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037:2008年度 第4回 2009年3月28日開催

特別セミナー 教育工学25年の歴史から考えるデジタル教材の未来
基調講演
「メディアの変遷と学習」

  • 教育工学25年の歴史から考えるデジタル教材の未来
  • 基調講演「メディアの変遷と学習」

1. 教育・学習におけるメディアの変遷

赤堀侃司 メディアと学習の関係の歴史は古く、1930年位にラジオが出てきた時から、すでにラジオを学習に取り込むことが考えられてきた。つまり、70年くらいの歴史がある。しかし、その中で最も影響が大きかったのはインターネットの出た1995年だと思われる。その理由は、いわゆる視聴覚教育や放送教育、コンピュータ教育などは、冠に全て、そのメディアの名前を付けてきた。つまりそれまでは、教科教育に対して道具を使うという形での教育であった。

しかし、1995年にインターネットが入ってきたとき、「インターネット教育」とは呼ばれなかった。インターネットというのは、その中にたくさんの情報源がある、いわばリソースである。よって、それを使って教科の学習をするというより、それ自身が知識源なのだから、それをどう使うかの能力の方が大事なのではないかということで、わが国では「情報リテラシー」という言葉ができ、情報教育を作ろうという動きになった。

その頃から、メディアが手段から人間の方にシフトしてきた。人間はインターネットをどう使ったらよいのかということになって、情報教育をもっと大切にしようという意見が出てきた。メディアを通して人がどう関わるかが大事だということがわかってきた。

2. 活字メディアと学習

かつて私のゼミ生が行った、箇条書きの学習効果に関する研究(関1993)は非常に面白かった。この研究は極めてクリアなもので、ただの文章を与えた「埋没群」よりも、箇条書きで書かれている文章を与えた「箇条書き群」の方が、文章の内容理解に優れていることを明らかにしたものである。

最初、私はその研究計画を見て、箇条書きの何がよいのかわからないじゃないないかと言ったところ、彼は面白い方法を考えた。それはアイカメラで、目線をずっと追うことで箇条書きの方が優れている原因がわかるんじゃないのか、というアイデアだった。

そしてわかったことは、ただ文章を読む「埋没群」は、最初から最後までずーっと読んでいくことでようやく内容が理解できるが、「箇条書き群」は1回読んだら後は拾い読みをしてストンと理解できていることである。これが何故すごいかというと、たぶん人は読みながら頭の中に構造を作っている。読みながらこれは重要か重要でないかを頭の中でわかろうとする。わかろうとすると、「埋没群」はずーっと上から読まないとわからないようになっている。しかし、箇条書きなっていれば、頭の中にちゃんとアンカーみたいなものが生まれ、それに沿って内容が頭に入ってくる。それがわかった。頭の中に情報を入れようとする場合、構造がそれを助けるという本質的なことを明らかにした研究であった。

基調講演「メディアの変遷と学習」 同じような研究として、テキストの構造に関する研究(中西2004)がある。この研究では、英文を書く際に、「ワークシートを与えて日本語で何を書くのかを先にまとめさせてから英語を書く群」と、「いきなり英語を書く群」とを比較している。その結果、いきなり英語を書かせるよりも、日本語で構造を考えさせてから英語を書かせる方が必ずうまく書けることがわかった。なるほどと思ったのは、ネイティブと違って、我々日本人は一度頭の中で日本語を使って構造化しないと書けないようである。

それから、フィンランドの教育においても、朗読をするだけでもただ文章を読むだけではなく、物語の展開が描かれているチャートを配っている。つまり、構造が大事だということがわかっているのである。

3. マルチメディアと学習

1990年代前半は、マルチメディアシステムをつくることは技術的に大変だった。コンピュータのメモリやディスク容量が足りなかった。そんな中で、留学生の欧さんは、共同でマルチメディアのシステムを作った(欧1994)。

そこで私は、ただマルチメディアのシステムをつくるだけでは研究にならない、本当にマルチメディアのシステムが学習にとって良い効果が出ているという証明をしてくださいと言った。それで欧さんがしてきた評価が実に面白かった。制作したマルチメディアシステムは、東京の実際の乗り物に乗るためのシミュレーション教材だった。本当に紙のテキストよりもマルチメディアの方が効いていることを証明するために、「紙テキストだけを読んだ群(テキストグループ)」と「マルチメディア教材を使った群(マルチメディアグループ)」をつくり、実際にルートを設定し、その道順を辿ってもらった。本当に実証しようとしたのである。

その結果、「テキストグループ」よりも「マルチメディアグループ」の方がその乗り物を使った移動で余計な時間がかからなかったことが証明できた。テキストでは、そこから色々と想像しないといけないが、マルチメディアを使うと音と映像が入るので、わかりやすいということが明らかになった。

また、楊さんという留学生もすごく良い研究を行った(楊1998)。彼の研究はいわゆるCALL(Computer Assisted Language Learning)システムであった。CALLやCAI(Computer Aided Instruction)の研究で一番難しい問題はバグ(誤答)研究である。彼は、記述された文章を単語などに分解して解析し、誤りを処理するアルゴリズムを作った。これは、実際の場面では、現場の先生が経験で処理しているものであり、その仕組みを解析してフィードバックをするシステムを作ったのである。

この2つの研究の後、マルチメディアを使ってわかりやすくするという方向と、仕組みを詳しく解析してフィードバックを与えるという方向の2つが出てきた。結果として、仕組みを解析してフィードバックをするシステムは廃れてきて、今はマルチメディアのほうがわかりやすいということで生き残っている。もっとわかりやすく、もっと映像があり、もっとアニメーションがあるマルチメディアがだんだんと増えてきた。

4. アナログとデジタルの接近

基調講演「メディアの変遷と学習」 最近は「手書き」が見直されてきているようで、私もそう感じる。確かに、書かないと学力が下がるというのは一理あるし、みなさんもそう感じているのではないだろうか。ただ、一方で我々はもはやパワーポイントがないと話せなくなっている。これをどう融合するかが大きな課題になっているだろう。

それで、留学生の李さんが面白い研究を行った(李2005)。それは、日本語添削システムである。彼は、赤ペンでの添削を有効に利用できるように、データの収集はデジタルに任せて、添削はペンを使って実際に書き込むシステムを作った。質問紙調査の結果、添削について、紙に手書きしたものよりも、Wordに入力したものの方が主観的な評価が低いことがわかった。このころから、デジタルの中にアナログや「人の存在」そのものが感じられるようにすることが重要だとわかってきた。

この「人の存在」が学習を助けるという指摘もある。実際、eラーニングの継続性の問題としてロンリネス(孤独感)がある。デジタルの中に教師の存在感やアナログ感覚をどう取り込むか、もしくは連結させるのが重要なのではないかと思っている。

2005年につくられたWebメモシステム(伊藤・柳沢2005)も非常に面白い。これはWeb上やパワーポイント上に、アノテーション(関連する情報を付与すること)をすることが記憶に有効なのではないかと思って作られたシステムである。これで興味深かったのは、Web教材での学習直後の成績は、「書き込み有り群」も「書き込み無し群」も差はなかったが、1週間後は「書き込み有り・見直し群」のほうが、「書き込み無し・非表示群」よりも成績が上がっていた。

ここから私は、手書きの本質はどうも手を動かしたり、動作を行うことなのではないかと思い始めた。人は何かを学習する際には必ず手が動く。動作を起こすということは、学習した内容などを外に表現しようとしていることであると考える。

5. モバイルツールと学習

赤堀侃司 ベネッセコーポレーションとの共同研究で、ポケットチャレンジというモバイル学習機器を使って、紙の場合と集中力がどう違うかを検証したことがある。その結果、集中力をよそ見の回数で測り、英語教材の利用において、モバイル学習機器と紙の場合を比べると、モバイル機器の方がよそ見の回数が何回やっても少なかった。

つまり、モバイル機器を使ったほうが、集中力が上がっているといえる結果となった。今の時代は、モバイル機器がなければ落ち着かなくなっていて、ドラッグになっているようだ。モバイルはデスクトップと違って、小中学生の脳の一部や体の一部になっているのだとも思う。

もう一つの例として、携帯電話による質疑応答の研究(山本・赤堀2007)がある。その結果、モバイルのもう一つの利点として「共有」があることがわかった。授業において、直接質問をさせようとするとほとんど出てこないが、質問を携帯で出してもらうとどんどん良い意見が出てくる。さらにプロジェクタ等で質問が教室の前に表示されることで、お互いに同じようなことを思っていたんだなと共有できるようになった。この「共有」こそが重要な要素なのだと思う。

モバイルが生徒に集中を促すのであれば、どういう生徒や時間に効果があるのかを明らかにしようとした携帯ゲーム機と学習に関する研究(赤堀ほか2008)がある。調査の結果、一番効果が出るのは月曜の朝だということがわかった。この理由としては、おそらく土日は遊ぶ子が多いので、月曜日の朝に携帯ゲーム機を使うことで学習のきっかけを与えることに繋がったのでないかと考える。また、ものすごく優秀な子を対象にすると、英単語を何千語と覚えるようにもなった。

この原因については、まだまだわからないことが多い。ひとつの実験として、携帯ゲーム機を使ったときの脳血流の変化を測った。すると、個人差はあるものの、「携帯ゲーム機を使った群」の方が「紙の群」よりも物事を考えている前頭葉が赤くなる、つまり、集中していることがわかった。しかし、これはせいぜい15分くらいしか続かないこともわかった。それと同時に、さらに高いレベルにチャレンジすることで脳が再び活性化することも明らかになった。

ここからさらにわかったことは、ドリル型教材だけではだめだということである。そこで我々が提案するモデルとしては、授業は先生というプロがいるのだから授業でやって、モジュール学習が向いている隙間の時間、朝や放課後の時間、家の時間、などの15分くらいの時間に、生徒に携帯ゲーム機を使った学習をしてもらうかたちが良いと考える。その15分の時間でこそ、モバイルの学習が向いているということが我々の研究でわかった重要なことである。

また、学力の差は、授業以外の勉強時間が多いかどうかにかかっている。だから、家庭教育や隙間の時間にターゲットを絞った学習の支援を、モバイル学習教材で行っていくことが大切だと考える。

6. まとめ

「メディアの変遷と学習」に関して、これまでの論点において重要なことは、以下のようにまとめることができる。

  1. 頭の中で構造化をすること
  2. マルチメディアによる音声や映像を使って学習すること
  3. デジタルの中にアナログのものや人の存在を組み込むこと
基調講演「メディアの変遷と学習」

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