今年の6月にPISAの「デジタル読解力調査」の結果が発表された。皆さんがコンピュータで情報を検索するときのことを思い出してみてほしい。キーワードを入れ、複数のページをたどり、必要なページにたどり着いたら、そこに書いてあるテキストを読み、必要な情報を自分で掴み取るという、普段紙ベースで読み取っていく読解の過程とは、異なるプロセスをたどることになる。また、紙の場合は、必要な情報が全てその紙の中に書かれており、すでに構築されたテキスト内で情報をまとめる。デジタルの場合はデジタル特有のプロセスをたどることになるので、バラバラな情報を自分の中で再構築していく必要がある。したがって、紙の読解とは違ったスキルが必要となってくる。さらに、コンピュータで検索をするときには、「個人のブログなどよりも公的機関のHPのほうが信頼性が高い」というように、情報を判断していく。このように情報の出どころの判断能力が問われてくることも、今回の調査でわかってきている。このデジタル読解力は、PISAのテストにとどまらず、21世紀の社会を生きていく上で必須の能力になってくる。
PISAの読解力調査は、今後全面的なデジタル化が検討されている。その理由は2つある。1つめは、TOEFLのテストがコンピュータになったように、採点が容易になったこと、2つめは、日常のリーディングの約8割がウェブサイトを通じて行なわれるため、ウェブサイトを読む力が必要になってきたためである。
経済協力開発機構(OECD)が進めているPISA(Programme for International Student Assessment)調査は、3年おきに実施されており、日本では2003年実施のテストの点が急落した。これが「ゆとり教育」の影響ではないかと騒がれた。その後、「読解力向上策」を文部科学省が打ち出した。その効果があってか、2009年のPISAのテストの点は上昇した。しかし私の考えでは、ごく一部の学校の点数が上がったがために、全体的に得点が上がっただけで、他は今まで通りの国語の授業を行なっている。
日本人の読解力について考えてみると、日本の高校教育において、先生方は多くの授業準備をしているのに、なかなか効果があがっていないように見える。理由は、現在国語の授業では、「登場人物の気持ち」や「読者の気持ち」ばかりを問うているから。そして読むスピードが遅いから。例えば、大量の文書をよまなければならないとき、1日1場面という授業スピードでの教育を受けていてどうして仕事で速く本が読めるのかと思う。速く本が読める人は、学校の授業の外で身につけていると考えられる。
以上のような経緯と前述したウェブサイトを読む力の必要性の高まりから、2006年からパイロットテストとしてデジタル・コンピュータ使用の調査を行なうようになった。
PISAの他に、IEA(International Association for the Evaluation of Educational Achievement)によるテストが30年ほど前から存在する。日本が数学で世界一となり、世界中の教育者が日本に集まってきた時期があった。「なぜ日本の教育が優れているか」というテーマでアメリカ人著者の本が出版されたりもしていた。それがIEAのTIMSS(Trends in International Mathematics and Science Study 詳しくはこちら http://www.iea.nl/timss_2011.html)テストである。しかし日本は、その時にIEAの読解力のテストであるPIRLS(International Reading Literacy Study 詳しくはこちら http://www.iea.nl/pirls_2011.html)だけは参加しなかった。なぜなら文章が英語で書かれており、それを翻訳することが大変だったからである。よって、数学の能力は高かったが、読解力が高かったかどうかはわからなかった。
IEAによるPIRLSテストは理解するところにとどまっているからつまらない。なぜなら記述式の問題は多いが、書いてあることを正確に理解させる問題が多く、読み手が受身となってしまうから。そして、自分自身が「楽しい・活き活きとしている、面白い」と思うような、創造的・主体的・個性的なことがないから。
PIRLSテストと比較して、PISAの問題は内容理解にとどまるような問題は2、3割にとどまっている。それに代わって批判的読解(critical reading)の問題が登場する。文字通り書いてあることを読むことに加え、ここに書いてあることを元にして[書いていないことを推測すること]=解釈することが求められる。さらに、PISAはその次の批判する・自分の意見を述べるステップまで踏み込んでいる。そこまで踏み込むことが、現在の教育で行なわれるべきことだと思う。
以上のような経緯から、IEAというテストがありながらPISAが実施されるようになった。両方に参加している国もある。日本の場合、理科と数学はIEAのTIMSSとPISAの両方に参加しており、読解力はPISAのみに参加している。また、IEAのテストに参加していた国がPISAに乗り換える場合も出てきた。現在PISAには65カ国参加している。
文部科学省・国立教育政策研究所「OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)」の中で「国語・数学・理科の各授業におけるコンピュータの使用状況(デジタル読解力調査参加国)」という結果がある。他国と比較して日本では、国語の授業でコンピュータを「全く利用しない」と答えている割合が99%と、驚くべき結果になっている。数学と理科も98%を越えており、コンピュータの利用状況はかなり悪い。この結果を見ても、日本という国は特殊だと思う。
参考:文部科学省 国立教育政策研究所「OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)デジタル読解力調査〜国際結果の概要〜」p.55:
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/06/28/1307651_3.pdf
現在日本で配布された電子黒板は、ほとんどの学校で埃をかぶっている。そして、世界の先生の生活を見てみると、世界で最も働いているにもかかわらず、世界で一番効率が悪い国は日本ではないだろうか。
日本人は自分の意見を述べることが苦手である。意見を述べる問題では、白紙提出が40%いる例もある。今回のデジタル読解力についても同じことが言える。ある問いでは、日本の無回答率が、OECD平均よりも10ポイント高いというものもあった。なぜこのようなことが起こるのか、どういった問題がそこにあるのかを考えてみてほしい。
文部科学省のHPにPISAの問題が載っているが、掲載されている問題を見て、これが全ての問題だと思ってはいけない。難易度が3段階に分けられて考えられており、一番難しい問題は大学生でも答えられないかもしれない。
例として「『手助けしたい』に関する問題」を見てみる。ここで出題された問題を見てみると、インターネットの情報を検索すること、そして、情報の正確さを判断することなど、出題された問題が実践的なものとなっている。さらに「このブログを書いた目的は何だと思うか?」という問題が出題される。日本では珍しいと思われるだろうが、欧米では普通に扱われている。
参考:「手助けしたい」に関する問題:文部科学省 国立教育政策研究所「OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)デジタル読解力調査~国際結果の概要~」 p.68~:
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/06/28/1307651_4.pdf
日本人の読解力に関して、3つの評価の視点で考えてみる。まず、「理解」することに関して日本人は得意とする。次に、「解釈する」問題の点数は少し下がる。自分の意見を述べるような内省させる問題については、さらに点数が下がる傾向にあることがわかる。
PISAの問題のほとんどはオープンエンドの問題であると言える。
ブッククラブの詳細はこちら:有元先生のHP
http://www.nier.go.jp/arimoto/
今の授業のほとんどは
今回は6人の方々に実際にe-Bookの授業を受けていただいた。パワーポイントのスライドにナレーションとBGMを組み込みこんで、紙芝居のように利用し、物語が進んでいく。物語の途中で「どうなると思う?」「なぜだと思う?」「どう思う?」など、様々なオープンエンドな質問が投げかけられ、その場で推測したり、自分の意見などを考えさせたりする時間を柔軟に取っていた。途中、e-Bookに出てくる問い以外の質問も投げかけられることもあった。
日本で「教育の情報化」というと以下の3つが挙げられるが、あまり普及されていない現状がある。
文部科学省著作刊行物(MEXT 1-1101)「教育の情報化に関する手引」についても学校現場ではあまり知られていない。
参考:文部科学省「教育の情報化に関する手引」について
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/1259413.htm
情報教育とは、児童生徒の情報活用能力の育成を図るものであり、平成9年10月の「情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の進展等に関する調査研究協力者会議」第1次報告において、情報教育の目標については次の3つの観点に整理されている。
(文部科学省「教育の情報化に関する手引」より
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/1259413.htm)
課題や目的に応じて情報手段を適切に活用することを含めて、必要な情報を主体的に収集・判断・表現・処理・創造し、受け手の状況などを踏まえて発信・伝達できる能力
情報活用の基礎となる情報手段の特性の理解と、情報を適切に扱ったり、自らの情報活用を評価・改善するための基礎的な理論や方法の理解
社会生活の中で情報や情報技術が果たしている役割や及ぼしている影響を理解し、情報モラルの必要性や情報に対する責任について考え、望ましい情報社会の創造に参画しようとする態度
(37)国語(算数)の指導として、普通教室でのインターネットを活用した授業を行なっていますか
(38)国語(算数)の指導として、発表や自分の考えを整理する際に、児童がコンピュータ等を使う学習活動を行なっていますか
(39)国語(算数)の指導として、教員がコンピュータ等を使って、資料等を拡大表示したり、デジタル教材を活用するなどの工夫をしていますか
→教科の差は特になく、教員の活用率が2010年でどちらの教科でも7%という低い数字を示した。
参考:国立教育政策研究所「平成22年度 全国学力・学習状況調査【小学校】報告書」p.71〜72:
http://www.nier.go.jp/10chousakekkahoukoku/02shou/shou_ikkatu.pdf
「各教室等においてコンピュータ等を使って指導できる教員の割合」
増加傾向にあるが、数値は自己申告に基づくものであり、ここに示された6割というグラフをどう解釈するかが問われている。
参考:文部科学省 教員のICT能力の推移:学習到達度調査(PISA2009)「デジタル読解力調査」のポイント p.5
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/06/28/1307651_1.pdf
(1)PISA2009の報告書によると、日本は普段の1週間のうち、国語・数学・理科の各授業において、コンピュータを使っている生徒の割合が最も低い
国語… 日本:1.0%、OECD平均:26.0%
数学… 日本:1.3%、OECD平均:15.8%
理科… 日本:1.6%、OECD平均:24.6%
(2)マルチメディア作品の作成では、「自分で上手にできる」、「誰かに手伝ってもらえばできる」と回答した生徒の割合が参加国・地域の中で最も低く、表計算ソフトを使ったグラフの作成については、OECD平均より低い水準にある
(3)「平成22年度 全国学力・学習状況調査」より
・児童(生徒)に対して、本やインターネットなどを使った資料の調べ方が身につくよう指導していますか
・児童(生徒)に対して、資料を使って発表ができるよう指導していますか
・児童(生徒)が自分で調べたことや考えたことを分かりやすく文章に書かせる指導をしていますか
→(1)(2)を見ると、デジタル読解力4位とは思えない調査結果となっている。しかし(3)の「平成22年度 全国学力・学習状況調査」の情報活用に関する項目見ると、小学校も中学校も、「よく行なった」「どちらかといえば行なった」と答えている割合がすべての項目で8割を超えている。この現状を見ても、コンピュータに関するスキルはもちろん、デジタル読解力も自然に身についていると考えられる。
小学校における情報活用の状況
リンク:国立教育政策研究所「平成22年度 全国学力・学習状況調査【小学校】報告書」.p.60
http://www.nier.go.jp/10chousakekkahoukoku/02shou/shou_ikkatu.pdf
中学校における情報活用の状況
リンク:国立教育政策研究.「平成22年度 全国学力・学習状況調査【中学校】報告書」p.66
http://www.nier.go.jp/10chousakekkahoukoku/03chuu/chuu_ikkatu.pdf
PISA2009の報告書によれば、「読解力」とは次のように定義されている。
「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考し、これに取り組む能力」
・「書かれたテキスト」とは、プリントされたテキストだけでなく、インターネットやコンピュータ上でアクセスできるようなデジタルなテキストも含まれる
・デジタルテキストに基づく「デジタル読解力」は、上述の読解力の一部とみなされる
・プリントされたテキストの読解(プリント読解)とデジタルテキストの読解(デジタル読解)に必要な技能は基本的に同じ
しかし、デジタル読解では以下のような新たな力点や戦略が必要とされている。
・「情報へのアクセス・取り出し」では、複数のナビゲーション・ツールを利用し、多くのページを横断しながら、特定のウェブページにたどり着き、特定の情報を見つけ出す技能が求められる
・「統合・解釈」では、リンクを選択し、テキストを収集、理解するプロセスにおいて、それぞれのテキストの重要な側面を読み手自身が構築していくという違いがある
・「熟考・評価」では、プリントテキスト以上に、デジタルテキストでは情報の出どころや信頼性、正確さを吟味、判断しなければならない
ここでは1人1台端末の授業の様子(小学校)が紹介された。先生は電子黒板を利用し、児童もそれぞれタブレットを使いながら授業を受けている。授業の内容によってはプリントと併用しながら利用する様子もみられた。しかし、授業の内容や方法によっては、デジタルよりもアナログの授業のほうが質的に良い場合もあった。
韓国のデジタル教科書プロジェクト(2010.9)、京畿道教育委員会プロジェクト校(2011.10)
ここでの授業は、調べ学習とプレゼンテーション用のスライドを作成させ、最後にプレゼンテーションを実際に行う授業が多い。日本よりも慣れているせいか、観察した学校では、生徒は15分ほどでスライドを作成し、プレゼンテーションを行なうことができた。しかし、内容がいわゆる「コピペ(コピー・アンド・ペースト)」になっている生徒もいた。プレゼンテーションのスキルは上がったが、果たして「理解」はできていたのか、疑問が残る。コピー・アンド・ペーストでプレゼンテーション資料を作ってしまっていたため、文言の読み方がわからずうまく機能していないケースも見られた。韓国でのデジタル教材を使った授業もまだまだ課題が残るという印象をもつ。
シンガポールのフューチャースクールは、今年、5校から7校に増加した。入学したら1人1台タブレットPCを購入することになっている学校もある。今回紹介された学校で参観した中国語の授業では、子どもたちは紙メディアを全く使用しなかった。ICT機器やデジタル教材が学習の道具としてしっかり機能しているため、デジタルが授業の邪魔をしていない様子がうかがえた。
この背景には、デジタル情報を扱うための様々なスキルの習得とデジタル情報を円滑に扱える授業支援システムがあると考えられる。
教科埋込型 | 独立教科型 |
・小中学校における新しい領域の創設 ・小中学校における新しい教科の創設 |
・教科内容の改善 ・教科内容への位置づけの改善 |
子どもたちが各教科の学習活動における情報活用の場面と、身に付けるべき情報活用能力を意識できるように、情報活用に関する基礎的・基本的な知識・技能等をわかりやすくまとめた教材が開発されることが望ましい。こうした検討を踏まえた上で、情報活用能力の育成に資する学習活動を、すべての学校で充実させるための基礎的な教材として、1人1台の情報端末において動作するデジタル版「情報活用ノート(仮称)」などを開発することも考えられる。
小学校の学習指導要領をみると、以下のように著作権教育について言及されている。
第2章 各教科 第1節 国語 第5学年及び第6学年
(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/koku.htm#5_6gakunen)
小学校 国語
第3章 第3節 第5学年及び第6学年
「B 書くこと」ウ・エ記述に関する指導事項
(1)書くことの能力を育てるため、次の事項について指導する。
ウ 事実と感想、意見などとを区別するとともに、目的や意図に応じて簡単に書いたり詳しく書いたりすること。
エ 引用したり、図表やグラフなどを用いたりして、自分の考えが伝わるように書くこと。
・国語で「引用」について学ぶ
・教師が、著作権と関連付けて実践できるか?
→各教科での情報活用場面を、情報教育として捉え、情報活用能力の育成を意図して収集した情報の引用方法を指導できるようにすることが望まれる
※みなさまからの意見を司会がまとめ、パネリストに質問を投げかけるという形で進められました。
有元:私が授業でやろうと思って開発して、その後あちこちの学校で実践される予定だったが、今は私だけ。アメリカの大きな読書学会でe-bookの特集があったが、こういうオープンエンドの問いで子どもたちにディスカッションをさせるような教材は非常に少ないと思う。
有元:最も大きい理由は子どもが興味をもつことだと思う。また、イラストを入れたり音楽を入れたりナレーションを入れたりしようとすると、自然にデジタルになってくる。一番使い勝手の良いメディアなので、デジタルに移行することは自然なことだと思う。また、視覚情報以外の雰囲気を含めて、総合的な効果を得られると考えられる。
有元:学校の先生は「評定」という意味での評価のことを気にする。評定というのは学校の通信簿をつけることで非常に大変。ルーブリックという評価基準があるが、根拠が物語に書いてあることに基づいているかどうか、説得力があるかどうか、スピーチの時の姿勢、声の届き方、話している内容などを3段階や5段階で評価していく。アメリカの先生はルーブリックの評価基準を生徒と一緒に作っている。そのような評価基準を作ることが大切になると思う。つまり、答えの多様性を認めながら、「論拠に基づく意見が言える」などの評価基準を設けて学習を評価することが大切になってくる。
PISAのテストも、正解の例が十数例あげられているが、そのようなテストは今までなかった。根拠がテキストに基づくか、質問に的確に答えられているか、主張がはっきりしているか、などが基準になる。PISAの場合、世界中から採点者が集まって訓練を受ける。学校の先生はそれを1人で行わないといけないから大変になるだろう。
野中:これは大きな問題だと思う。デジタル読解力における情報アクセスのスキルは必要だと言われる。そのようなスキルが授業の中に自然に入ってこない限り難しい。先生が教室の中でデジタル情報を扱える環境をつくり、先生も自然に使うことができるといった地道な環境づくりから始めないと難しいのでは。このような環境設計を取り入れている諸外国と比較すると、日本は10年の差がある。韓国は2000年の段階で教室に情報機器がはいっていた。日本では研修は今までも行われているが、諸外国と学習環境の違いがあると思うので、まず整備から行なっていく必要がある。大きなスクリーンに、教材を提示することが手間なくできる学習環境整備は前提条件である。
山内:始まったばかりで結果がどうこうというレベルではないが、例えば21世紀型スキル、デジタル読解力、批判的思考などといっても、現場の先生方の意識として、質的には有元先生がおっしゃるように、テキストを理解するというのが教科指導の中心となっている。そのため、「そこから出るのが怖い、文化的にどう出たらいいかわからない」という中で出ていこうとしている状況だと思う。
野中:全く同じ議論が昨年も行なわれた。スキルや情報の扱いだけを抜き出して指導しても、何を学習したかわからない。だからこそいろんな教科の中に組み込まれるべきだという話が出た。しかし、今の教科でも、様々な教科の中で情報は扱っているのだが、その学習活動を積み重ねて行く中で情報活用能力をどのように身に付けさせるかという意識を先生に持ってもらうために、一度カリキュラム化してみて、教科とすりあわせて、教科の学習の発展の中でデジタル教材として扱うことを提示して、イメージしてもらうことが必要なのではと思う。情報活用能力の全体像が見えないまま、先生の力量の捉え方などが入ってしまう。例えば、小学校高学年の授業時間で約30時間スキルを扱えるような授業と、教科で学習したものを組み合わせて、既存の枠組みの中で扱えないかなどを考えている。
有元:デジタルのほうが様々な機能があるということはお分かりいただけたと思う。それを使う方向にいくのは当然だと思う。ただ僕が多くの先生方と話していても、自然にデジタルメディアを使うことに対して、忙しくて扱えないという現状がうかがえる。先ほど野中先生が挙げてくださった先生の例を見ると、余程の勉強家であると思う。恐らく「デジタルリテラシー」をPISAが扱えば、大きな衝撃となり、日本でも扱う数が増えると思う。しかし今もしそのようなテストを行なったら、日本はこれだけデジタルに触れていないので、テストの点は悪いだろう。そうしてデジタル教材・教科書などを使うようになってくる。お忙しい先生方がデジタル教材を使うようになるかどうかは、デジタル教科書になって、教科書会社が競争しながらいろいろな教科書を作り、パソコンが苦手な先生でも使えるようになる必要がある。一般の学校の先生はパソコンが苦手なので、苦手な先生方にも利用しやすい教材が当然出てくるようになってくると思う。そうならないと今の状態で先生方に努力しなさいと言っても意味がない。
野中:現実問題として、現在我々の接する情報の多くはデジタルなので、必然的に学校でも扱われるのは当然だし、割合が増えていけばいくほど、シフトせざるを得ないと思う。そこに読解力が含まれるというのがOECDの見解だと思う。あとは、デジタルの情報を読み解くときには「情報評価」といった情報の信頼性、正確性と自分自身で吟味できる力が非常に重要になってくる。ときどき立ち止まりながら扱っている情報について授業の中で吟味することを行なっていくべきなのかもしれない。どちらかというと日本は教科書中心で、情報を疑う・批判する・吟味するという授業があまり実施されてこなかった。そういう授業が展開されていかないと、デジタル情報を扱うことは危ういと思う。
山内:本質的なところはテキスト読解もデジタル読解も共通していると思う。力点の問題として、適切な情報を探してくるか、探してきたAという情報とBという情報の差異をどう解釈するのか、図書館情報学的な情報リテラシーや、イギリスのメディア教育やカナダのメディアリテラシー教育などは、もともと日本のいわゆる国語の授業に入っていたが、情報リテラシーの重要性がプリントよりもデジタルの方が強く出る可能性があったと思う。成績として出るときに影響しているかどうかはわからないが、環境がアナログからデジタルに移行するに従ってそのような影響はあると思う。
有元:パソコンを駆使する能力は生きる力そのもの。今の社会人が優秀かどうかはパソコンをどれだけ駆使できるかどうかの能力だと思う。ただ、デジタルを利用するとしても、オープンエンドな個性的でクリティカルな意見が出てディスカッションができないと意味がないと思う。デジタル教科書が普及したほうが、先生方が触れる機会があって良いと思うが、今の紙ベースの教科書でもできることはあると思う。あとは先生が個人的にパソコンに熟達していただいたほうがいい。
有元:国語だと、文章の校正を行ないやすいことがデジタルならではだと思う。物語のタイムラインもパソコンだと示しやすい。キャラクターマップ(人物相関図)も、パワーポイントだと楽で綺麗に作成できる。それから、ある同じ課題を子どもたちに与えて、それぞれの意見を黒板に一斉に出すということもできる。しかし、教師の熟達が求められるので、すぐには難しいとは思うし、無理に行なう必要もないと思う。
山内:全く違う観点でお話をすると、個々のデジタル教材でなにができるかということではなくて、デジタル教材そのものが流通する可能性をもっているということ。これは非常に重要なことで、今まで学校は学校だけでリソースが閉じていた。しかし近年では、他の所で作られた教材を他の学校で利用することが、はるかに低コストでできるようになった。アメリカの場合は、ボランティアで誰かが作った教材が3割利用されている。いわゆるOpen Education Resources(OER)というもので、外部団体・ボランティアがつくる教材が教育現場に入ってくるということが、アメリカでは日常的に行なわれるようになっている。
野中:デジタルでコミュニケーション・共有・コラボレーションというのは普通言われる答えかなと思う。ただ求められる力を補うために何が出来るのか、という点をまず考えた上で実施していく。そのための基礎的な力はアナログでもデジタルでも同じだと思う。そこにスキル的要素が加わるようにしないと、デジタルで効果的な教育ということを考えると苦しくなると思う。そういう発想をまず置いておいて、できるところからやるということを積み重ねて、地道に力をつける。その負荷を減らすために環境を整えて、テクノロジーも進歩していく。デジタル情報に囲まれている現代社会の中で、私たちに何ができるのかを考えていくことが大切。
有元:ウェブサイトを使ったリーディングを元に考えてみたらいいと思う。みなさんが旅行をする際の宿を探すときにウェブサイトを見ながら考えることと同じ。旅行は個人的な例だが、ウェブサイト特有の検索能力というものがあり、これが会社などで必要となると大変なことだと思う。そのように、アクセスした情報を批判的に読み、得られた情報を取捨選択する力をつけてやろうというものがデジタル読解力であり、文章を読んで自分で考えて自分で評価するクリティカルリーディングが重要になってくる。それができないと、デジタルリーディングも意味がない。ただし、デジタルリーディングという部分にだけ目を奪われると、あまりよくない授業が行なわれてしまうこともあるので気をつけたほうがいい。
野中:PISAが定義したもので議論しているため、自分ではまだ熟考中。試行錯誤がいるだろうなという理解をしている。
山内:私が気になっているのは、実は、デジタル読解力テストの結果で、日本は最上位のレベル5の割合が5.7%と非常に少ない点。自分の頭で批判的に考えられる人材が少ないということを象徴的に表している。国際的な人材を育成しないといけないと言われている中、この結果だと致命的だと思う。この能力がデジタルの文脈で可視化されることが重要。レベル5の割合がもっと上がるようにならないとまずいのではないか。
有元:年間100億のお金がかかっているので読解力の底辺は上がる。しかし、先ほど山内さんがおっしゃったことは非常に重要で、自分の頭で批判的に考える教育をやっていないということを示している。昔、東京大学で教鞭をとっていたときに、同時に国際基督教大学(ICU)でも教えていたが、学生の半分は帰国子女でディスカッションがよくできていた。はるかにICUの学生の方が東大生と比べてディスカッションがよくできていた。ICUは1年生の時からディスカッションを盛んに行わせている。ディスカッションの訓練を受けているかどうか、つまり自分の頭で批判的に考えることができているかどうかは重要だと思う。オーストラリア・ニュージーランド・アメリカではそのような教育が行われている。国際的な人材を育成する上で、自分の頭で批判的に考える教育についても本気で考える必要がある。
この公開研究会レポートは当日の記録をもとにベネッセ先端教育技術学講座で作成したものです。