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柏原沙織

新領域創成科学研究科 環境学研究系 特任助教

変化し続ける面白さ ハノイの旧市街

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概要

1月のUTalkでお招きする柏原沙織さん(新領域創成科学研究科 環境学研究系 特任助教)のご専門はアジアの歴史を活かしたまちづくりで、主にベトナム、ハノイの旧市街の研究をされています。アジアの有名な歴史地区の中でも際立って混沌としていたハノイに興味を持ち、研究を進めることにした柏原さん。歴史地区や街並み保存は、変わらないことに価値があると思われがちですが、変わり続けるものには果たして価値がないのでしょうか。また、ひとくちに変化といっても、変化しながら地区らしさを維持していくシステムもあれば、一見変わっているようにみえて、別の視点から見れば変わっていないものもあると柏原さんはおっしゃいます。現代生活に合わせて雑然としがちな街並みと、歴史地区の保存という一見対局的なベクトルは、ハノイにおいてどう交わっているのでしょうか。混沌としがちな日本の街並みとハノイには共通点があるかもしれません。柏原さんのお話を聞きながら考えてみませんか。みなさまのご参加をお待ちしております。

2020年1月9日のUTalkでは、アジアの歴史を活かしたまちづくりをご専門とする柏原沙織さん(新領域創成科学研究科 環境学研究系 特任助教)をゲストとしてお迎えし、「変化し続ける面白さ ハノイの旧市街」をテーマにお話しいただきました。

 柏原さんはハノイの旧市街の混沌に一目見たときから引きつけられたそうです。台北やバンコク、ペナンにも歴史地区は存在しています。しかし、ほかの旧市街では古い建物が綺麗に整備されている一方で、ハノイの場合は「保存地区」とはいいつつも増築が繰り返され、現在でも活発な商業活動が続けられていました。「なんだこれは、ここで何が起こっているのだろうか」という最初の疑問から、柏原さんはハノイの旧市街の研究を始めました。

 なかでも特徴的なのが「職業の通り(phố nghề)と呼ばれる地区です。ここはかつて、ハノイ近郊の職人たちの同業組合が王宮に仕えるために上京して集住した地域で、たとえば貨幣を鋳造する職人が集まっていた通りは「銀通り(Hàng Bạc)」、ござ職人たちがいた通りは「ござ通り(Hàng Chiếu)」など、通りの名前が当時の職業の名残をとどめているのです。
 しかし、ここがハノイの「職業の通り」の一番の特徴なのですが、常に同じ種類の職人たちがその場所にい続けていたわけではありません。柏原さんは、フランスによる植民地化以前から現代までの10時点分の「職業の通り」の情報を集めるため、当時のフランス当局が作成した資料などを調査しました。その結果、通り名とその場所に集積している職業が今も一致している通りは、たった7本しかなかったのです。変化が比較的少なかった「銀通り」も、かつては貨幣鋳造だったのが今は金銀宝石類を売る店が集まっています。「ゴザ通り」は材料の変遷を反映し、いつしか竹やプラスチック製のゴザを売るようになり、その関連で現在はロープやテープ類を販売する店舗が集まっています。類似の業種が今も集積しているところもあれば、まったく変わってしまったところ、時代ごとに常に変化を繰り返しているところ、一時期は同業集積が消えたもののまた現れてきているところなど、その様相は通りごとにまったく異なるものでした。
 もはや「職業の通り」は、変わっているか変わっていないかという二元的な捉え方では言い表すことができない存在だったのです。変化の強度と速度というふたつの軸を設定して整理しながら、「歴史性」とは何かという解釈を広げる必要がある。そして、現在「旧市街」として保存対象になっているもののみならず、もっと変化が弱いものや遅いものも保全の対象として含み込んでいかなければ、この「歴史性」を守ることはできないのではないか。

 柏原さんは、この変化し続けるハノイ旧市街の「職業の通り」の価値を次のように考えました。
 まず、システム的な価値です。この通りは動的なシステムとして機能しています。どんな職業が集積しているかは時代によって移り変わっていきます。しかし、ある職業が集積しているという状態自体は、時代を超えて継承されています。これは、変化しつつも地区としての独自性が継承されていくひとつのシステムなのです。
 そして次に、経験的な価値です。細かな街区割を特徴とする「職業の通り」では、ほんの数分歩くと、また異なる職業の通りが立ち現れます。こうした多様な職業の連続と密度は、ハノイのここにしかない独自の空間体験であると同時に、時代を超えてハノイが持ち続けている歴史的な都市景観なのです。
 変わり続けるものには、果たして本当に価値がないのだろうか? 柏原さんは、そうした我々の固定観念に疑問を投げかけています。

 印象的だったのは、歴史的な地域に対して必要なのは「保存か開発か」という議論ではなく、「その街らしい変化は何か」を見出し、その変化を「管理する」ことが大切なのだ、というお話でした。たしかに、日本の都市に目を移してみても、いかにその地域の歴史を保全するかという問題については、その地域の建築を保存するのか再開発するのか、という二元論に議論が終始しがちです。しかし、これまでの再開発の事例が我々に教えてくれるのは、「保存」の顔をした破壊的な「開発」があり得る、ということではないでしょうか。
 表面的に古い建物が保存されていたとしても、もともとそこにあったはずの人々の生活や文化が失われてしまっていることは少なくありません。たとえばジェントリフィケーションという現象では、その地域の「歴史性」に惹かれた富裕層が開発を進めた結果、あくまで嗜好の対象としての「おしゃれな」街並みが整備される一方で、それまで住んでいた人々が追い出される、ということが起こります。「保存か開発か」という議論では、地域の「歴史性」の捉え方に限界があるのみならず、巧妙に「歴史性」を搾取するような開発があり得ることが見逃されてしまうのです。
 その地域の居住者たちや利用者たちが、どのような営みを展開しているのかに注目することで、変化し続けながらもある形での「歴史性」が維持されていることが見えてきます。そのダイナミックな動きに気づくことの重要性を痛感するお話でした。

[アシスタント:桐谷詩絵音]

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