだ」というお話をされました。住宅が重装備化するにつれて、住宅にまつわ
る情報も増えていきます。しかし、一方で情報はうまく扱えなければノイズになってしまいます。そういった中で、しっかり装備を使いこなせているか、メディ
アリテラシーをもっているかが、住む人にとって大切になる、と答えていらっしゃいました。
祐成さんのお話をうかがって、人々の暮らしぶりに根ざした住宅研究のあり方は、とても興味深いものだと思いました。祐成さん、寒空の下お越し下さった参加者の皆様、ありがとうございました。
[アシスタント:杉山昴平]