総合研究博物館
第53回
インカ帝国で知られる南米大陸のアンデス文明。その黎明期から、アンデス山脈の各地に大規模な神殿が建てられていました。神殿の分布には、なにか規則性があるのでしょうか?8月のUTalkでは東京大学総合研究博物館の鶴見英成さんに、遺跡踏査によって研ぎ澄まされていく仮説をご紹介いただきます。
8月11日のUTalkはゲストに東京大学総合研究博物館の鶴見英成さんをお迎えして行われました。
鶴見さんは日本から飛行機で24時間、地球の裏側ペルーはアンデスの考古学を専門とされています。
鶴見さんが終始着目してお話されていたのは"形成期"の土器についてでした。
形成期とは土器が使用され始めた時代のことで、わたしたちが教科書で見知っているような土器とは少し違うようです。
大きく複雑な社会には土器の使用がつきものでしたが、アンデス文明だけは異なり、形成期の土器が発見されたことから、当時から芸術性を伴う神殿が存在していたことを東京大学がはじめて明らかにしたとのことでした。
考古学者はそれぞれ調査する場所を決め、自分の場所から発掘した遺跡が一番古いと主張したがるそうなのですが、鶴見さんは「なぜ自分の調査している遺跡は比較的新しいのか」に着目します。
形成期の土器と並行して、宗教絵であると言われている岩絵にも着目し、神殿の分布について鶴見山の研究は進行していきます。
神殿とは元々川の中流域に建てられていたとされており、それは上流や下流に比べて水がコントロールしやすいことから、作物がよく出来るためとされています。
神殿とは当時の暮らし、農業とは切っても切れない関係でした。
しかし、鶴見さんは神殿の分布の規則性に関して、"川"ではなく"見えない道"を発見します。
それは、形成期の土器や岩絵に着目していくうちに、川の流域とは無関係の遠方同士で、同じ形の土器などが発掘されたことなどから今となっては跡形もない当時の道を結んで行きました。
地図と磁石を使って、遺跡や見えない道の関係性を説明してくださったり、本物の土器の一部を貼り付けて作成された遺跡毎、時代毎の説明ボードがとても判りやすく、日本の裏側の、更に古い時代という遠い世界に思いを馳せながら聞くことができました。
参加者の方からの質問も「当時の移動手段は何だったのか」「その見えない道を移動するのに当時の人たちはどのくらいの期間をかけたのか」など、当時の生活に着目されたものばかりでした。
当時の移動手段として使われていたリャマに関しては、現在売られているリャマの敷物まで持参して頂き、そのふかふか具合に参加者一同癒される場面もありました。
鶴見さんはUTalkの翌日またペルーに飛び、展覧会を開かれるそうです。
神殿を探して歩く、まさに現代のインディ・ジョーンズのような鶴見さんは、熱のこもった熱い語り口が印象的で、イベント終了後も同じく興味関心の高い参加者の方と、暫くお話を続けられました。
荷造りでお忙しい中沢山の回覧物を持参下さった鶴見さん、また暑中厳しい中お越しくださった参加者のみなさま、気温に負けないくらい熱い会になりましたね。
【アシスタント:猫田耳子】