従来の教材開発やオンラインの学習環境について、シナリオやストーリーを利用した開発手法を活用した事例は多く存在する。特に読み物・漫画やアニメなどを利用したリニアな学習コンテンツに関しては商業的にも成功事例が多い。一方インタラクティブな学習教材・学習環境という観点では普及がなかなか進んでおらず、課題が様々存在する。
そのようなシナリオ型の学習コンテンツの開発は、1990年代〜2000年代にかけて学術的な研究が進んでおり、デザインの枠組みや方法論の開発が進んでいる。今後は、そのようなデザインの手法が日本国内でも普及していくのではと期待されている。
一方、教育分野の外に目を向けると、ユーザーを引き込む仕掛けや、楽しさ・興味を引き立てる仕組みは、エンターテイメント、ゲームの世界で充実したコンテンツ開発が行われているという現状がある。
教育や学習の分野においてもユーザーを引き込む仕掛けや、楽しむ中で学びを引き出すという手がかり・ヒントを得られたらという趣旨で、今回のセミナーを企画した。
現在「大航海時代Online」というゲームで、開発プロデューサーを勤めている。歴史を扱うゲームとして、いかにプレイヤーを楽しませるシナリオを提供するか、その手法について今回はお話させていただく。
私が子どもの頃からゲームに興味関心はあったが、歴史は苦手だった。しかし大学に入って、当時の光栄(現・コーエーテクモゲームス)のゲームにはまって歴史に興味を持ち始めた。ゲームによって歴史の面白さを知った。在学中は歴史小説を読みあさり、次第に将来は仕事で歴史ゲームを作りたいと思うようになった。その後1993年に光栄に入社し、それ以来歴史に関するタイトルのゲームの企画やゲームデザインを行っている。「大航海時代Online」のプロジェクトを9年前に立ち上げた。
太閤立志伝Ⅱ、大航海時代Ⅲ、維新の嵐〜幕末志士伝〜、大航海時代Ⅳ、決戦Ⅱ、三國志戦記、大航海時代Online、国盗り頭脳バトル〜信長の野望〜、のぶニャがの野望
昔は英語学習のゲームも出しており、教育分野にも関わりがあった。
一般的にシナリオというと、ひとつの物語を順番に見せていくと想像されるが、本作ではプレイヤーの自由度を重視しており、プレイヤーが「1人の船乗り」になりきって遊べるようになっている。1本道のストーリーでプレイヤーを縛ることはしていない。様々な活動ができるようなシステムが多く用意されており、好きなように巡って遊んでいただくという設計になっている。テーマパークのアトラクションのように、お客さんに好きな順番で遊んでもらうというイメージに近いと思う。
ゲームの舞台は16世紀の中世ヨーロッパ。当時の世界が忠実に再現されており、プレイヤーの出身地として、西ヨーロッパの強国(イスパニア、ポルトガル、イングランドなど)が登場する。ヨーロッパを出発して、世界中すべてが航海の舞台となる。
船乗りになりきり、暴風雨、疫病、船員の反乱、海賊の襲撃など、様々なトラブルを乗り越えて、まだ見ぬ世界を目指す。コロンブスやマゼランなどのように偉業を成し遂げるべく、世界中を航海する。
船乗りには3つ(冒険家、商人、軍人)の職業系統があり、更に細分化された100以上の職業から自分の生き方を選択することができる。当時の航海者は、船長であっても、様々な顔をもっていた。このように当時の船長になりきれるよう、様々な生き方を用意している。
歴史のゲームでは世界設定が重要。世界をどれだけ忠実に再現できるか、細部へのこだわりが大切。その際、その世界についての文献や写真などを集めて、それらを参考に3Dモデルへ再現していく。
本作には決まりきったストーリーがないと言ったが、ストーリーが展開されていく形でシナリオも準備されている。いろいろな形のシナリオがあるが、目的によって使い分けている。
シナリオ制作は製作コストがかかるが、非常に複雑で凝った演出をすることができる。
選択肢によって、次の分岐点などが変わることもある。このように話を分割するのは、プレイヤーの自由度を損なわないための工夫。ストーリーの途中でもプレイヤーは好きなことができる。このような実践は多くのロールプレイングゲームやオンラインゲームでも採用されている。
史実と創作のバランス
史実をそのまま再現するのでなく、少し創作をまじえる。大河ドラマでもそうだが、史実を逸脱しすぎない範囲で創作を行うと、話が面白くなる。
史実にはわかっていないことがたくさんあるので、想像して埋めるしかない。また、史実の中にエンターテインメントとしてはふさわしくないものも数多くある。史実をそのまま再現しても現代人の感覚では理解できないものもある。荒唐無稽なことを制作しても、世界を楽しんでいるプレイヤーが冷めてしまうので、世界設定の中で、納得できる創作を心がけている。例えばキャラクターの服装はオリジナルだが、史実に基づいて創作されている。
プレイヤーがその時代の人物になりきるためには自由度が重要。自分の行動が自由に選択できることにより、その世界に実際に生きているかのような感覚を抱くことができる。
サービスに近い側面がある。広い意味でゲームを楽しんでもらうため、サービスのシナリオとして存在する。定期的にコンテンツを追加している。また拡張パックの提供時には、ユーザーカンファレンスを開催して、クイズ大会や、関連するテーマの専門家などによる講義、ゲームに登場するお菓子の試食など、ユーザーとの交流を行なっている。
そもそも歴史は面白い。歴史は人間同士が起こしたあらゆるドラマの集大成といえる。そこに出てくるキャラクターが繰り広げる話が面白い。因果関係を知ることによって歴史に興味を持つようになる。
歴史はエンターテイメント素材の宝庫。色々な感情が渦巻いたり、多彩な文化が登場したり、キャラクターの成功談・失敗談など、生きるための知恵が詰まっている。
実際にいただいた感想の中にも「地理のテストなどで点数がとれて、ゲームをやっていて良かった」などの感想があった。実在する身近なものが面白い由来やドラマをもっている。実際の大航海時代は非常に大きな発見や変革があった時代。現実とゲーム世界をつなげるということで興味を持ってもらう。
Q. 自由度の維持というが、日本人と海外での自由度のイメージは違うと思う。例えばアメリカ人は通行人を攻撃することまで「自由度」と考えてしまったりする。どこまで自由度をイメージして作っているのか
竹田:アメリカなどでは、ゲームの世界で自由度というと、確かに何をやっても良い世界のように感じることはある。表現したいことが合致したり、中のゲームを楽しんだりする際に、その自由度が意味を成しているのであればいいと思う。表現すべきものの範囲によって、深さも変わってくると思う。今回はシナリオの中での自由度の話として捉えていただけたらと思う。
Q. 歴史の楽しさとして人間関係や因果関係の楽しさがあるという話があった。実際この話はつまらないという話があったら教えていただきたい。
竹田:たくさんある。ダイジェスト自体は面白くても、特にその間のつなぎがつまらないことが多いので、そこの脚色を考えることは多い。
当時の教育工学の先生方が集まって、財団のプロジェクトとして、面白そうなゲームを使った教材をつくろうというプロジェクト。このプロジェクトが私とシナリオ型教材との出会いになった。
2005年、放送大学大学院での講義を作る際に、シャンク教授を取材することになった。2006年より、熊本大学大学院 社会文化科学研究科
教授システム学専攻に所属。当時、「大人の学びを専門に学べる大学院が日本にはなかった。eラーニングは流行っているが、ろくでもないeラーニングしかないのはなぜかというと、大人の学びを観察的にとらえて学問として研究しているところがないから。「そこをあなたが切り開いてくれ」と、学長室で説得され応じたことが始まり。
1946年生まれ イエール大学:人工知能研究(CBR、スクリプト)
1989年 | ノースウェスタン大学:学習科学(GBS) アクセンチュア社との共同研究で企業内教育に革命(ストーリーを使った企業内教育) |
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2002年 | カーネギーメロン大学西校(SCC) ストーリー中心型オンライン大学院創設 |
2003年 | Socratic Arts社CEO(関連会社) NPO法人Engines for Education代表(VISTAなど) |
2005年 | トランプ大学CLO |
2011年9月 | Alternative Learning Place開始 |
事例(1):EPA(米国環境保護局)職員研修用のコミュニケーション技法を扱ったシミュレーション教材(シャンク率いるノースウェスタン大学学習科学研究所デザインチームの代表作)
※資料 046-Suzuki.pdf:4MB p1参照
・物語:地域との協力関係構築が題材。
→仮想の地域を作って、その地域集会で何ができるか。
GBS理論が目指すのは学校改革〜シャンク教授からのメッセージ〜
※資料 046-Suzuki.pdf:4MB p2参照
・「興味を活かしてこそ教育」
地下鉄であれ何であれ、興味をもてることに関連付けてたくさんのことを教えられる。それこそがGBSのコンセプトだ。
根本的に興味のない事例に無理矢理目を向けさせる必要はない。なぜ興味をもつべきなのかを示してやれば良い。例えば、地下鉄のことをよく知りたかったら経済学を無視することはできない。その二つは複雑に関係し合っているんだから。まあ要するに、興味のある題材を使って、世界の全てを教えよということだよ。それがGBSというものだ。
→こどもの興味からスタートして、その興味の中で何を教えるか。
※資料 046-Suzuki.pdf:4MB p3参照
物語を作るためにはまず文脈が必要。物語を体験する人間が、ゲームだと思える役割を与えて、その役割がどういう使命を達成しなければならないか、ということを説明する。
様々な選択をさせる。その選択を繰り返し行っていくことで、様々な問題が生じたり、いいことが起きたりする。
ゲーム中にフィードバックを得ることができる。シナリオ上でのイベントで解説を聞いてもいいし、あらかじめシナリオ操作をする際に、様々なリソースにアクセスし、少し知恵をつけてから選択行動を行なってもよい。
伝統的なインストラクショナルデザインでは、ゴールを先に決め、そこから分析を始める。しかしゴールそのものがつまらない場合はどうするかが問題になる。例えば「今から2次方程式を教えます」と言われても面白くならない。それなら、事前に2次方程式を教えるということを伝えないで、例えば「橋を作るために強度を計算しなければいけない」というストーリーの中で「2次方程式が必要だ」と言う方が学ぶ意欲がわく。学習者側が「これならやってみたいな」と思うようなミッションを掲げる。しかしエンターテイメントと違い、学習の場合は身につけさせるべきスキルがあるから、そのゴールとなるスキルを隠してしまうという考え方。GBSが教授設計の理論として成り立つためにはゴールが重要。シナリオ操作をさせる時の選択肢に、「Aを選ぶということは、A'のことがわかっていないな」ということを考えた選択肢を入れる必要がある。つまり誤解に基づいて選択肢を作る。その誤解が解けることによって、対象スキルが身につくという仕組みになっている。
GBSからSCC*への転換〜作らないeラーニングでスケーラビリティを確保〜
*SCC Story-Centered Curriculum(物語中心カリキュラム)の略
※資料 046-Suzuki.pdf:4MB p4参照
※資料 046-Suzuki.pdf:4MB p5参照
実際に来校しての受講は、修士論文発表会のみ。99%ラーニングを実現。自動採点システムや掲示板を導入し、実績を上げてきた。
※資料 046-Suzuki.pdf:4MB p6〜9参照
「IT時代の教育イノベーター育成プログラム」:平成19年度文科省大学院GPに本専攻のプランが採択される。
熊本大学教授システム学のミッション:eラーニング専門家をeラーニングで養成する
↓SCCの導入
より高い実践力と理論的知識の血肉化
eラーニングにおける教授方法の全般的な改善
「あなたは2008年4月に、Meet-The-Mind社(MTM)にeラーニング・システムの企画・設計者として入社しました。3年間中規模ソフトウェア開発の総務に所属していましたが、教育関係の担当をするうちに教育の専門家として今後活動していきたいと思い、MTM社を選びました。」
※資料 046-Suzuki.pdf:4MB p7上図参照
※資料 046-Suzuki.pdf:4MB p10参照
「彼らは年間を通じて本当に勉強し、課題をこなした。学校へ行くフリをしていたんじゃない。私が思うに、この新しいモデルは長期的には勝利を収めるだろう。今でも教授たちが壇上に立って『レクチャー』をしている―その風習は1500年代には意味のあることだったが、それをいまだにやっているという事実はほとんど狂気の沙汰だ。」
なぜ1950年代にレクチャーが成り立っていたのか。それは、人間が字を読めなかったがために、話を聞かせるしかなかったからである。情報はいくらでもあるから、勉強するために「なぜその勉強が必要なのか」という文脈を最初に与える。必要な情報だけをその文脈の課題に合わせて、必要な情報だけを勉強する。要するにつまみ食いのような勉強をする方法に改めなければいけないのでは、ということを言っている。「なぜ勉強をしなければならないのか」ということを考えるときには「ストーリー」が大切。そのストーリーがリアルで、自分が「その課題をできるようになるときっと面白いことが将来待っている」という見通しが立たないと、やる気にならない。ぜひ学校・大学で行っていることを根本的に見なおして、みんなでストーリーを楽しめるようにしていこう。
※みなさまからの意見を司会がまとめ、パネリストに質問を投げかけるという形で進められました。
鈴木:GBSというのは基本的にはオンラインゲームの設計と同じだと考えてほしい。SCCと比較して何が違うかというと、SCCは、ゲームとは違って普通の大学の授業で成り立つものにスケールアップしたもの。
鈴木:カーネギーメロン大学と熊本大学のSCC同士の違いになってしまうのだが、うちはすでに普通のカリキュラムが準備されていた。カーネギーメロン大学は新しくカリキュラムを作ったという違いがある。熊大では既存のコンテンツをほとんど一切変えずにコーディングしたようなもの。他の大学院で同じようなことを実施しようとするなら、いま行なっているものの質を上げるというところから取り組まないと、ストーリーをコーディングしてもどうしようもない。
竹田:違いがあるとすれば、「ゴールが違う」ということだと思う。先ほどのお話は「学ぶことがゴール」ということだったが、ゲームの場合は「楽しむことがゴール」。楽しむためにゲームの中でいろいろなことが知りたくなる。目的と手段が逆だと思う。「知ること」が目的なのか、手段なのか、ということ。ゲームでは「知ることが手段」。
鈴木:「動機づけ」という言葉は、「やる気にならないと学ばない」ということ。つまり、やる気になることは学ぶための手段だと考えられる。そして、やる気になるということは次の学びへの条件でもある。国際調査でも順位が下がっていることが問題と言われているが、それは問題ではない。問題なのは、勉強時間が少ない、教科の勉強が好きでない子が多いことだ。一生懸命勉強をするが、「もうやりたくない」と思ってしまうことがよくない。動機づけというものをゴールとして、次の動機づけをすることが大切。そういう意味で楽しむことは手段であり、やる気になることがゴールだと思う。
藤本:起点となるものやその視座。ゲーム開発者から同じ題材を見ても、まず楽しませるためにはどこを使ったらいいだろうという視点がまず来る。ところが、学習側の立場からすると、同じ歴史というものについても、何か標準的なものを学ばせないといけないのだけど、どういうふうに取り込んだらいいのだろうという視座がある。同じ題材なのだけど、違う見方をする。その時にその立ち位置からストーリーを作るとなるときに、やはり違うものができるだろうなと思う。 私は「シリアスゲーム」という「誰かのためになるゲーム」の開発について研究しているが、楽しさとのバランス、「何かのためにさせる」というところを起点にすると、楽しむだけではよくない。目的としている学びと組みあわせ方が非常に難しく、まだ開発しきれていない部分だと思う。
竹田:非常に深いテーマであり、ゲームで一番苦労するところだと思う。ゲームの場合は競合するタイトルが非常に多いので、その中でどのように魅力を伝えていくかが非常に大切。昔は最初の5分が勝負と言われていたが、現在では5分もたない。最初の30秒・1分で惹きこまないと5分ももたないくらいと言われている。
購入するゲームは、「買ってしまったので、つまらなくても続ける」ということが多いが、オンラインゲームは無料のものが多いので、惹かれないとすぐにやめてしまう。そういう意味で最初のつかみは大切。
その「つかみ」にも様々な手法があると言われている。例えば突然窮地に追い込まれる、大きなインパクトを与えて逃れないといけないシチュエーションにするなどの手法がある。
高橋(司会):鈴木先生のGBSの解説で「挫折をすることで学ばせる」という言葉が先ほどあったと思うのだが。
鈴木:なりきれない人にもいろいろな種類があって、許容範囲の狭い人には何を出してもなりきれないと思う。そういう人に対してなりきれるようにしなければならない。要するに、教育なので、ゲームはゲーマーが30秒しかもたないのなら、その30秒に合わせなければいけない世界。教育では、学習者を変えなければならない。もしなりきれない人がいたら、なりきれるための方法を教えてあげなければならない。なりきれたほうがハッピーになると教える。シナリオを面白くするなどの工夫は必要であると思うが、他方で自分との距離感をどういう風に感じて、どういうメリットがあるから多少変なシナリオでもなりきったほうがそこから得るものが多いということを教えなければならない。同じ話を聞いても、僕の話を面白いと思ってくれる人と、面白くないと思う人もいる。面白くないと感じる人にも様々いて、僕とその人がミスマッチであるかもしれないし、そもそも話を聞いている人自身が誰の話を聞いてもつまらないと思う人かもしれない。そういう意味でもとても難しい。
藤本:なりきる問題は学習とゲームとでは話が違ってくるところで面白い。鈴木先生は「自分の中で関連性が深くないとなりきれない」という話だったと思うが、ゲームの中だと、例えばそれが深すぎると、ゲームとしてやりきれないこともある。例えばコンビニ経営やレストラン経営のゲームなどで人気のものも多くある。でも、実際にそういう仕事をしている人にやってもらうと「楽しめない」と言われる。なぜかと聞いたら「まるで仕事をしているみたいなので、ゲームでわざわざやりたくない」と言われてしまう。自分と関係のないところで楽しみたいのに「自分の日常が入ってくると嫌だな」「別のものになりきりたいのに」という、ユーザーを主体として考えた際のニーズの違いがあると、今までのお話を聞いて思った。
鈴木:レポートの課題は同じだが、文脈の中で書く傾向が増えた。また、レポートの質は上がった。あとみんながついてくるようになり、途中でやめる人間が減った。ストーリーを読むのに時間がかかることを考えると、やることが多くて大変ではある。
一方で「こんなもんか」と普通の授業に戻る人もいる。普通の授業もあるので、ストーリーのほうを強制的にしなければならないというわけではない。
竹田:本来は1から作るほうがいいと思う。学術研究でご協力させていただいているという話をしたが、学校で試させてもらったことがある。その時は、まずこの「大航海時代」で遊んでもらった。一度、授業前にこのゲームで遊んでもらってから授業を受けるグループと、授業前にゲームをしないで授業を受けるグループの比較を行った。すると前者のほうが興味を持って授業を受けるようになり、学習への入り方、覚え方に差があるという効果がでた。補助教材としては有効かと思うので、わざわざ中身を作り変えなくても使い方次第だと思う。
藤本:いろいろな課題があると感じている。ゲーム自体がすごくよくできているので、現場で使ってみたらどうかという話になる。ただ、授業の時間や学校のカリキュラムの中で使うとしたら、ネットワーク環境やパソコンのスペックなど、利用する環境やカリキュラムの問題、先生のスキルの問題、様々な問題が出てくる。従来の学校の中に、うまくこのようなゲームを持っていくことは非常に困難だと感じた。そこで、どういった点を改善していけばいいかという取り組みがされている。例えば韓国。モンスターを倒すなどの教育と関連しない要素を全て取り除いて、学習・他の人達と交流しながら何か他の作業を一緒にする中で、何か問題解決をする。従来のゲームとはかけ離れると思う。
藤本:先ほど竹田さんから「史実なのだけどこれはつまらない」というものを削ぎ落して脚色を加えるという話があった。鈴木先生も「二次方程式を教える」というゴールを設定すると面白くないので、教えたいことを自然と使わないといけないような状況を、シナリオの中に落としこむという話だった。つまり「どこを切るか」「ストーリーにくるむか」という捉え方の違いだとと思う。竹田さんから史実でこれは入れられないから削った、という話が聞けたほうがいいかもしれない。
竹田:「リアルじゃない」という言葉には様々な意味がある。リアルというものを考えると、例えばゲーム上で「海を航海するのに87日も航海するのか」という話になってくる。海賊と戦うとなったときに、その人にとっては1回会えば満足だと思うのだが、現実は多くの海賊と出会い戦っていると思う。リアルに近づけるとなると何度も海賊と出会うことになって、ゲームにもならない。そういう意味ではリアルと言いながらも捨てている部分は多い。元にする設定が、歴史の中にあるというところから引き出してくるのが原則。脚色の仕方に創作が入ってくるのではないか。
竹田:例えば5:5と言ってしまえば史実をベースとしているゲームと言えないと思うし、9:1だと「シミュレーションゲーム」でなくて「シミュレーター」になってしまうのかなと思う。しかし具体的な数字で表せる割合でなく、感覚的なものだと思う。
鈴木:うちの大学院は社会人中心の大学院なので、あまり時間をかけたくないと思っている人が多い。でも、ゲームって早く終わってしまったらつまらないと思うので、相当違うのだと思う。つまりゲームというものはできるだけ長く楽しみたいものだが、しかしうちの大学院生は早く終わらせたいと思っている。
「リアル」といえば、例えば勉強したことが世の中に役に立つということだ。子どもはなんのために学ぶのかということが見えていないと、リアルさを感じない。有名な学者がある説を唱えてもそれは「事実」であり、それを学んで何の意味があるのかと子どもは感じる。つまり「何を学んでいるか」「どういう題材を選んでいるのか」ということのほうが重要じゃないかと思う。実践的でないと楽しめないということはわかるが、うちの学生は楽しむために大学院に来ているわけではない。
鈴木:ストーリーが書けないとだめだけど、ストーリーが書けるものならばジャンルにこだわらないでいいのでは。学校のカリキュラムに乗っかるものは、誰かが関与した物語が語れるものなので、それなりにストーリーが書けるはずだと思う。例えばSCCで言えば、古代西洋美術史を教える際に、「レンブラントを探せ」というシナリオで、絵画を鑑定する人間がどういうものを手がかりにその絵を商品化しているか、という切り口で古代美術史を教えるような授業にしたなどがある。ストーリーが描き難い何かを考えるのは難しいと思うが、ゲームを作っている人からするとどうだろう。
竹田:おっしゃるとおり、工夫次第だと思う。作りやすいものには人が殺到するので、だんだんニッチなところにいくのではないか。そういう意味でどんどん開拓されていくと思う。
藤本:学校のペーパーテストで問われるようなことで、教える側も学ぶ側もそういうものだと思っているものについては、ストーリーわざわざ組み込む必要を感じてもらえないので難しいと思う。
鈴木:熊本大学でのSCCは独立大学院。何も無いところからスタートしたので行ないやすかった。何を始めるにも反対する人がいて、足をひっぱるということがある。変えるよりは、新しいものを作るほうが易しい。タイミングとしては、困った時のほうが人間変わると言われているので、導入先の学校や大学が困った時を狙うといいのでは。
竹田:一番苦労している点。どこの業界もそうだと思うが、昔は「自分で盗め」という雰囲気があった。かつてはもともと興味のある人が入社してという感じだったので、ほっといても自分で成り上がってくるという感じだった。ゲーム業界が安定業界となると、サラリーマン化してくる。
例えば、今はジョブローテーションを行ない、社員に会社内の色々な部分を見せている。また、大きなプロジェクトばかりを行なっていると全体を設計するという経験ができないので、小さいものでもいいのでひとつ作らせるということもしている。会社は教育にお金をかけられないところもあるが、入ってきた人にはまずは1ヶ月課題を与えるなどして、新入社員教育などを考えていかなければと思っている。そういう意味でも、OJTという観点から、外部から講師を招いたり、研修カリキュラムも行なっている。
鈴木:教育を担当している人は、どうしてそうやって教えているんですか?と聞かれたら、自分がそう教わったからと答えると思う。なので、SCCを体験させたり、それと同じようなものを作らせてみたりする。そして、その体験からストーリーを絡めたソリューションをどうするかが提案できるようになるのだと思う。SCCの初年度の体験者の中で、修士論文でSCCを扱った人が多かった。恐らく自分たちが学習者の立場でSCCを体験しなかったら、SCCの論文を書く学生は出てこなかったと思う。私自身、何よりシャンクの教材を見て、すごいと思ったから今これを行なっている。
藤本:従来の学校の授業が聞かせるばかりで嫌だという気持ちから、この研究に入ってきたところもある。現在教える大学の授業では、役に立つ具体的なスキルを習熟させるような小さな課題をたくさん行わせて必要な経験を積ませることを大事にしている。シナリオを書かせるのならば、小さいものでもいくつでもシナリオを書かせてアウトプットさせるスタイルで授業を構成している。
高橋(司会):3人に共通するのは経験や体験を重視しているところかと思う。
竹田:ARはゲーム・エンターテインメントではよく使われているのでポイントにはなってくると思う。エンターテイメントの中にARをどう仕掛けていこうかという動きはある。例えばARで出てきたものを、実際に見に行くなどという応用はきくのではないかと思う。
竹田:「シナリオ」については、本が出ている分だけいろいろな方法があると思うので、知りたいのであれば本を読んだほうがいいと思う。小説家だろうが、漫画家だろうが、みなさん「面白さ」を追い求めていると思う。
竹田:ゲームの場合はユーザーからアンケートを取れたりできるので、客観的に見ることはできる。数値的にこうだというのはでないが、データを取ろうと思えば取れるので、プレイヤーの嗜好をデータに取って分析している。
竹田:その傾向は海外だと強い。韓国・中国は、日本と違ってパッケージ型のテレビゲームがなかったため、ゲームといえばオンラインゲームから始まった。また、はまってしまう人は年齢が低い人が多い。この2カ国は、法律で縛っている。何歳以下の人だと、1日何時間以下しかゲームをしてはいけないというルール。ディベロッパーも、そのようなルールを踏まえて、ゲームを開発しなければならなくなっている。 また、中国などはオンラインゲームをする際に実名で登録しなければならない。規定以上ゲームを続けたい人は身分証明書の番号を入れないといけないなどの対応がなされている。日本も将来的にそうなるかもしれない。
鈴木:学習とゲームの違いを改めて感じて、ぼくも少しはゲームをやってみなければと思った。(笑)
竹田:教育とゲームという関係性は、何かキーポイントになるのではと思った。ゲームで歴史を学んで人生が変わった口なので、ゲームで教育ということをもう少し考えてみたいと思う。歴史とゲームは相性がいいと思う。それぞれの違いはあるので、どう組み合わせていけば人は幸せになるだろうかと考えた。
藤本:お二人がいい話題を提供してくださり、実りがあったと思う。「ゲーム」でどうやって「従来の学校の教育」をよくするか、という観点で見ると難しいと思う。学校では「これを学ばなければいけない」というものがあるので、柔軟さや自由度や制約が出てきてしまう。この点をどう乗り越えたらいいかということが今後の課題として見えてきた。学習側の理論や開発のフレームワークはできてきていると思うし、今後ゲームと「教育」は、もっと融合して近づいていくだろう。ゲームでやってきたことが世の中のためになる時代がくると感じた。
(この公開研究会レポートは当日の記録をもとにベネッセ先端教育技術学講座で作成したものです。)
BEAT(東京大学情報学環ベネッセ先端教育技術学講座)では、2011年度第2回 BEAT Semina.「楽しさと学びを融合するシナリオデザイン」を9月3日(土曜日)に開催致します。
学習環境のデザインにおいて、学習者の意欲を高め、学習活動に引き込む手法はこれまでにもさまざまな形で提案されています。
ユーザーを活動に引き込むという観点からは、デジタルゲーム開発で取り組まれている、楽しさを生み出す世界観やコンテンツデザインの手法は独自の発展を続けています。
今回のBEATセミナーでは、コーエーテクモゲームスで歴史ゲームをプロデュースされている竹田智一さんと、eラーニング教材開発の専門家、熊本大学の鈴木克明さんにお越しいただき、ユーザーの活動を促進する環境デザインについて議論します。
みなさまのご参加をお待ちしております。