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033:2007年度 第4回 2008年3月29日開催

特別セミナー フィンランドと日本の対話 ー未来の教育のために学校と家庭ができることー
基調講演
フィンランドにおける未来の教育

  • フィンランドと日本の対話
  • 基調講演 フィンランドにおける未来の教育
Seppo TELLA

1. はじめに

私はヘルシンキ大学で教えており、メディアを利用した外国語教授法の研究などをしている。1988年が最初の訪日で、今回で5回目である。
まずはフィンランドについてご紹介したい。フィンランドは北欧諸国のひとつである。人口は530万人で、首都のヘルシンキには50万人くらい集まっている。フィンランド語とスウェーデン語の2つの言語を用いている。1988年には、フィンランドから日本まで飛行機で14時間かかっていたが、現在では北極を通ってダイレクト便が飛んでいるので、9時間となっている。
フィンランドは、南北に一万二千キロの距離がある長い国である。ロバニアミという町に有名人がいる。さて、誰かといえば…、サンタクロースである。ヘルシンキは南の沿岸地域にあり、バルト海に面している。
信じられないかもしれないが、伝統的なフィンランドのコミュニケーションスタイルというのは東洋型で、そういう意味では、日本のコミュニケーションの仕方と非常に似通っているところがある。昔からフィンランド人には、いろいろな新しい発明を迅速に効率的に採用する力があるといわれている。それは現在でも変わらず、技術志向が強いと感じている。
ここでみなさんに考えてもらいたい。18歳の日本の生徒は、それまでの人生の何パーセントを学校で過ごしてきただろうか。10%?、20%? 10年前の調査によると、アメリカではたったの9%である。フィンランドでは約6%、あるいはそれより低いかもしれない。この事実は、これからフォーマルエデュケーションとインフォーマルエデュケーションについて考える際に重要になる。
また、教育において「2×4×6」という数字が何を表しているか分かるだろうか? 教育は、この数字の狭間に閉じこめられているというのがヒントである。
これは、表裏「2つ」の表紙に挟まれた本によって、教室の「4つ」の壁に囲まれた教育を「6時間」行なう、といった教育形態を表している(Tiffin・Rajasingham (1995.「バーチャルクラスルーム」)。このような種類の教育は非常に永続的に続いてきた。学校はこれまでと同じように存続している。これからのインフォーマルエデュケーションの話では、この壁を崩していかなければならない、ということが課題になる。
また、心理学・哲学からは、この数字に対する別の解釈がある。自分自身に映る自分自身がいて、相手の目に映る自分がいて、そして本当の自分がいる。2人の人間がいると、そこには6人がいることになるというものである。これはウィリアム・ジェームスが言った言葉であり、この説明は私も気に入っている。

2. フォーマルエデュケーション・インフォーマルエデュケーション・ノンフォーマルエデュケーション

2.1. フォーマルエデュケーション

フォーマルエデュケーションやフォーマルラーニングとは、学校・大学などいろいろな種類の組織で行なわれているものであり、目新しいものではない。もともと知識を持っていた人や専門家以外の人たちが、その知識を取得し共有することを意味している。
国や組織・機関が設定した目標があり、その目標到達度に対して評価が行われ、成績がつけられたり証明書が与えられるものである。

2.2. インフォーマルエデュケーション

Seppo TELLA インフォーマルラーニングよりもインフォーマルエデュケーションという言葉の方を私は好んでいる。ラーニングよりも、エデュケーションの方がより幅広い意味を持っているので、こちらを用いる。
インフォーマルエデュケーションは、一生のプロセスであり、人は日々の経験から、周り環境から、家族や隣人から、また仕事や遊びを通じて、マーケットやマスコミや図書館などさまざまな状況で発生する学びのことである。一生の学びのうち、かなり多くの部分をインフォーマルエデュケーションは対象としている。
私が知る限りで、インフォーマルエデュケーションには、全員が受け入れているような単一の定義はなくいろいろな解釈がある。
Grebowは、「私は必要な知識をウォータークーラー・トークで学んだ」と書いている。これはアメリカの文脈で、ウォータークーラーの近くに集まっての会話だと察する。フィンランドではコーヒーメーカーになるだろうか。日本だと酒になるのだろうか(?)。いずれにしても、それぞれの国によっての特徴が出てくるのだと思う。

2.3. ノンフォーマルエデュケーション

ノンフォーマルエデュケーションは、フォーマルエデュケーションとインフォーマルエデュケーションの間で起こっており、学校以外の組織・機関・状況、つまり、フォーマルな制度化された機関の外で行なわれている。計画的で体系立っているフォーマルエデュケーションの特徴を持っている一方で、その学習には、オープンな社会的文脈で個人の興味に基づいて行われるインフォーマルエデュケーションの特徴がある。 ノンフォーマルエデュケーションは、知の形成にとって非常に重要である。したがって、フォーマルエデュケーションにうまく統合していく必要があると思っている。

3. InnoSchoolプロジェクト

私たちはInnoSchoolプロジェクトにおいて、フォーマルエデュケーション・インフォーマルエデュケーション・ノンフォーマルエデュケーションをどのように介在させていくのかというさまざまなモデルを模索している。
InnoSchoolは基本的にフィンランドの国内プロジェクトであるが、一部国際プロジェクトとなっている。コーディネーションはヘルシンキ工科大学で、ヘルシンキ大学、ラップランド大学の3つが参加している。
私たちはこのプロジェクトで、建築家・メディア関係者・教育学者の共通言語をつくりたいと考えている。そして、時間や場所、空間を超えた学習を達成したいと思っている。そのためのコンセプトとして、フォーマルエデュケーション・インフォーマルエデュケーション・ノンフォーマルエデュケーションの次元、ローカル/グローバル、バーチャル/フィジカル、統合されたもの/分散されたものなどの軸を設定している。
こうしたいくつかのコンセプトをつくり、ノキア、マイクロソフトなどいくつかの企業と協力をしている。スタンフォード大学、カリフォルニア大学も参加している。

4. 学校や社会の中でのインフォーマルエデュケーションの意味

4.1. インフォーマルエデュケーションの意味

インフォーマルエデュケーションとは何を意味しているのだろうか。
これに答えるために、Connerはシンプルだけれども非常に重要な問いを投げかけている。「どこで学習をするのか」ということである。Connerは、「職場で、家庭で、旅路で、何かをしながら、何かの文脈で、偶然によって、仲間とともに、子どもから、出版物で、テレビ越しに、間違いによって、ah ha!体験によって」などさまざまな場面で学習していることを指摘している。
Connerはまた別の問いを提示している。「フォーマルなプログラムの場以外で、お気に入りの学習方法は何か」ということである。これには、雑誌や本を読む、専門家と話をする、同僚と話をする、あるいは電子メールやその他の書面のやりとりを通じて、コーチやメンターを通じて学ぶというような答えが考えられる。
問題は、これらをどのようにフォーマルエデュケーションに取り込んでいくのかということである。

4.2. 組織の中でのインフォーマルエデュケーション

3. 基調講演:フィンランドにおける未来の教育 Seppo TELLA氏 組織の中で起こっている学習の75%が、インフォーマルエデュケーションであることが多くの研究で示されている。しかし、ほとんどの企業はフォーマルエデュケーションに重きを置いている。過剰に重きを置きすぎているといえるだろう。
学習について75/25ルールというものがある。フォーマルエデュケーションが25%ほど、インフォーマルエデュケーションが75%程を占めているということである。
以下は、Connerが行なったゴルフの分析である。フォーマルとインフォーマルエデュケーションの違いがよく示されているので紹介する。

フォーマルとインフォーマルエデュケーションの違いを示すためにゴルフを考える。ゴルフを習いたいと思うのであれば、セミナーに行ったり、本を読んだりするだろう。素晴らしいゴルファーのビデオを見ることもできる。そうすれば、ゴルフについて何らかを知ることができる。しかし、それでゴルフができるようになったかというと「ノー」である。
それから、ゴルフのゲームを買って楽しむことができ、ゴルフプロからレッスンを受けたり、シミュレーションを使ってゴルフのスイングの練習をすることもできる。ゴルフ練習場に行って練習することもできるだろう。しかし、それでゴルフができるようになったといえるだろうか。答えはやはり「ノー」である。
初めてコースに出てティーショットを打ち、一人で、あるいはフォーサムで何度も練習をする。いろいろな天候状況、いろいろなコンディションで、何度も練習を繰り返さなければならない。クラブのスイングなどもいろいろな問題が出てくるだろう。何度も練習して、成功と失敗を繰り返して、初めてゴルフができるようになる。
つまり、本当の学習というのは、自分が知っていること、そして自分ができることを採用し、適合することによって達成されるものである。そして、インフォーマルな学習を通じて知るようになったことできるようになったことをさらに採用して、適合していくことが本当の学習で、その部分が75%を占めているということである。フォーマルな学習は残りの25%に過ぎない。

インフォーマルエデュケーションはどうしたら活かされるだろうか。以下のCrossの挙げていることがヒントとして役立つかもしれない。組織においても、企業においても、学校においても役に立つことと思う。

  • 職場でインフォーマルな学習の時間を与えること。
  • 相互評価されたFAQと知識ベースを用意すること
  • 職場で社員が集まり学習できる場を設けること
  • 自主的な学習をメンターと行なうこと
  • インフォーマルに問い合わせができるヘルプデスクを24時間態勢で設けること
  • ネットワークをつくって、知を発見することを容易にすること
  • スマートテクノロジーを使って、コラボレーションやネットワーキングを容易にすること
  • 部門を越えたクロスファンクショナルな集まりを推奨すること

これらはすべて、現実的な実践に則したヒントであり、実行に移しやすいものだと思う。企業や学校で、それを行なう準備が整っていて意欲的であれば、すぐにも実行できるものだと考える。

4.3. 学校の中でのインフォーマルエデュケーション

学校では、インフォーマルエデュケーションはどの程度の可能性があるのだろうか。
学校でのインフォーマルエデュケーションの実行には、大きな問題がある。少なくともInnoSchoolの取り組みでそう感じた。廊下や教室のいくつか、また学校の建物の外にカメラを設置し、スタンフォード大学のDiverツールを使用して、学校で何かインフォーマルなことが起こっていないかどうかとらえようとした。
そこでいくつかのエピソードが見つかったが、そこから導かれた問題は、クラスの中でインフォーマルなことが起こったとしても、学校というフォーマルな状況の中ではインフォーマルなこともフォーマルなものに変わってしまうということである。
たとえば、小学校で確率について学ぶ例をあげる。子どもはコインを投げ上げて、10回、50回とどういう結果になるのか実際に体験しようとしていた。しかし、小さい子どもの一人がコインを投げることができなかったので、教師が一緒に練習をしてその子どもを助けた。これはインフォーマルなエピソードといえる。しかし、それはフォーマライズされたものともいえるだろう。つまり、教師が生徒と一緒に練習を始めるその途端にカリキュラムの一部となって、幼い生徒が成長できるように、そしてあることが身につけることができるようにフォーマライズされたものになっているのではないだろうか。
インフォーマルエデュケーションを本当にフォーマルエデュケーションに統合することはできるのだろうか。その逆もどうかという問題もある。フォーマルエデュケーションはインフォーマルエデュケーションにどの程度生かされることができるのかという議論もある。
もう少し広い視野に立って考えてみたい。社会の中での学校の位置づけを考えてみたいと思う。セネカは、「学校のために勉強しているのではなく、人生のために勉強している」と語っている。しかし、セネカはもともとは逆のことを言っていたらしい。中世にこれがよろしくないとして変えられてしまったようである。
学校という言葉は、ギリシア語の「スコーレ」から来ている。「スコーレ」とは自由時間を意味している。貴族や自由の身の人間が、毎日集まって話し合いをしていた。これはインフォーマルな集まりと言えるのかもしれない。 生徒たちが、学校の時間は自由な時間、暇な時間を過ごす場所だと考えるようになれば素晴らしいだろう。将来のビジョンにはそういった解釈も含まれるかもしれない。
一部の調査によると学校の果たす役割は、20〜30年前は、子どもたちの人生において25%以上を占めていた。家庭が25%、そして残りの環境が50%であった。現在は、学校の役割というのは20%以下になっている。相対的な学校の重要度は下がっているといえるだろう。

5. フィンランドの学校と家庭環境

5.1. フィンランドの学校教育

3. 基調講演:フィンランドにおける未来の教育 Seppo TELLA氏 フィンランド人というのは謙遜しがちで、自ら語るのは苦手なので、外部の目による意見をご紹介したい。
数年前に11歳・13歳・15歳について国際調査が行われた。これは35カ国で調査された(PISA調査とは別のものである)。その中で、「どのぐらいの時間子どもたちは宿題に時間を使っているのか」という項目に対して、フィンランドの子どもたちは、一番宿題の時間が短いという結果が出た。ベネッセの最近の調査では、毎晩だいたい30分、宿題に費やしているという結果になっている。
Newsweekは、2004年のPISAの結果について大きな記事を掲げた。フィンランドが世界でトップの得点を取ったことや、フィンランドは教師と学生両方を大切にする社会だという記事の見出しが出ている。この記事の中で、特に教師になろうとしている人たちを激励するために紹介している部分がある。フィンランド人は学習が上手いので、教師は少なくとも修士号を取らなければならないということ、教師は教科書を自由に選ぶことができ、また生徒の興味やニーズに応じて授業内容を決めることができるということである。
さらに、この記事で言及されているのは、教師というのが18歳の間で最も人気のある職業であるということである。高等教育を終えた学生たちが何の職業に就きたいかというと、医者が第一位、教師が第2位である。そして弁護士、エンジニア、社会学者、エコノミストなどが続いている。なぜみんな教師になりたいのかという理由はよく分からないが、私たち教師教育をする側には、これは動機付けにとって良いものだと考えている。
また、最近のウォールストリート・ジャーナルの記事に「フィンランドの子どもたちはなぜそんなに賢いのか」というものがあった。この記事の中に非常に的を射た記述があったので紹介する。
記事では、やはりフィンランドの子どもたちが宿題にかける時間は一日30分であるとなっている(ただ私は多くの子どもたちは30分以上勉強していると考えているが…)。また、制服はない、優等生の会もない、卒業生の総代もないということが指摘されている。遅刻のベルも鳴らないし、優秀者だけのクラスもないということである。
非常に国際的に興味深いと思うのは、私たちフィンランドではあまりテストをしないということである。テストがほとんどない。
子どもたちが何を知っているのかということは、先生たちは日々のクラスの中から理解しているし、先生たちがそれを知っていることが子どもたちもよく分かっているので、テストをする必要がない。もちろん時とともに状況は変わってきているとは思うが…。ちなみに、子どもたちの就学年齢は7歳からである。それほど早いわけではない。

5.2. フィンランドの家庭環境

フィンランドは、文学的な文化を大事にしており、読み書きを重視している。フィンランドでは新聞や雑誌の講読が多く、それらは家庭に配達されている。外で買うわけではない。
また、社会的に重要な問題として、近代的な家族の形態(つまり片親家族)が増えていることや、男性像がなくなっているということが言われている。他の国でも当てはまり、フィンランド特有というわけではないと思うが、ほとんどの小学校の先生は女性であることなど、ますます男性の教師が小学校からいなくなっていると感じている。
さらに、両親とも仕事に出ている親不在の家庭が増え、子どもたちは多くの時間を一人で過ごさなくてはならなくなっている。話しかける相手もおらず、また親たちはあまりにも疲れているので、子どもたちの質問にもなかなか答えることができていないことが問題とされている。子どもたちがシャイになり、内省的になっているのは、親があまり子どもたちに話しかけなくなっているからだと認識している。また、親と子どもの接触時間の減少によって、子どもの世界観を構築する部分が減ってきていることを懸念している。
それから最近は、都市化が進んでいることも理解しなければならない。40年くらい前には、ほとんどの人たちが小さな町に住んでいた。都市化は最近のことである。日本のように根付いたような伝統のようなものがない。中央ヨーロッパにおける、オーストリア、フランス、イタリア、スペインなどにも根付いた伝統があると思うのですが、そういうものがない。
ブロードバンドは家庭にも入ってきている。EU諸国における家庭のブロードバンド普及率の統計調査によれば、デンマークが第1位、フィンランドが第2位となっている。続いてオランダ、スウェーデンである。EUの平均値は20%で、アメリカは22.1%である。文字に根付いた文化を持っているので、チャットやメールの交換も進んでいる。

6. 今後の方向性 〜Future Schoolの取り組み

人生とはリスクのあるビジネスである。将来を考えるのはさらにリスクが高くつくものであるが、いくつか私たちが手がけているFuture Schoolの取り組みからご紹介したい。

1. オペレーショナルな環境、Teaching Studying Learning環境

博物館やクラブや美術館などと密接に連携して、オープンな学習環境を実現できれば、より柔軟な教授法が可能になるのではないか考える。そのためには、個人化されたよりパーソナルなカリキュラムが必要になるだろう。個人に合わせて重点分野を探すということも大事である。

2. 教えること(Teachership)について

複数が連携するチームワークが重要である。

3. 学校のマネジメント

マネジメントとリーダーシップのバランスが重要である。分散型の学校システムというものも考えられる。経営能力も必要である。

4. カリキュラム

科目毎に基づいたカリキュラムとすべきか、学習者の発達に基づいたカリキュラムを作るべきなのかについては、学習者中心のカリキュラムであるべきだと考えている。

5. 国家的な運営政策

コンテンツの柔軟性が必要である。これは私のモットーなのであるが、教育の目標はひとりひとりの子どもに共通のゴールかもしれないが、コンテンツはひとりひとり違うべきだと思っている。たとえば地理や歴史について教えるのに、北海道と九州で教え方が違うといったように、フィンランドでは北部と南部とでは全く異なった地域色がある。また、外国語にも幾通りもの選び方があるかもしれない。

今後どのような方向に向かうべきだろうか。
3つの考え方、選択肢があると考える。

  1. 「とまれ」
  2. 「突進して」
  3. 「慎重に抜き足差し足忍び足」

その他にも何通りもの方法があるかもしれないが、それを見つけ出すのはみなさんの仕事だと思う。
もっとインフォーマルな要素がフォーマルな教育の中に取り込まれていれば、私ももっとイカした感じになるであろうと思う。

Seppo TELLA

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