UTalk / 学生が来るとコミュニティが変化する

岡部明子

新領域創成科学研究科 教授

第150回

学生が来るとコミュニティが変化する

岡部明子さん(新領域創成科学研究科教授)は建築環境デザインがご専門で、主に公共空間、まちづくりをご研究されています。岡部ゼミでは、千葉県の館山で、学生たちとともにかやぶき屋根の葺き替えを行ってきました。地元の方とゼミ生だけでなく、他大学の方まで一緒になって行ってきた「ゴンジロウ」というこのプロジェクトでは、学生たちと地元の方が定期的に交流し、ともに活動していくことで様々な変化が生まれています。岡部さんは、まずその場に身をおき、やれることをやっていくと、地元の人たちとの学び合いを通じて、自然と新たな変化が生まれていくとおっしゃいます。館山だけでなく、ラテンアメリカ、インドネシアなど、グローバルな範囲でローカルな活動をされている岡部さん。従来型の開発とはまた違ったコミュニティとの関わり方を一緒に考えてみませんか。みなさまのご参加をお待ちしております。

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2020年9月のUTalk(新型コロナウイルス感染防止のためオンライン開催)では、東京大学新領域創成科学研究科で建築環境デザインを専門とされている岡部明子(教授 https://okabelab.wixsite.com/okabelab)さんにお越しいただきました。今回のテーマは「学生が来るとコミュニティが変化する」です。

岡部さんは、本日千葉県館山市のGONJIRO(ゴンジロウ)という場所からオンラインで参加されました。岡部さんはインドネシアやコロンビアなどの海外のフィールドを専門とされ、いわゆる「スラム」と呼ばれるインフォーマル地区で、コミュニティのなかに入っていき、一緒に建物を作るという活動を行っています。
他方で、岡部さんが国内で主なフィールドにしているのが、GONJIROという場所です。茅葺きが特徴の古い民家を補修しながら2009年から使用しています。

GONJIROが位置する館山には一つ一つの谷に集落があり、一つの集落に200人程度が住んでいます。岡部さんは2009年に、ある集落のなかで一つだけ残っていた古い朽ちた茅葺屋根の民家を引き受けることになります。そこで、まず地元の方を交えてこの建物の活用について話し合う場を持つことにしましたが、意欲的な学生とは裏腹に、資金や茅葺きの材となる茅、さらには茅葺き職人もいない状況では、地元の人も建物の活用について消極的でした。たった150束の茅だけ残っていましたが、屋根全体を葺き替えるためには1万束の茅が必要なのです。

そこで岡部さんは、金沢に住む若い野村さんという茅葺き職人を捜し出し、雨漏りしているところだけ葺き替えることが可能となりました。こうした修繕を行ったところ、地元の人の反応も変わってきます。少しずつ茅を買って、学生とともに数年かけて建物を補修するなかで、地元の人の関心も集めるようになっていきました。こうして学生と地元の人たちの信頼が形成されていったのです。

岡部さんは、日本の民家研究の草分けである今和次郎の『日本の民家』のなかの言葉を紹介しつつ、ありあわせのものでつくるのが民家であり、民家という建築がもつ行為の広がりを次第に感じるようになっていったと説明されました。つまり、もともと放置されていた民家でも、人手が集まると屋根をふけるようになり、そうなると、茅を刈るという作業が必要になります。また、屋根をふくと古い茅が出ますが、それを田畑の肥料にするようになりました。建物を補修するという作業が、茅を刈ったり、田畑の世話をしたりするという多様な活動を含むものになるのです。建築するということは、たんなるデザインではなく、そのなかでコミュニティができてくることでもありました。

茅葺きという行為が、建物にとどまらず、自然環境からコミュニティまで含めて里山エコシステムを動かしいるのです。もともとGONJIROは屋号で、土地と屋敷とその住人だけを指すのではなく、裏山も、先祖も子孫も含んでいると岡部さんはいいます。

かつて建築家・篠原一男は、民家を「建築である前に自然現象なのである」「民家は、事実、きのこのように地表にはえていた」と表現しました。GONJIROでも、茅場の手入れから、田畑で作物を取ることまで、民家に含まれているといえます。こうした民家によって形成される集落は前近代の産物であることが多いですが、現在も、ありあわせのもので人びとが雨風を防ぐようにして形成された住居は「スラム」として存在します。こうした存在は、人びとが自生的につくる空間の原点ともいえます。

最後に岡部さんは、「コミュニティをつくる」、あるいは「再生する」という言い方がよくなされるが、実感としては「コミュニティはできてくる」ものだと説明されていました。たしかに館山の集落でも、若者が多かった時代は神輿を担いで祭りを行っていましたが、高齢者が多い今の夏祭りでは神事はそこそこに、食事やカラオケをするなどの変化が生じています。GONJIROでも人が次第に集まってくるにつれて、調理が大きな仕事となっていきました。そこで、廃屋となっていた炊き場を修繕し、餅つきや流しそうめんもできるようになりました。このように、コミュニティは人が去ったり人が来たりすることによって、動的にかたちを変えていくものなのです。その意味で、コミュニティは「適応」しています。だからこそ、コミュニティに関わる際には、まず自分が当事者としてそのなかに入っていくことが重要だと岡部さんは強調していました。

参加者の方からは、プロジェクトをはじめて10年以上経過するなかでの変化について質問がありました。岡部さんは、持続可能な活動を行うための条件として、「安心してやめられる」ことがあるのではないかと説明していました。つまり、仮に活動がストップしても、きっとそのうち他の人が何かしてくれるだろうという信頼です。

たとえば昨年の台風15号で館山は被害を受けました。これをきっかけに、活動を部分的に大学から切り離し、GONJIRO塾という私塾を立ち上げ、大工さんが塾長になりました(https://www.instagram.com/kayabukigonjiro/)。移住した建築家や大工さんの指導のもと、学生もふくめ被災した地域の神輿蔵を再建しました。かつての集落では、みんなが力を合わせれば修復できる地力がありましたが、今では失われ、個々の事情に応じた建物のメンテナンスができるような職人・専門家も欠けています。かつての集落もっとオープンな場所に変わり、GONJIRO塾では今後、地域の担い手が育っていってほしいと考えているそうです。

岡部さん、参加者のみなさま、どうもありがとうございました。

[アシスタント:中川雄大]