株式会社ミサワホーム総合研究所
第9回:地域のヒト・モノ・コトを繋げる仕組み ― 海士町 巡の環の取り組みから ―
第9回の公開研究会ミライバの開催レポートです。
今回は株式会社巡の環取締役の信岡良亮さんをお招きしました。今回の研究会は普段の研究会とは少々異なるプログラムで進められました。
会場にはテーブルと椅子が用意され、模造紙やマーカーが置かれ、いつもと雰囲気が異なります。
また、本日の話題提供内容を、参加者のみなさんで決めていただくとのことで、信岡さんから3つのテーマでご提案を頂きました。
多数決により、巡の環行う中で考えてきた、「人口減少社会の田舎と未来の話」をしていただくことになりました。
後半は参加者の方交えたパネルディスカッション風の質疑応答と、ワールドカフェで議論を深めました。
信岡さんは生まれも育ちも関西の方。
ITベンチャーに就職したものの、企業が利益をあげることと、人が幸せになることとの関係性に疑問を感じるようになります。
その頃にたまたま『離島発 生き残るための10の戦略』という、海士町の山内町長の書かれた書籍と出会います。
町長は給与を50%カットし、まちを持続可能にするために一生懸命取り組んでいる海士町の取り組みに魅了された信岡さん。
そして「よそもの・わかもの・ばかもの」大歓迎と書かれているところを見て、「3つ全て当てはまる」と思い立ちIターンをすることになります。
本州から60km離れた場所にある隠岐諸島、その中の島前地区にある一つの 島が海士町です。人口は2300人しかおらず、本州からフェリーで3時間かかる島。コンビニもゲームセンターもありません。
しかし、地域活性や教育の取り組みで注目を集め、多くの著名人が足を運ぶ島でもあります。
知人のつてでまずは3泊4日海士町に滞在した信岡さん。そのまま2007年に移住をし、そのまま巡の環を創業します。
現在は島の小さい経済を回すべく、行政とのプロジェクトに取り組んだり、教育事業を手がけたりしています。
教育事業では、多くの大企業が企業研修として海士町に訪れます。
町の財政規模が約50億から40億の規模ですが、そのうち8割くらいくらいが交付税。
町の税収は1~2億にとどまっており、一番大きい産業として漁業が4億円の規模でした。
海士町は地域活性では日本最先端の島。それでもこうした現状を受け、信岡さんは「みんな一生懸命やっていて、回ってないときにもっと頑張れと言われても、ちょっとできないな。それでないと成立しないのならば、ほとんどすべての地域がもうダメじゃないか」「都会が稼げていて正しい世界で、田舎は稼げていなくて苦しい世界という見方は正しいのだろうか」ということを考えてみたくなったそうです。
高度経済成長期の時代とは異なり、現在は出生率が低下し、少子化が進む。
東京などの都会に人口が一極集中する形は変わらず、そうした環境がまた少子化を促進させる構造は変わらないのではないか。
そうした背景で、海士町が海士町だけで経済的に自立していくということでなく、日本全体として都市と農村がチームとなって、稼いだり、生活を営んだりしていくという考え方があるのではと考えます。
高度経済成長期の日本では、多くの人たちが地方から都会への移動を始めました。
1990年代には、労働のメインとなる20~30代がいなくなり、過疎化が深刻化し、少子化に少なからず影響していきます。
一方で、東京の出生率は1.09ととても低く、地方はそれを上回る出生率。信岡さんは「人が産みやすい田舎から産みにくい都会にみんなで集中してきた結果、人が産めない社会を作ってきた」と分析します。
実際に出生率は1970年代あたりから2.0を下回っており、このままいくと2100年には人口が4700万人までに減ると予想されています。
現在関東圏に3500万人ほど、関西圏(京阪神)だけで1900万人の人暮らしており、全体で5400万人。
そうすると単純に見れば、首都圏、関西圏だけで人口が成立してしまう状態となってしまう。
信岡さんはそうした日本の未来を予測しながら、経済的に自立をする都会が正しいという見方ではなく、出稼ぎに行くお父さんと、家を守るお母さんのように、地方と都会の役割分担をしながら、それぞれの立場で一緒にこれからの未来を考える関係性を見つめたいと考えます。
その考え方に「都市農村関係学」と名付け、現在は東京で暮らしながら、海士町にいる巡の環のメンバーと一緒に、これから何ができるだろうかと新しい活動に挑戦をしている最中とのことでした。
信岡さんからのお話を受け、参加者のみなさんはグループごとに考えたことを模造紙に書きながらトークを行いました。
参加者のみなさんからは、「地方や地域に存在するものや特徴を、よいものとして捉える関係性ができたら」というご意見や、「自分にとって豊かさとは何かを考えることが大切なのでは」という問題提起も出ました。
海士町は、多くの人がその魅力を実感し、地縁がないにもかかわらず移住してしまう方が多くいます。
その1つの魅力として海士町は「教育」の取り組みも特徴的です。
地域を再活性させるためには「高校」の存在が重要です。なぜなら高校が廃校になると、家庭ごとその地域から移住してしまう状態になってしまうからです。
海士町の島前高校も廃校の危機を迎えましたが、「島前高校魅力化プロジェクト」によって島前高校は復活します。
例えば地域で生きていける人を育てるために、実際に地域で行っている活動や、地域産業などを高校のカリキュラムに取り入れていたり、「隠岐國学習センター」という公営の塾を開設し、大手企業を辞めた方々が現在学習支援を行っていたりしています。
高校改革を経て、現在は全国から「島留学」として多くの高校生が進学を希望するようになり、現在は新入生の5割が島外から入学し、ドバイからも進学してきた生徒さんがいるほどになりました。
従来の価値観は、アメリカが世界のトップであり、その後ろを日本が跡追いする。
日本のトップは東京で、田舎はその末端にいるという認識になりがちでした。
しかし海士町の面白さはその価値観を逆転させた発想で改革を進めている点。
人口減少が進んでいるからこそ、社会課題の最先端だと名乗り、その発想でダイナミックな改革が進んでいる現状があります。
全ての地域が同じような取り組みを行うことは難しいかもしれませんが、日本という国が持つ価値観を逆転させる視点を与えてくれる海士町は、まだまだ目が離せない地域だと感じました。
今回お話しいただきました信岡さん、そしてお集まりいただいた参加者の皆さま、どうもありがとうございました。
ミライバ事務局(NPO法人Collable):山田小百合
公開研究会「ミライバ」開催報告
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