UTalk / 古代ギリシア彫刻のつくりかた

芳賀京子

人文社会系研究科次世代人文学開発センター 准教授

第152回

古代ギリシア彫刻のつくりかた

11月のUTalkは美術史がご専門の芳賀京子さん(人文社会系研究科 次世代人文学開発センター 准教授)をお迎えします。美術史研究では古代の彫刻を誰がどのようにつくったのかという問いは根本的な問題ですが、近年では従来の様式論のみの研究は行き詰まりの状態にあったといいます。彫刻を目で観察したり文献を読みこんだりしても史料の制約から決定的な結論が得られず、「作者が分からなくてもしょうがない」という風潮さえあったとか。そんな中、芳賀さんは古代の彫刻を3Dスキャンすることでデータ化し、高い精度で形状を比較する研究を進められています。それによって古代ギリシアの工房で「型」がどれくらい使いまわされていたのかなど、これまで分からなかった具体的な彫刻のつくりかたが見えてくるといいます。情報技術を活用した新しい人文学の姿をうかがってみませんか。みなさまのご参加をお待ちしております。

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 2020年11月14日のUTalkでは、美術史をご専門とする芳賀京子さん(人文社会系研究科 次世代人文学開発センター 准教授)をゲストとしてお迎えし、「古代ギリシア彫刻のつくりかた」をテーマにお話しいただきました。
 美術史研究において、古代の彫刻を誰がどのようにつくったのか、という従来の様式論のみの研究は行き詰まりの状態を迎えていたそうです。その中で芳賀先生は、古代彫刻の3Dスキャンデータを活用しながら、新しい人文学の姿を探究していらっしゃいます。

 今日「ギリシア彫刻」と呼ばれているものは多くは、実は古代ローマ時代に作られたコピーなのだとか。そのため同じ作品が大量に見つかり、博物館に展示されることになります。古代ローマ人はギリシア彫刻を非常によく好み、たとえば現代の日本人が部屋に印象派の絵のコピーを飾るように、家を飾るためにギリシア彫刻のコピーを飾っていました。現在出土するギリシア彫刻の数からも、当時大量のコピーが作られたことが分かるといいます。当時使われていた彫刻をコピーする方法は、コンパスを使って三角測量のような方法で石膏原型の寸法を採寸し、そこから大理石コピーを作るというものでした。

 当然ながら、古代彫刻が著者や製作年代や題名を記したキャプション付きで出土することはありません。そのため、資料や出土したほかの像と照らし合わせながら、少しずつその彫刻の素性を明らかにしていくというのが、これまでの古代彫刻研究でした。
 たとえば、プリニウスの『博物誌』の中には、ポリュクレイトスが『槍を持つ人』という彫刻を作ったという記載があります。そして実際ポンペイ遺跡で、おそらくかつては手に槍を持っていたと推測されるコピー像がほぼ完全な形で出土しています。ここから、この像がポリュクレイトスの『槍を持つ人』だろうと結論づけられるわけです。
 ポリュクレイトス、フェイディアス、クレシラスの3人がそれぞれ製作した『傷ついたアマゾン』の例も見てみましょう。同じくプリニウスの『博物誌』によると、高明な彫刻家たち複数名が、それぞれ独自の『傷ついたアマゾン』を作り、どれが最も優れているのか投票をおこなったといいます。そして実際、傷を負った姿の像が複数出土しており、おそらくこれが『傷ついたアマゾン』だろうと推定されます。しかし残念ながら、どの『傷ついたアマゾン』が、どの作者によるものなのかはわかりませんでした。

 当初は大理石で作られていたギリシア彫刻ですが、技術革新によってブロンズ像の製作が可能になります。大理石は外側から彫っていくため、製作途中での試行錯誤はあまりできませんでした。一方、ブロンズ像は原型を粘土で作るので、自在に成形でき、様々な実験ができる画期的な素材でした。ブロンズ像を作るにあたって、紀元前6世紀後半から知られていた方法が、失蝋鋳造法、通称「直接法」という製作技術でした。しかし、この方法は鋳型をいちいち破壊しなければならず、同じ像は一体しか作れない、という大きな欠点を抱えていました。
 余談ですが、現在の私たちがブロンズ像と聞いて想像するのは青銅色である一方、ブロンズは元々、銅褐色でした。古代ギリシアでは日に焼けた男性の身体が理想とされ、その「たくましさ」を表現するために、茶色に輝くブロンズを使用していたそうです。

 鋳型をいちいち破壊しなければならない直接法の欠点を補うかたちで、次に登場したのが、失蝋鋳造法、通称「間接法」でした。この方法では、彫刻家が作った粘土原型から型をとるため、粘土原型は工房に残されます。すると、同じ像をいくつも複製することが可能になります。
 そのことを頭にとめながら、先ほどのプリニウスの記述に立ち返ってみましょう。プリニウスは、「ポリュクレイトスは『鉢巻する人』の像を作った」と書き残しています。そして実際に、『鉢巻する人』の像が見つかっています。もしもこの像が間接法で作られているならば、当然その原型は工房に残っていたはずです。すると、ポリュクレイトスの心情としてはその原型を使いまわしたい、と考えるが自然ではないでしょうか。
 そこで『鉢巻する人』と『槍を持つ人』を3Dモデルで厳密に比較してみると、顔や足の形状がほぼ一致したといいます。ローマ時代に作られたコピー同士でさえほぼ一致しているならば、当然、もととなる像でも、顔や足のパーツで原型を使いまわしていたと考えられます。足のみならず顔までもポリュクレイトスが再利用していたというのは、非常な大発見だったそうです。完璧な間接法とは言えないまでも、少なくともポリュクレイトスは、原型を保存する部分的な間接法を行なっていたことがわかりました。
 さらに、『傷ついたアマゾン』の3つの像も、作者が判明している別の像と3Dモデルで比較したところ、完全に一致するものが見つかったそうです。こうして、どの『傷ついたアマゾン』がどの作者の手によるものなのかが明らかになりました。

 古代彫刻研究の世界では、めぼしい発掘現場は欧米の主要国研究チームによってすでに所有されてしまっており、日本人は新しいデータを手に入れづらい状況であるようです。
 それならば、すでに知られている作品の新しいデータを引き出すことで、研究としての意義を高めることはできないか。芳賀さんが挑戦されたのは、古代彫刻における3Dデータという、新たな研究のフロンティアだったのです。

 こうしたお話を受けた質疑応答では、現代美術の次に新作が多い分野が古代美術なのだというお話がありました。現在も地中海中で発掘作業が活発に行われており、毎年新たな作品が発見されます。常設展示として各博物館にすでに据えられてしまっている作品と異なり、最近発掘されたばかりの作品は展示しやすく、また発掘者側も新たに見つかった作品を展示することで有名にしたがっているため、実は展覧会に行くと新たに発見された新作をたくさん見られるそうです。
 また、現代の我々が、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケの失われた身体についてどう考えるか、というお話もありました。芳賀さんいわく、現代の私たちは彫刻の見方を忘れてしまっているそうです。ギリシア彫刻が作られていた当時、今と比べると娯楽が少なかったため、新作彫刻ができると、ポリスの市民の会話はその作品で持ちきりになったことでしょう。また、当時の人々は、彫刻の身体の部位を個々のパーツごとに論ずるための認識枠組みを持っていたと考えられるそうです。全体が完全に揃っていること、つまり全体性に慣れてしまった現代の我々は、実際に手が失われてしまうまで、彫刻に表現されていた身体の捻りに気づかないのです。

 今回の中でも印象的だったのは、直接法で作られたブロンズ像の中に残された粘土原型のお話です。直接法で原型に使用された粘土はなんと、ブロンズ像の内部に詰まったまま残されることが多いのだといいます。そしてその粘土の組成を分析すると、ブロンズ像がどこで作られたのかが分かるのです。
 しかし、この粘土組成を調べることで製作地が判明するという手法が発見されたのはごく最近のことでした。以前は、保全のために出土したブロンズ像内部の粘土を洗浄廃棄してしまうことが多く、製作地を知る鍵がすでに失われてしまっているものも少なくありません。このように、作品にとって良かれと思ってやっていたことが、実は破壊行為だったということがよくあるのだといいます。
 ここでは、あらためて実物が保存されていることの大切さを感じました。粘土の組成分析も3Dデータのスキャンも、実物がなければ不可能です。さらに、何が研究の証拠として鍵になるかも、技術の進歩や社会の変容にともなって移り変わります。かつてはブロンズを劣化させるごみでしかなかった内側の粘土が、今では製作地を知る重要な「実物」の一部となりました。現代の社会通念や研究手法では価値がないものとして見なされているからといって、それが本当に「価値」がないものかどうかは、時代の審判を受けなければ分からないということがあるのです。何世代ものちの世に常に意識を配りながら、人類が遺してきた「実物」を継承していくということは、美術史に限らず人文学全体ではもちろんのこと、社会のあらゆる局面でこそ必要とされる姿勢なのではないでしょうか。

[アシスタント:桐谷詩絵音]