学校教育のような公的に提供される学習は「Formal Learning」、それ以外の家庭や社会で行われている学習.「Informal Learning」と呼ぶことがあります。
子ども期はFormal learning が長いのですが、子ども期から企業で働く大人まで考えると Informallearningは時間的に圧倒的に長く、人間の学びにとって、重要な存在でありながら、今まであまり注目されてきませんでした。
今回のBEAT Seminarでは、子どもが放課後や休日にどのように学んでいるのか、また、学びをささえる空間や人工物はどうあるべきなのかについて、考えていきたいと思います。
私は、子どもたちの学習についての国際比較調査を行っている。その調査と関連付けながら子どもの放課後の学びについて考えていきたい。
子どもの学習についての意識や行動の変化を捉えるために、1990年からほぼ5年おきに「学習基本調査」を行っている。2001年の第3回調査からは、学力実態調査を加え、子供たちの学力と学習の意識や行動がどう関連しているのかを調べている。
そして今回の第4回調査は、東京・北京・ソウル・ヘルシンキ・ロンドン・ワシントンD.C.の6都市で、子どもたちの学びがどう違うかを明らかにしている。
このように、我々の調査は、
の2つの観点から、子どもの学習状況を多面的に明らかにしていく設計になっている。
はじめから余談で恐縮だが、本調査における子どもの状況や環境の捉え方を具体的にイメージしやすくするために、給食を例にあげてみる。日本の給食は時間的に見ると、脱脂粉乳・コッペパンから、米飯給食、ビンの牛乳に移行し、現在は非常に味も栄養バランスも優れたものになっている。
各国の都市の給食を比較するとどうだろうか。韓国の給食は見た目が赤くて、子どもがこれを食べられるのか、と思うぐらい辛い。フィンランドはレストランのランチのようで、アメリカはパンとナゲットとポテトというように、はたして栄養バランスは考えられているのか、と疑問である。
このように相対化することで、日本の給食の良さがわかってくる。フィンランド・アメリカ・イギリスなどはカフェテリア形式になっていて、子どもが自分で給食を選ぶというスタイルになっている。自分の食べたい物を食べるという個人主義的なところや、何を食べて自分の栄養をどういう風に考えるかという自己責任は、日本の給食にはない要素であると思われる。
相対化を行うことで、その対象自体の特徴がより明確になる。これを学習の意識や行動にあてはめてみよう、というわけである。「変化」と「相対化」、この二つの作業をやろうとしている。
子どもたちの実際の意識の変化を見る前に、教育政策の動向を押さえておくと、比較的子どもの学習の状況の変化を捉えやすい。よって、ここ20年近くの教育政策について振り返ってみたい。
90年代は、「ゆとりの実現」が政策的に指向されていた。ちょうど2002年、現行の学習指導要領が実施される前後に、政策的に大きな変化があった。学力向上「たしかな学力」が目指されたのである。
我々の調査時期にあてはめていうと、第1回から第3回(1990年〜2001年)までは、国全体で「ゆとりの実現」に向けた政策がとられていた。そして、第3回(2001年)あたりを転換点として、「たしかな学力」向上・学力重視へ向けられた政策になったと考えられる。
それでは、子供たちの学習はどのように変化しているのか。放課後の学習について、データを見ていきたい。
1990年代は一貫して、子供たちが学習しなくなっていく状況が見られる。先ほど2002年ぐらいが教育政策の転換期だと申し上げたように、2001年を境にして反転し、学習しない層が減り、たくさん学習する層が増えている傾向が見られる。そこで我々は2001年を「学習回帰」、つまり子どもたちが学習に戻ってきた時期、という見方をしている。ただし、小中学生は学習時間が増えているのだが、高校生は学習離れをしたままで、回帰していない点が気になるところである。
ところが、学習時間が増えれば良いのか、というといくつか問題点がある。学習時間を学力階層別にとってみると、小学生は確かに学習時間が戻っている。その中では、学力上位層ほど回帰していることが読み取れる。下位層は確かに増えてはいるが、戻り幅が小さい。学習時間の分化という観点から、格差は過去最大となっている。
高校生においては、勉強時間の平均を通っている高校の偏差値階層でとっている。1990年代は、中堅の高校に通う子どもたちも比較的たくさん勉強しており、上位の子どもたちとそれほど変わらないくらい勉強していた。しかし、2001年および2006年では、トップの高校に通う子はあまり変化がないが、中堅の子どもたちが非常に学習離れを起こしている。これを我々は「中堅層の凋落」とよんでいる。このように上位と下位で非常に深刻な分化が起こっている。高校生の学習時間では、中間層のダウンが大きな問題である。
次に、国際比較のデータを使いながら、日本の子どもたちの学習の状況を省察していきたい。
各国の都市の学習時間の分布を見ると、東京の子どもたちは「およそ30分」「1時間」が多い結果になっている。しかし、同時に「それ以上」というのも非常に多くなっている。ここでも、子どもたちの学習の二極分化の状況が見て取れる。東京では、おそらく一つのクラスの中に、30分ぐらいの子と、4時間以上勉強するという子が混在しているということなるだろう。このような状況では、非常に学習指導が難しいのではないかと思う。
ソウルは、なんと4分の1の子が「3時間30分以上」と回答していて、子どもたちが非常に学習する社会であるということがわかる。北京も、分散が大きいが、日本に比べると学習時間は長い傾向が見て取れる。
欧米の3都市(フィンランド・アメリカ・イギリス)では、「30分」「1時間」の回答が多く、家ではあまり勉強していない。もともと、あまり家で勉強する文化ではないようだ。それでいてフィンランドは学力世界一なわけである。
また、東アジアの3都市(東京・ソウル・北京)は、宿題以外の時間が非常に長い学習時間の構成になっている。一方、欧米の3都市は、学習時間がそもそも短い上に、宿題が占める比率が比較的長い。45分ぐらいの宿題を学校から出されてそれを家庭で行っている。自分でやる勉強というのは比較的少ない傾向があることがみられる。
東アジアの3都市で考えなければならないのが、学習塾の存在である。学習塾に行って勉強する時間が相当長いことが、東アジアの大きな特徴となっている。日本では、地方都市や郡部でもデータをとっているが、地域差が大きく、どの地域に住んでいるかで学習状況が大きく異なっている特徴が見られる。
通塾率でいうと、ソウルや北京は4人に3人が塾に行っていると答えている。ソウルは非常に学習時間が長く、しかも7割以上が週5日以上塾に行っている。また、韓国では学校の校門の前に塾がたくさん乱立していて、子どもたちが校門からそのまま塾へ行く。学校から離れている塾は、学校の前にお迎えのバスが来る。非常にびっくりしたのが、学校の校門の前の塾の垂れ幕に顔写真と名前入りで、この子はこういう良い成績を取っている、こういう優秀な子が通っていますよ、と掲示されていることである。このように韓国では、非常に塾での学びが中心になっている。日本でもやはり、学習塾での学習の占める時間は考えなければならないだろう。
家庭での学習の状況はどうなのか。9割以上の子が「出された宿題をきちんとやっている」、と答えており、これは国際的にどの都市でもあまり変わらない。
学校外の学習時間は長めではあるが、そのうち塾に行っている時間などを考えると、
などに関して、あまりできていないのかもしれない。特に日本の子どもたちはこの点で、他の都市よりも20ポイント程度、ものによっては30〜40ポイント程度低い結果になっている。決められたことには真面目に取り組むが、自発的に勉強するという態度に関しては、全般的に日本の子どもたちはやはり低めの数値が出ている。
宿題の状況についてどうか。先ほど、2002年ぐらいに教育政策の転換点があるという話をしたが、やはりこの5年ぐらいで見ると、学校の先生が出す宿題の量が増えている傾向がある。
小学校では、9割を超える先生が「毎日宿題を出す」と答えていて、1回あたりの時間も増えている。学校の先生は、子供たちの学力を上げるために家庭で勉強させようという働きかけを強めている様子がうかがえる。
さらに、放課後の子どもの学習における親・保護者の関与についてみてみると、「子どもがやることを親が決めたり、手伝ったりすることがある」ということに対しては、年を追うごとに「当てはまる」と答える保護者の割合が増えている。一方で、「勉強のことは口出しせず、子どもに任せている」「どちらかというと自律的に勉強させている」と答えた保護者の割合は、全体的に減っている。だいたい、ここ10年で見ると、10ポイントくらい数値が落ちている。このように、保護者の子どもへの学習についての関与が強まっているように思われる。
子どもたちの放課後の学習を考えるうえで、メディアの状況も押さえておく必要がある。学習基本調査のデータから、子どもたちのメディア活用の状況をみると、やはりこの10年で、子どもたちのメディアの状況や環境、それを学習にどう活用しているかはずいぶん変わってきているということがうかがえる。
「家でパソコンを使う」は、10年前は3割だったが、最新の2006年調査では、7割という結果になっている。一方、この5年で減っているのは、「家でCD教材やビデオ教材を使って何かを調べる」という項目である。このようにCD教材やビデオ教材はこの5年で減っているが、「家でゲーム機用の学習ソフトで勉強する」、「家でパソコン用の学習ソフトで勉強する」は小学生で2割ぐらいが「よくある」「時々ある」と回答し、今後増加することが予想される。
1990年代は、いわゆる「ゆとり教育」という教育政策だった。よって、子どもたちはどんどん学習から離れる状況だった。2000年前後に社会的な学力低下感の認識の高まりがあった。この結果、学校では、子どもの放課後も含めて、勉強をさせようという意識が高まった。宿題も増えており、子どもにこれくらい毎日勉強しなさいね、といった家庭教育指導の時間も増えている調査結果が出ている。このように、ここ5年ぐらいで全体的に学力に対する関心、学力の向上に対する期待が高まり、子どもの学習に関して親の関わりが増加している。
それから、学習の個別化も進んでいる。学校は集団で一斉で、というイメージがあるが、習熟度別指導や少人数指導のような、一人一人の子どもに合わせた教育をしよう、というのも少しずつ導入されはじめている。おそらく、一部の親は塾を活用して、ニーズに合った指導であるとか、学力別の指導を非常に充実させている。それから、教材やメディアも変化して、個別のニーズに対して対応できるような環境が整っている。その子に合った学びというものをできるだけ提供しようという、世の中全体が変わってきている印象を受ける。
これらの動きには良いこともあるが、悪いこともあると思う。おそらく効率的な知識の習得や、その子その子にあった学びには非常に優れた環境が整いつつあるが、全体的に非常に大人の関与が増えているため、子どもたちの自律的な学習や、試行錯誤する中から学ぶような機会は減っているのかもしれない。もしかしたら、大人が手をかけるほど、子どもが自然に学べる環境や文化を作ることは難しいのかもしれない、ということを感じる。
では、大人が手をかけながら、子どもが自然に学べる文化や環境を作ることは可能なのかどうか?可能だとしたら、どんな働きかけが有効なのか?子どもたちの学習に対して、大人の関与が非常に強まっているため、そのようなことを考えなければいけない状況になってきているように思う。
まず、今住宅業界のおかれている環境をみなさんと共有しながら進めていきたい。
団塊ジュニアとは、1971年〜74年生まれ、33〜36歳ぐらいの方のことである。彼らが住宅購入・住宅取得の一番の中心のマーケットになっているため、ここの消費性向や動向を探ることがプロデュース側として最も重要なマーケティングになっている。10年前の世代と比べると、約800万人ということで、25%ぐらい人口が多い。そのため、消費者としても大きなパワーを持っている。
ただし、それだけではない。この世代は、住宅業界にとって非常に重要な志向性を持っているということを次に紹介する。
現在家さがしをしている方、住み替えをしたいと考えている方1万人に調査した結果から、団塊ジュニアの特徴を見ていきたい。この調査結果において、団塊ジュニアに特徴的な数字を示しているのは、「新築分譲マンションの購入」「中古マンションの購入」「新築分譲一戸建ての購入」「中古一戸建ての購入」「土地を購入して注文住宅を建築」という5つの分野である。このことから団塊ジュニアは、持家・マイホームを持ちたいという思いがほかの層よりも強いことがうかがえる。
実際に、現状として団塊ジュニアは、どれくらい持家・マイホームを持っているかというと、5年ぐらい前の少し古い統計データだが、35%ぐらいである。アメリカだと30代で60%ぐらいが持家である。日本でも、持家層が増えるポテンシャルを備えていると予想される。
実際に住宅を購入した人の中で、団塊ジュニアはどれぐらいのシェアを担っているのだろうか。2000年ぐらいから徐々に頭角を現し、昨年のデータでは、4人に1人は団塊ジュニアファミリー、カップルになっている。マンションでいうと、20代の人々も出ているため半分近くが若い世代ということになる。注文住宅を建てる人の中でも4件に1件は団塊ジュニアという状況になっている。
なぜ若いのに一戸建てを建てられるのか、と思われるかもしれない。その理由として、金利の低下、土地価格の低下があり、昔と比べて土地を買って家を建てても、団塊ジュニア世代ぐらいでも手が届くリーズナブルな価格になったことが考えられる。
ここ2年ぐらいでは、土地の価格も上がってきてしまって、マンションも非常に高くなっているものもあるため、以前の状況とは変わってきている側面もあるが、昔と比べれば非常に買いやすい状況になった。
また、団塊ジュニア世代の消費性向として、堅実な性格だったということが言える。その前のバブル世代と比べると、投資意欲があって無理してでも買っていく、というタイプではなく、毎月の賃貸料よりも、ローンの方が安くなり、毎月払う家賃がもったいないという志向性が強いため、堅実がゆえに持家に非常に関心を持つ、ということである。
注文住宅を建てるには、具体的にどれくらいの費用が必要なのか。
注文住宅を建てた方の調査を毎年行っている。平均層はだいたい36歳〜38歳・半数は専業主婦・子どもが2人くらいの家族である。団塊ジュニアよりちょっと上ぐらいかもしれない。
土地の平均は150㎡程度である。ただ、これは全国平均なので、東京にお住まいの方からすると150㎡買うのは辛いという気はする。建物面積的には125㎡程度であり、約2700万円が建築費用となっている。新築の方は土地の費用もあるため、倍以上の額になるだろう。
購入時の自己資金は約1400万円ということである。これは自分たちが頭金として用意するものだが、データによると半数が親から何らかの援助を得ており、平均で両親から720万円ぐらい援助がある。ローン返済だけ考えると、賃貸より購入した方がいいということがご理解いただけると思う。
住宅購入の理由を聞いてみると、戸建層では、子どもや家族のために家を持ちたい、という理由が圧倒的に多い。子どもへの思いが住宅購入意欲を引っ張っているということになる。このように、子育てのために家を持ちたいということが団塊ジュニア層からも全体の調査結果からも出てきている。よって、住宅業界として子育てに適した住まいづくりとは何なのか、を長年研究している。
家庭内暴力・不登校といった事件が多かった時には、子ども部屋に閉じこもるということがそういうことを誘発しているのではないかと考えられ、新築する時に子ども部屋を作るべきかどうか悩む母親が非常に多かった。このように、部屋の配置やインテリアなど住宅のつくりが子育てに大きく影響すると考えられ、これまでさまざまな工夫が行われている。
少し前になるが、リビング階段というのが一世を風靡した。リビングルームの真ん中に階段がドーンと出ているタイプである。大体最近はどこの家もこうなっている。学校から帰ってきて子ども部屋に上がるには必ずリビング、あるいはキッチンにいる母親の目の届くところを通過しないと上がれないようにするためである。このような形態は、子育て住宅として必須アイテムになっている。
母親が壁や外を向いて洗い場に立つのではなく、リビングやダイニング、あるいは子どもが遊ぶスペースを見ながら調理や洗い物ができるようなカウンターキッチンが主流になった。今は、アイランドキッチンのようなかたちで、子どもや客と一緒に参加して調理を楽しむ、というようなものが関心を集めている。
子どもをどこで学習させるか、ということはいろいろみなさんリサーチされていると思う。小学校低学年の子どもは、お母さんのそばのダイニングで学習を行っているということから、マルチユースなダイニングにしたいという希望が多い。よって、大きなダイニングテーブルを最初から備え付けで作る、というケースが多くなっている。
リビングに人が集まってくるような工夫を設計したいという希望も多い。IT機器やPCの利用時間が大人も子どもも長くなっているため、それを個室でやるのではなく、リビングで行うようにしたいというものである。リビングの色々なところに配線があるとややこしいため、ちょっとした一角に最初からPCスペースを作りつけて、父親がPCを見ながら子どものリビングでくつろぐ様子と、その先のテレビまで見える、というような角度で作るケースも出てきている。いろいろなことをリビングで一緒にできるような機能を持ったマルチスペースが提案されている。
今年からキッズデザイン賞(http://www.kidsdesignaward.jp/)がはじまった。住宅に関するもので賞を獲得したのが、積水ハウスの『積水ハウスのキッズでざいん』、ミサワホームの『GENIUS Link-Age・with Kids』である。
http://www.sekisuihouse.com/style/suggestion/kids/
「子どもの生きる力を育む家」をコンセプトに掲げた、子どもの発達過程に沿った機能、可変性を提供した住宅である。
表彰されたポイントは、「子育ち」というキーワードである。ふつうは「子育て」ということで我々は「子育て住宅」と言うのだが、これは親からの視点である。やはり、子どもの自律性の視点を忘れてはいけない。そのあたりのことをバランスよく、機能的にも考えていくために「子育ち」というキーワードを取り上げたことが評価されたようである。
http://www.misawa.co.jp/kodate/syouhin/mokusitu/genius_link-age/
子どもの知性や感性、親子の絆を深める工夫、余裕をもって子育てを楽しむ知恵をコンセプトに設計された木造2階建て専用住宅である。
研究されたベースが、ハワード・ガードナーの8つの知性(言語的、絵画的、空間的、感情的、論理数学的、社会的、身体運動的、音楽的)だったということが特徴的である。
住宅建築会社とマンションディベロッパーでは、同じ住宅を供給する側でも、やり方・趣向が違う。住宅建築会社では、各社で研究所を持つなど長年にわたっていろんなノウハウが蓄積されているところが多い。一方、マンションディベロッパーは、物件が子ども世代に向くような立地だったり現場ごとにターゲットが変わるので、そのたび毎の対応になってしまう。そのため、authorityにアドバイスをもらおう、というかたちでミキハウスや、著書でブレイクした『頭のよい子が育つ家』などといったブランドに認定してもらって、「このマンションは子育て世代にいいマンションになっています」というようなアピールの仕方をするケースが増えてきている。
ただ、ディベロッパーがセールスポイントを欲しいだけのために、安易にこのような認定を利用する例は、今後考えていかなければならないだろう。
http://www.55192pub.com/environment/index.html
子育てにやさしい住まい・環境に関して、100項目中60項目以上あてはまれば認定される。
http://www.spaceof5.jp/index.php
有名私立中学に合格した家庭に訪問調査して、家庭における子どもの学び環境についてのコンセプトがまとめられたものである。親子のコミュニケーション、特に母親と子どものコミュニケーションが豊かで、話をする時間をよくとる、お弁当は手作りで一生懸命やる、というような母親が子育てにすごい時間と手を尽くしていた、というのが結果的に共通項だったようだ。現在、共働きが推奨されているなかで、そこまでできるかどうかは疑問だが、人の気配がいつも感じられる、一人ではない、みんながいる中で安心して勉強できる環境づくりは重要であろう。
住宅業界でも、もっと家や住宅について子ども時代から関心を持ってもらいたい、ということでいろいろな教育課程のなかに入ってゆく事にも取り組んでいる。昔は、学校教育では技術家庭などの分野で「住まい」を扱っていた。私も中学校の時に間取りを描いた覚えがあるが、今は時間がとれなくなっているということで、なかなか取り組みにも差があると思われる。
ここでは現在、取り組まれている事例をいくつか紹介する。
http://www.career-program.ne.jp/program/sekisuihouse/
これは学校で使ってもらうための教材の提供である。小学校4年生〜6年生でクラス単位での実施が対象とされている。環境に着目していることに加えて、住まいにも関係あるよう内容が提供されている。
http://www.sekisuihouse.com/exterior/bio/index.html
新築一軒につき、5本の木を植えることを推奨する取り組みである。それも地元の在来種を植えることが推奨されている。ハナミズキがよく植えられるが、外来種なので夏に弱く、何年かするとダメになるケースがほとんどらしい。同じような花をつける在来種のヤマボウシであれば、よく根付き、実もなり、鳥も来るようになるという。家を建てることで、たくさんの木が植栽され、「積水ハウスで家を建てれば、日本に森が増える」という環境活動になっている。
興味深いのは、5本のうち3本は鳥のため、2本は蝶のためという選択の仕方が推奨されていることである。自分の家に木を植えたら、QRコードつきのタグを貼る。それをケータイで読み込むと、その木に集まる鳥の画像、習性などが見られ、鳴き声も聞けるようになっている。子どもが楽しめ、話が広がるコミュニケーションツールになっているのは面白い試みである。
http://www.yononaka.net/index.html
校長の藤原和博先生は、住まいに対するいろいろな著書を出しており、教育と住まいが彼のライフテーマになっている。
スペースやツールが解決することは知れている。その場を、あるいはそのツールを用意した時にちゃんと使えるかどうか、親が実際にそれで何をやっているのか、ということを子どもに示すことが大事だと思う。子どもが勉強するようになるには、親が勉強することであると考えがちであるが、藤原先生も言っているように、親が家で勉強するという大層なことしなくても、お母さんがダイニングキッチンに座って家計簿をつけているとか、お父さん新聞読んでいるとか、日常的なことでよい。大人が何をしているかを子どもが見て、それをまねしたいという環境をどうつくるかということだと思う。
http://www.megasoft.co.jp/3dcon/
間取り図を自分で簡単にかけて、3Dで立ちあげて立面図にすることができる。私もこのコンテストの審査員をしていたことがあったが、応募作品の内容に感動することが多かった。
学校の授業の一環で使っているケースもあり、ITのいろんな技術指導をする時に、何をテーマに動かすか、ということで、住宅をテーマに取り入れていただいたのは非常にうれしい。
家をデザインしようというときには、やはり家に帰って家族に相談する必要が出てくる。制作にあたっては、お父さんお母さんに意見をもらい、これをきかっけに家族のコミュニケーションを生んでいたことがうかがえる。
「母のためにキッチンをデザインしました」や「近所の人が気軽に入って来れるものにしたかったのでこんなデザインにしました」などが応募動機に述べられおり、良い家庭内住教育が形になっていくのではないかと実感した。
http://www.buildersshow.com/Home/
住宅に関する設備をいろんなブース紹介する米国の大きなショーである。だいたい建築会社やビルダーが見に来るビジネスシーンであるが、驚いたのは小学校の低学年の子たちがぞろぞろ社会見学に来ていることである。アメリカはやっぱり家に対する思い、マイホームのアメリカンドリームが今回のサブプライムにも見られるように、非常に持家に対して憧れが強いと感じる。
米国では、カーペンターは消防士などと並んで憧れの職種の上位にあるようだ。日本では、現場で家を建てるというよりも、プレハブみたいに工場で生産して組み上げるというケースが増えてきたので、大工と触れ合う機会は少ない。しかし、こういう現場を早くから子どもたちに見せていくことで家に対する想いとか、そこで過ごす楽しみをもっと深めていけば、家庭から生み出せるものも大きいのではないかと感じた。
コクヨは、2005年で100周年を迎え、「ひらめき、はかどり、ここちよさ」という新たなスローガンを掲げた。
その中でも「ひらめき」は、我々がいま最も取り組みたいことを集約したキーワードのひとつである。今、社会では決められた仕事をこなす以上の創造的な人が求められている。個人個人の創造力をどのように伸ばしていくか、伸ばしていくことによって今までにない新しい価値観をどう生み出していくか、そのきっかけをもたらす製品やサービスを作れないか、と考えている。
私はRDIという部署に在籍している。一般的にはR&D: Research and Developmentという研究開発の部門があるが、我々はそれにIncubation:はぐくむ・そだてるという観点を加えている。研究して開発した後に、それをどのように人々に根付かせていくか、ということをテーマに考えている。リサーチやマーケティングのデータを自分たちに蓄積していくのではなく、自分たちなりに解釈し、新しい価値として提案していくかを進めている。そこで、「ひらめき」を自分たちなりに考えた結果、コミュニケーションと創造性を育むワークショップの要素に着目した。それが家庭で手軽に楽しめることを目的として、今回紹介するような商品「ヒラメキット」ができた。
一人一人の能力をどのように広げていくか、高めていくか、というところに「ひらめき」は有効な言葉ではないか。一般的には、文脈に関係なく、電球がポッとつくようなイメージが「ひらめき」なのではないかと思う。それ以上に、ひらめくプロセスが創造的である必要があると思う。
さらにそこでは、「独創性とオープンな感性が窺えるアウトプット」が重要である。「オープンな感性」は、「多様性を受容する力」と「自分なりに表現する力」の掛け算であると考える。例えば、図工の時間に「何でも描いていいよ」と言われたとする。自分は車の絵を描いていたが、隣の子が花の絵を描いていた。そこでどう感じるだろうか?隣を見て間違えてしまったような感覚、つまり自分の表現を人の表現に合わせることは学校だとありがちである。これからは、自分と他人のものの見方や表現は様々であるという多様性を受け入れたうえで、自分はこうだと表現できる力を出していくことが必要であると考える。この掛け算がその人自身のオリジナリティを支えるのだと思う。
私が関わっているプロジェクトで、小さいうちから柔軟な感性を磨けるような、家で楽しめるものとして作っているシリーズを紹介する。
それがヒラメキット(http://www.kokuyo.co.jp/hiramekit/)という商品である。現在書店で販売されており、本と工作素材がセットになったキットになっている。
いわゆる造形・工作遊びの例は世の中にすでにたくさんあり、家で楽しむものから工作教室・絵画教室で絵の描き方を学ぶといったことまで、人の表現を育むようなきっかけは遊びや学習としてすでに広まっている。しかし、何かそこに現代的な解釈に基づいた価値を盛り込められないかと思い、次の3つの観点からこの製品を考えた。
この観点を踏まえて完成したヒラメキットは、次の3つの特徴がある。
子どもが体験する遊びのプロセスを次の3つの段階に分けた。
ヒラメキットのターゲットは、はさみやのりが使える6歳程度以上の子どもとその父親を考えている。
ターゲットの絞込みにあたり、父親と子ども、母親と子どもが、それぞれどのような時間の過ごし方をしたいと思っているかをリサーチした。そこでは、主に主婦から「自分が家で夕食の支度をする時に子どもが帰ってくる、その時に一緒に遊ぼうということを求められても困る」というお話が多かった。一方、父親は、休日でないとお子さんの起きている顔が見られないという方が非常に多かった。そして、会社帰りに書店などで、休日に子どもと一緒に何か遊べるものを探したい、という意見があった。
そこで、休日を使って子どもと対話をしながら、一緒に何かを組み上げられるようなことを求めている父親に訴えかける商品を書店で販売することになった。
ヒラメキットは4種類ある。次に1つずつ説明していく。
まず最初は「ころころコース『世界○○旅行』へん」というものである。
これは、世田谷にある深沢アート研究所と一緒に開発した。ここでは主に小学生を対象に、身の回りにある素材を使って造形をする、という活動をしている。先ほど掲げたこのキットのコンセプトと同様、子どもたち一人一人に正解を求めない、ということや遊び方を子どもたちに考えさせるということスタンスに、幅広い造形遊びを開発している。
キットに入っているのは、絵本と発砲スチロールの板、ボール、爪楊枝である。絵本には、ボールのコロビーくんが転がりながら架空の世界を旅するというお話が載っている。1ページごとに印刷された写真が切り離せるようになっており、絵本を一通り読んだ後に、その絵本の世界を自分で実際に立体的に組み上げていくことができるようになっている。最後はできたものを繋げて長いコースにして、実際にコロビーくんを転がして遊ぶことができる。
作り方を示すマニュアルはできるだけ薄くした。子どもに自由を与え、委ねるような提案を商品の中で行っている。子どもはそうなると非常に戸惑うものではないかと思う方もいるかもしれない。しかし、商品化前にワークショップを行ったところ、全くそういうことはなく、逆にこちらが説明するやいなや自分のワールドに入ってしまう子どもが非常に多かった。独り言で何か言いながら、そのストーリーを自分で作っていく、というようなケースが非常に多くみられた。その独り言に対して、周囲が「これはどんな話なの」「なんでそこに花が咲いているの」という問いかけがある。それに答えるうちに、「私はこう考えていたんだ」と子どもが自ら新たな発見をする。さらに、作ったコースを隣の子とどうつなげていくか、ということを想像しながら作っていく。自発的なコミュニケーションが積極的に生まれるワークショップになった。何も指示しなくても楊枝だけで彫刻的なものを作る子もいた。
よって、このようなことを家庭で、親子で対話しながら進めていければ、というかたちでキットにしたのがこの商品である。
次に、第2弾の商品が「くるくるシアター」である。
子ども向けの造形プログラムを開発研究している施設である、こどもの城と共同開発した。ゾートロープといって、回転盤がくるくる回る中を、止まっているはずの絵がアニメのように動いているように見える、というものを家庭で作れるキットである。今年のグッドデザイン賞とキッズデザイン賞を受賞した。くるくる回る回転盤の仕組みは100年前のイギリスからあるので、見たことがある人も多いだろう。
キットの中には、2冊組の本が入っている。1冊は「ぱたぱたブック」。これはページをペラペラめくったり、ボールペンとかで紙にロールの癖をつけたりして、ペンを動かすと2枚組のパタパタアニメが非常にスムーズに見られる。これで2枚の絵を使って絵が動くということを理解してもらう。もう1冊は、くるくるシアターを作ってもらうためのマニュアル的な「くるくるブック」が用意されている。このマニュアルの中には、ここにあるものをきっかけに自分のオリジナルアニメを作ってみようという内容から、ゾートロープ自体の仕組み改良してみようという内容までが盛り込まれている。また、大人向けにアニメーションの仕組みや作り方のコツを解説した「パパママmemo」という欄もある。
次は特別号で「スーパーふろくブック」というものである。
よく雑誌の付録で小さい頃遊ばれた方もいると思う。そのような付録が9種類セットになっているキットである。これは造形教室ではなく、田中偉一郎という現代美術の作家と一緒に開発した。日常生活の中でよく見るものが、ちょっと視点を変えるだけでユーモアあふれる美術作品になる、というものである。
たとえば、一枚のオレンジ色の紙が入っている。ここの真ん中のちょっと上の所に緑色の点があるのだが、これだけで何ができるかというと、(紙をぐしゃぐしゃに丸める)「みかん」をつくることができる。このように紙をぐしゃっと丸めるだけで何かが作れてしまう。言ってしまうとすごく単純で馬鹿馬鹿しい。しかし、握るだけで表現ができ、すごく単純な行為一つでものの見方・かたちが変わってくることが気軽に体感できる。すごくシンプルであるが、わかりやすい例である。
他には「自由に塗り絵」というものがある。冊子になっている塗り絵だが、Tシャツの形だけが描いてあったり額縁だけが描いてあったりする。塗り絵の横には、「超かわいいTシャツを手に入れた」「何億円もするすばらしい絵画」など、何らかの想像をアフォードするようなキーワードがひとつ書いてある。そのお題に対して自分ならどのように塗っていくか、ということを考えながら描いていく。
第3弾は、「すいそく・こうさく!ぷくぷく島図鑑」というものである。
これは、CSKグループの社会貢献活動で、京都の大川センターという施設を拠点にワークショップを企画開発しているCAMP と一緒に開発した。
架空の「ぷくぷく島」を設定し、まずこの島の四季や水の流れなどの環境を示した絵本が入っている。そこから「ここに棲んでいる生き物はどんな生き物かな?」という問いを子どもに投げかけ、中に一枚卵型の封筒を入れている。封筒から中身を取り出すと、不思議な形の風船が入っている。これをどうふくらませて、どのような生き物を作るか、ということを子どもに考えさせ、最後に図鑑にまとめて発表するというキットである。
中に入っている工作素材は風船だけなのだが、身の回りにあるコーヒー豆が目玉になるとか、フォークが手足になるかもしれない、というようなヒントが中の本にいろいろ書いてある。これらのヒントから子どもが生き物の形状を考えたり、絵本や地図の情報から「海底深くで暮らしているから目が悪いんだ」と子どもが考えたら、目が非常に小さい生き物を作るなど、さまざまなストーリーを子どもなりに考えて作ることができる。
実際にCAMPで、親子で参加するワークショップを実施した。子どもと同じくらいに大人がはりきって、会場を走り回っていた。子どもにどんなものを作りたいの?って聞いて、じゃあ目だったらこれ、手だったらこれを使いたい、と素材を駆け回って取りに行く様子である。非常に活発な対話の中からお互いに出し合った意見をどう解釈するか、という躍動感のあるワークショップとなった。「いつも子どもだけこういうワークショップやってずるいと思っていた。今日は楽しみたい」というお母さんもいた。子どもと単に遊びたい、ということだけではなくて、自分も子どもとかかわって遊ぶならこうしたい、という非常に意欲的な態度が見受けられた。
次の号は12月14日に、宇宙や月をテーマにJAXAと共同開発したキットを販売する。
これまで商品について紹介してきたが、冒頭に申し上げたコンセプトをどのように実現させるかという部分で非常に多くの課題を残している。
説明書きのわかりやすさや、店頭でパッケージを見たときにどんな商品なのかがわかりづらいというマーケティング的な課題もあるのだが、子どもの放課後学習という観点から考えてみると、次の3つが考えられる。
家でワークショップをするということがどういうことか、これまでの遊びとどう違うのかが説明し切れていないいうことがある。ワークショップという言葉も徐々に浸透しつつあるが、その知見がうまく家庭に持ち込まれるにはまだ距離がある。
こういう商品の形になってしまうと「1600円払うんだから、どれくらいの効果があるんだ」ということを買う側は思ってしまう。よって、効果の定量化を積極的に考えていければと思っている。それを買って楽しんだことで子どもがどのように変わっていったかということを実感できるような製品を作っていかなければと思っている。それには遊ぶ側の子ども自身のアプローチもあるが、それをどう見守るか、という評価者としての親の視点が問われているのではないかと思う。
親がどのように子どもに関わっていくか。指導する立場もあるが、対等な目線で、子どもに「これはどういう風になっているの?」と聞いてあげることと思う。「これはこうすべきだ」と説明するのではなく、子どもがそう考えた理由を聞いてあげる、そのようなことができるきっかけを、キットを通じて提案していきたい。
木村:欧米の子どもたちについて述べると、まずフィンランドには完全に塾がない。外でやる習い事系のものもほとんど皆パブリックで、バレエやピアノなど芸術的な習い事もパブリックになっている。それに対し、イギリスやアメリカは公文があって、1割くらいの子どもが通っているようである。しかし、そこにはアジア系の子どもたちが通っているということで、そういう塾みたいな機関で習うというのはアジアの遺伝子なのかよくわからないが、アジア的な学びのスタイルなのだと思う。
学校からの宿題の指示以外で自分で学ぶというものは、面白いものでどの都市も30分くらいが平均値になっている。つまり、子どもたちが自分で課題を設定して、自分の関心を持ったものを調べたりであるとか、与えられた課題以外について自分で学んでいくのは、もしかしたら30分ぐらいというのが、小学生にとっての一つの目安になるのかもしれない。
藤井:まさしくそこが子育てによい住まいということの一つの評価ポイント項目になると思う。成長に合わせた可変性がどれだけ高いかということを基本にしている。小学校低学年のあいだは親の目の届くダイニングやリビングで勉強するが、高学年・中学校になると、自分だけの部屋があるという人が60%以上になる。
さらに、子どもが独立して夫婦二人に戻っても大丈夫なことを前提に、子育てのあいだはどういう使い方をするか、可変性の高い間取りにしていることが子育て住宅の特徴となる。
木村:専門でないので分からない部分もあるが、おそらく今出た「発達」のような観点がすごく重要なのではないかと思う。やはり他の都市だとどこの家庭でも比較的床面積が広いため、おそらくみんなで過ごせる空間と、プライベートな空間が重要であり、子どもが自立するために育つ隠れ家的なところとか、そういう空間をいかにつくるかも配慮されていると感じるコトも多い。
藤井:海外の例ではだいたい子ども部屋は屋根裏部屋が定位置と決まっていて、そういった意味では子どもは独立することが前提に立っている。だから、日本みたいに一番日当たりのいい部屋が子ども部屋になっているというようなことはなくて、屋根裏部屋、それも星空が見えたりといろいろ情操的な部分もあるのだが、日本のように子どものための家づくりというのはあまりされていないと感じる。
安永:コラボレートパートナーを選ぶ基準は明確なものはないのだが、我々がこうしたいというテーマがあってそれにぴったりフィットする方々を探してくるというよりは、日々子どもと創造性というテーマで何かプログラムを開発している人のなかで、非常にユニークな取り組みをしている方を選定している。
たとえば最初の深沢アート研究所というところでは、ここは二人運営している人がいるが、どちらも先生ではなくアーティストという立場で子どもに接して、プログラムを考えている。それからこどもの城さんは、スポーツならスポーツ、オーディオビジュアルならオーディオビジュアル、というように、非常に専門性の高い方が分かれて開発をしており、非常に充実した設備のなかで生まれるプログラムであり、それを多くの子どもたちが体験しているので、普遍性の高いプログラムができるのではないか、ということでアプローチをした。また、アーティストの田中偉一郎さんという方は、田中さんにしかない感性がある。
軸があって、それをもとに評価して選ぶというよりは、それぞれの個性をピックアップするというような感じである。
安永:私がいるRDIという部署は既存のニーズに対応する部署ではなくて、新規価値がどこにあるかということを模索する部門である。まず世の中にないものについてディスカッションするところから始めて、そこからテーマが立ち上がってくる、という通常のビジネスのスキームとは違う流れのなかでプランを立てていくということがある。そのため、ビジネスとして成立することは遠い未来としては目標としているが、まずはその価値をどのように浸透させていくのか、「これが私たちなりに考えた一つの提案ですが、どう受け取っていただけますか?」という、研究開発の色のほうが強いように思う。
木村:私自身が考えるのは、子どもたちの自律的な学びをどう育むかというのが、この学習で非常に重要なのではないかと思う。将来的には、自分で課題を設定して、その課題にどうアプローチしていくかというプランを立てて実際に行動し、解決していかなければならない。
わりと欧米はそのような学力に問題関心が向いているのかもしれないが、日本では保護者の問題関心は学校で教えられていることをどれだけ身につけるか、ということに向きがちになっているように思う。やはり子どもたちの自分で計画を立てて自分で課題を設定して学習するような力をどういうふうに身につけるかということが放課後の学習の中で重要だと考えている。
藤井:子どもに生きていく力を家で教えるのが親としての役割だと思う。それには人とのコミュニケーションができる子どもに育ってほしいと思うので、家に人を招き入れて子どもがいろんな人と接する機会を作ってあげたいと思う。よく新しい家を作るとお友達や家族を呼びたくなる、ということでお招きするための機能は色々盛り込まれているが、それを同じママ仲間ばかりでなく、たとえば世界のちがう私のような人を呼んで子どもに会わせて会話させることだとかできれば面白いと思う。おじいちゃんおばあちゃんとか、いろいろな世代を呼んで話をさせ、いろいろな会話ができる子どもにしたいと思う。
子どもの‘見守り隊’として街に立ってくれているおじいさん達がいるが、帰り道に会話ができる子どもと、全く素通りしてしまう子どもがいる。知らない人とは話をしないように教えられる社会は怖いと思う。大人とでも会話ができるような子どもを育てられる場を、まず家でつくっていければと思う。
安永:主観だが、学習する環境と日常というものを区別せずに、できるだけそこがシームレスになっていけばと思う。学習する場の延長の場として生活がある、生活の延長として学習の場がある、という連携のなかに本当の学びがあるように思う。
去年の夏、イタリアのレッジョ・エミリアというところに視察に行った。そこは感性教育ということで非常に有名な都市である。幼児学校、日本でいうと幼稚園と小学校のあいだぐらいになるが、乳児から6歳ちょっと上くらいまで通う学校がある。今は独立した法人が運営しているが、もともとレッジョ・エミリア市がそういう幼児学校というものを立ち上げていこう、としたものである。第2次大戦後の廃墟になった街をどのように再生していくか、男性の意見としては何か記念になるようなモニュメント的なものを作ろうとなっていたが、女性からは、町のいわれはどうなっていて、町をどう愛するかということを身にしみて体感できるための施設としての学校を作るという提案が行われた。学びと日常生活がシームレスにつながっていく発端となる考え方で非常に理想的だと思う。日本にはけじめとか、ハレの日とか、区別をつける言葉があるが、それはそれで一つの美学ではあるものの、レッジョ・エミリア的なアプローチのようなもの、そのようなバランスが必要だと思う。
それでは、最後にまとめをして終わりたいと思います。
実は今回、全く業界もバラバラで専門性もバラバラなこのお三方に来ていただくということで、正直まとまるか心配していたのですが、思った以上に、言葉づかいは違うものの皆さんの言っていることはほとんど一致していることに驚きました。
木村さん風に言うと「自律を目指している」、藤井さん風に言うと「子どもが巣立っていく」学習環境、安永さん風に言うと「親は基本的に我慢、子どもが自分で」というのは非常に共通したトーンであったと思います。ここで私は強く教育学で言われている「scaffolding」という言葉を思い起こしました。「scaffolding」とは建築現場の足場を指すことばです。実は教育的に一番重要な介入は何かというと、この「scaffolding」だと言われています。つまり学習者が自立していく時、手を離す時に必要なことだけ介入するということです。「coaching」のように完全に教え込むのではなくて、子ども・学習者は自律的に動いているんだけれども、コケそうなところ、ここは手を差し伸べたほうがいい、ジャンプできそうなところだけ援助する、というこの介入のトーンがお三方、非常に共通していたのが印象的でした。
「放課後の学習環境」を考えていくにあたって、「子どもが自立していくために、子どもが主体的に動きながら、しかも大人が限定しながら関与をしていく」という基本ラインが見えてきたと思います。この方向性を確認できたことが、今回のBEATセミナーの一番の収穫だと思います。
学校教育のような公的に提供される学習は "Formal Learning"、それ以外の家庭や社会で行われている学習を "Informal Learning"と呼ぶことがあります。
"Informal Learning"は、時間的にも圧倒的に長く、重要な存在でありながら、今まであまり注目されてきませんでした。
今回のBEAT Seminarでは、子どもが放課後や休日にどのように学んでいるのか、また、学びをささえる空間や人工物はどうあるべきなのかについて、考えていきたいと思います。