UTalk / 幻の大蝶ブータンシボリアゲハの謎に迫る

矢後勝也

総合研究博物館・助教授

第51回

幻の大蝶ブータンシボリアゲハの謎に迫る

約80年前にヒマラヤ山脈の奥地で発見されて以来、幻となっていた「ブータンシボリアゲハ」。2011年8月、日本とブータンとの共同調査隊がついにその姿を確認しました。6月のゲストは、調査隊に副隊長として参加した矢後勝也さん(総合研究博物館・助教)。このチョウの形態や生態、さらには生息地の環境や地理を読み解いて、その生き様に迫る、矢後さんの研究について伺います。

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6月のUTalkは、総合研究博物館で助教授を務めていらっしゃる矢後勝也さんをお迎えしました。梅雨の中、店内での開催でした。

昔からの昆虫好きが高じて、現在ではチョウやガの研究に取り組んでいるという矢後さん。今回は78年ぶりに再発見された幻の蝶・ブータンシボリアゲハに矢後さんの研究チームがたどりつくまでの経緯をお話ししていただきました。昨年、NHKスペシャルで一部始終が放映されたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

ブータンシボリアゲハはアゲハチョウの中のシボリアゲハ属に属する4種類の蝶の一種です。中国の一部に生息するウンナンシボリアゲハも日本人が60年ぶりに再発見したそうですが、発見した部隊は山岳事故に遭い、遺品として標本が持ち帰られたという悲劇の再発見だったそうです。

ちなみに、なぜ「発見」ではなく「再発見」なのか、と疑問に思われた方もいらっしゃると思います。それは、最初に発見されてから年数が経ち、生息が長らく確認されていなかった生物が再び確認された、という意味で再発見という言葉が用いられています。
ブータンシボリアゲハの場合、1933年にイギリスのプラントハンターが採集して以来、多くの研究者がこのチョウの再発見に挑んできましたが、矢後さんのチームが再発見するまで見つからなかったそうです。

78年ぶりにブータンシボリアゲハが再発見されたきっかけは、ブータンの現地住民が「よく似た蝶がいる」とイギリスの研究者にメールを送ったところから始まりました。
矢後先生のチームもこの情報をキャッチしましたが、すぐにブータンに飛べるわけではありません。なぜなら、ブータンという国は近年まで長い間鎖国を続けてきたため、政府が国外の研究者による調査をあまり認めてきませんでした。とりわけ環境立国であるため、生物学者には厳しかったそうです。

そこで矢後先生のチームは、一昨年に名古屋で行われたCOP10(第10回生物多様性条約締約国会議)に来ていたブータンの農林大臣にアプローチました。すると農林大臣は快く「来てもいい」とおっしゃったそうです。正式な許可は取らず口約束のまま、実際にブータンに足を運びました。そして農林大臣を訪問すると、「お前ら本当に来るとは思ってなかった」と苦笑いし、「明日農林省でプレゼンをしてくれ」と言われたそうです。再発見チームは徹夜で資料を作成して、ブータンにとってのブータンシボリアゲハを再発見することのメリットをプレゼンし、なんとか無事に許可をいただけたそうです。
しかし今度は別の問題が発生しました。同行したNHKの撮影クルーです。ブータンシボリアゲハの調査は農林省の管轄ですが、調査に入る地域が軍事施設の付近だったため、防衛省の許可を取る必要があったのです。ブータンは九州程度の土地に70万人が住んでいますが、インドと中国という2つの大国に挟まれているため、軍事施設の情報についてはかなり敏感になっているそうです。これもなんとか交渉し、軍事施設を撮影しないことを条件に防衛省からの許可も取得しました。そしてブータン入りから4日後、ついに首都を出発します。

国の中央を走る国道1号線を一路東へ向かいますが、首都から一部の距離しか舗装されておらず、道中は険しかったそうです。ブータンという国は厳粛な仏教国家で自然を愛し、神聖な山を傷つけません。そのため、トンネルを一切作らないそうです。3500~4000m級の峠を何回も超えたそうで、1日に2回超えることもあったそうです。峠には神様がいるとされ、通るたびにお参りをするという習慣もあったそうです。また、食べ物が美味しいそうです。辛いものと乳製品が多そうですが、チームが訪れた8月はキノコのシーズンで、調査のおみやげに農林大臣からマツタケを5kgももらったそうです。
車で行ける限界まで着くと、徒歩(荷物は馬)で渓谷を登っていきます。道中でヒマラヤを超えるとされるオグロヅルを見かけるなど、トップクラスの自然保護区だったことが伝わってきます。
ダニ、ノミ、ヒルといった虫に悩まされながらも、調査地域にたどり着きました。
調査地域では、コテージをベースキャンプにして1週間の調査を実施しました。木が豊かなので、現地の人は自分たちで簡単に家を立ててしまうそうです。矢後さんたちが泊まった所も、現地のおじいさんが新婚の息子夫婦を住まわせるために建てた家を貸していただいたそうです。
調査1日目、ブータンシボリアゲハはすぐに見つかりました。なんとその家を出たところを優雅に飛んでいたそうです。ブータンシボリアゲハは10~15mの高さを飛んでおり、持ってきた7,8mの網が届かなかったそうです。着いてすぐに見つかってしまったので、NHKクルーも困惑したそうです(笑)

では見つかった蝶がなぜブータンシボリアゲハだと分かったのかというと、生態的な特徴を観察することで特定できたそうです。外見が非常に似ているシボリアゲハと比較すると、幼虫の色や、卵の産み方も違うそうです。ブータンシボリアゲハはウマノスズクサに卵を山盛りに生みます。アゲハチョウでもこんな生み方をする種はいません。これは、この地域に生息する卵寄生蜂から卵を守るため、山盛りの外側の卵を犠牲にするためだそうです。

そして、なぜブータンシボリアゲハはこの地域にしか生息していないのかという謎についても仮説が立てられました。ブータンはインド洋からのインド洋からの湿った風が吹きますが、この地域だけは南側にある山脈が湿気を落とし、乾いた風が吹く、いわゆるフェーン現象が起きます。1日1回豪雨が降り、雨が止むとカラカラの風が吹くそうです。こうした特殊な気候条件がブータンシボリアゲハを生きながらえさせたのではないかと矢後さんは騙りました。ブータンシボリアゲハに限らず、特殊な気候条件下で種分化していった生物がほかにもあるそうです。またブータンシボリアゲハは毒を持っているため、天敵が卵寄生蜂しかいないそうです。

一週間の調査を終え、標本を採取しましたが日本への持ち帰りは許可されませんでした。しかし昨年ブータン国王が訪問された際に、その時の標本を持ってきていただいたそうです。ブータンは鎖国から開けて間もないため、生物学者、とりわけ昆虫学者が育っていないそうです。矢後さん達は昆虫学者の育成支援をブータン政府に頼まれたそうです。現地の学者が育てばもっと調査に入りやすくなる、と矢後さんはおっしゃっていました。

ブータンシボリアゲハの再発見をめぐるストーリーだけでなく、ブータンという国の魅力も存分にお伝えいただいたあっという間の一時間でした。お集まりいただいたみなさま、ありがとうございました。 

[市原大輝]