今年度のBEAT Seminarでは、歴史的に著名なマルチメディア教材のレビューを行っていく予定です。第5回である今回は、メディア教育開発センター助手・BEATアソシエイツの西森年寿氏により、シミュレーションの教育利用に関するレビューが行われました。
シミュレーションとは、「実際に行うことが困難、不可能、または危険である実験に対して小規模なモデルや模型やコンピューターによる計算から模擬的に実験をする」(Wikipedia)ものである。「地球シミュレータ」による数十年後の地球の気候の変化の予測などが、代表的なシミュレーションの例であろう。シミュレーションはこうした模擬実験・予測等のツールとして一般に認知されているわけであるが、教育でのコンピュータ活用という文脈では、シミュレーションの持つ教育的効果が着目されてきた歴史がある。
教育工学事典によれば、訓練支援、物理の学習、科学の学習、ゲーム、電気・電子回路、マイクロワールド、語学学習などにおいてシミュレーションが用いられている。シミュレーションによって学習者は、手順の学習、危険な体験、違った視点での物の見方、計算の結果、規則などを得ることができるとされる。
Interactive Physicsは物理を学習する上で効果的なシミュレーションを作成できるツールである。鉛直投げ上げや、振り子など物理で馴染みのある現象のシミュレーションを、マウス操作だけで簡単に行うことができる。例えば、「動いている物体は、運動している向きの力を持っている」という考えを持っている学習者が、Interactive Physicsを用いて、空中で物体を手放した時の動きや、物体を投げあげた時の動きなどについて重さや初速を変化させる試行や、自らで特定の運動のデモを作成することを通して、科学的に正しい説明ができるようになった例が報告されている。
地球の様々な地点・時間における天体をシミュレーションすることができるシミュレータである。地球の違った場所への移動、現在とは異なった時間帯への移動といった、現実世界では簡単に変えることができないパラメータを、コンピュータ上でシミュレーションし、変化させることができる。例えば、このような天文シミュレーションを利用し、同じ時間における、地球上の様々な地点からの月の見え方を比較することによって、月の満ち欠けについて観察や発見を通した学習ができる。
作図するためのツールは多く存在するが、今回デモが行われたのは「Geometer's Sketchpad」である。Geometer's Sketchpadでは、算数や数学の幾何学で用いられる図形を簡単に描くことができる。また、それに角の二等分線や角度を表示させたまま、図形を変形することができ、図形の変化とそれに関する値の変化をリアルタイムに観察することができる。赤堀(「学校教育とコンピュータ」)は、作図ツールを使った自由な探究を通して、図形の性質について発見させるという授業の例を紹介している。
SimCityはプレイヤーが市長となり、発電所、警察、学校などを配置して人口を増やしたり、税金を設定して市の予算を得たりすることをシミュレーションする、街づくりシミュレータである。SimCityは単純に娯楽のためのゲームという認識もあるが、これを教育に活用するための「Teacher's Guide」というものが存在する。たとえば、発電所の配置を考えることで、エネルギー問題について使用者に考えさせるといったガイダンスが掲載されている。
ここまで見てきたようにシミュレーションは非常に幅をもったジャンルである。例えば、教育工学事典ではタンゼーによる分類が紹介されている。タンゼーによれば、シミュレーションは以下の3つの要素で整理できる。
ここで、会場に対して次のような問題が提示された。これは佐伯胖「コンピュータと教育」で紹介されているある中学校の授業で取り上げられた問題である。
この問に対して、
2+5+8=15
15は3で割り切れるから
258は3で割り切れる
という説明が一般的になされるが、それはなぜか?
258=100×2+10×5+8
258=(99+1)×2+(9+1)×5+8
258=99×2+9×5+(2+5+8)
99と9は3の倍数であるから、「99×2+9×5」の部分は確実に3で割ることができ、残りの「2+5+8」が3の倍数であるかが、258が3で割り切れるかにとって問題となる。「2+5+8」=15であり、3で割り切れるので258は3で割り切ることができる。
これが解答であるが、この解答を見た子どもたちが疑問に思うのは、理屈はわかるが「99+1」という部分がなぜ思いつくのか、ということである。
そもそも3で割り切れることというのは、3人で分けたらあまりが出ないということである。100個の物があったとして3人で均等に分けられるのは99個までである。残りの1個はあまってしまう。つまり200個の場合はあまりが2個出る。10個の場合も同様に9個までで1個あまり、50個の場合は5個あまりが出る。このような3人で分けられなかったあまりと、1の位をあわせたものが3人で分けられるかを検討すること、すなわち「2+5+8」が3人で分けられるかを検討することによって、答えを導くことができる。
このような理解にいたるまでの過程において、学習者の手元には様々な「略図」が描かれる。シミュレーションと学習の接点を考える上で、この略図がキーとなる。
シミュレーションの利用は、学習にとってどのような意味を持つのだろうか。
1980年代、コースウェアなどのコンピュータの利用が「教授のための道具」「教師の代役」としてカテゴライズされその問題などが指摘された。これに対して、シミュレーションのようなコンピュータの利用は「学習のための道具」、「思考のための道具」であるとされ、学習者の自主的な探究活動を支援できる可能性を持つという点が評価された。
リフレッシュタイムで出題された問いの事例から、佐伯は学習における「略図」の重要性を主張している。解答の数式を見ただけで「2+5+8」が3で割り切れれば258が3で割り切れると言うことを理解できる人は、数式表現に親しんでいる人であって、普通の人はそのようなわけにはいかない。略図を描き、吟味することによって、初めて数式の意味が理解できる。佐伯は戸塚滝登氏の授業において、LOGOが子どもたちにとって略図として機能している点を指摘し、そこに教育におけるコンピュータ利用の可能性を見いだしている。学習者が問題解決や探究活動において、シミュレーションを用いて略図を描くことによって、深い概念理解へ導かれることが期待される。
また、赤堀は「学校教育とコンピュータ」の中で、シミュレーションによって下のようなプロセスを持つ帰納的学習が支援できると述べている。
よく挙げられる問題点として現実との乖離が挙げられる。現実と疑似体験の区別がつきにくくなり、逆に疑似体験を現実だと思いこむ可能性もある。これに対する対策としては、シミュレーションをより現実に近付ける、または現実との際を意識させつつシミュレーションを行うといったことが考えられる。
前半終了後、産業能率大学e-learning開発センター長の古賀暁彦氏と大阪大学大学教育実践センター助手の松河秀哉氏をパネラーに迎えラウンドテーブルが組まれ、ディスカッションや会場からの質問についての応答が行われました。
物理教育においてパラメータの値の変化による運動の変化などのシミュレーションは有効であると考えることはできるが、語学教育などの科学教育以外におけるシミュレーションのメリットはどのようなものであるか、という質問が会場から寄せられた。
古賀氏は、企業内教育で営業のシミュレーションなどが行われている実例があることを指摘した。しかしながら、文法などの一つの原理原則を教えるために、なぜシチュエーションを設定するといった面倒なことをしなくてはならないのか、という疑問があるのは事実であると述べた。
松河氏は、経済においても株価などのシミュレーションをしようとする試みはあるが、うまくいかないことを考えると、経済のような流動的なものをターゲットとする場合、モデル形成をするのが難しいのではないか、と指摘した。
山内氏からは、ジャーナリスト養成のためのシミュレーションの例示があった。たとえばジャーナリストを目指す学生が実際の火事の現場でレポートをするのは、危険であったり、現場に迷惑をかけたりといった問題があるが、それをシミュレーションで行う教育の例がある。また、再現が難しい状況を題材とする場合は、固定的な環境をコンピュータにシミュレートさせ、複雑な部分は教員や参加者が役割を負って複合的にシミュレーションを行うことになることが考えられると指摘した。
公式の意味をシミュレーションで略図を見ながら理解することは有効であると述べられたが、略図から公式を導き出すのは難しいのではないだろうか。学習の目標として概念化が挙げられると考えられるが、そもそも略図にすることに長けているツールがシミュレーションだとしたら、略図を概念化する段階でシミュレーションはあまり役に立たないのではないか、という疑問が寄せられた。
これに関して、西森氏は、作図ツールで挙げた事例のように、パラメータXとYにはある相関があるという前提を基に作図ツールにおいて図形を描いて、XとYを変化させながら観察することで、ある種の法則性を発見すること、ひいてはなんらかの概念獲得が促進されることは考えられると述べた。
そもそもリアルをバーチャルにするのがシミュレーションだとしたら、シミュレーションをリアルに近付けるのはナンセンスなのではないか。シミュレーションのおもしろみは、現実と違った設定だと現実とは違った世界ができあがることではないのか、という疑問が寄せられた。
これに関して、西森氏は、たとえばリアルな英会話を使えるエージェントがいたとして、そのエージェントを相手に会話することによって英語は上達するし、またコスト的にもメリットがあると想定されるため、決してリアルなシミュレーションを全否定することはできないと反論した。
このような状況に対し、山内氏は、概念化を目的とするならリアルなシミュレーションは意味がないかもしれないが、ある状況を学ぶことを目的とする場合、リアルな方が状況を設定しやすいと考えられるので、目的によってシミュレーションに対する考え方に差が出てくる、と指摘した。
また古賀氏は、戦略経営シミュレーションの例について述べた。戦略経営シミュレーションは5人程度の参加者それぞれに役割を与えて、経営のシミュレーションを行い、会社運営を学んでいくものであるが、もし設定をリアルにしてしまうとすぐに会社が倒産してしまい学習にならない。ここで学んで欲しいのは金銭の流れや、あるアクションに対してどのようなリアクションが起きるかということである。そのような目的のもとに行うシミュレーションでは、多少現実よりハードルを低くして学習効果の向上をねらうことがあると述べられた。
シミュレーションのツールを操作する場合、概念がないと操作ができないと思われる。たとえば、物理現象をシミュレートする場合、ある程度の物理概念の理解が必要になる。1990年代中盤にはそれを補おうとテンプレートの作成が盛んに行われたが、然したる成果は生まれなかった。シミュレーションツールは環境であって、教育的なメッセージを発していないと考えられるが、そのシミュレーションを子どもたちに、学習のツールであると理解させるにはどうしたらよいか、という疑問が山内氏から投げかけられた。
古賀氏は、シミュレーションを用いた教育においては、教師の能力の差が如実に表れるという体験について述べた。コンピュータを使った教育では質が一定に保たれると思われがちだが、教師が伝えたノウハウに対し、シミュレーションは客観的なリアクションを示すため、教師の能力がストレートに反映される。ノウハウとシミュレーションの結果が一致することは学習者にとって、学習の大きな動機になると考えられる。シミュレーションを効果的な学習のツールとして結びつけるのは、結局は教師の能力であると述べた。
西森氏は、テンプレートのような制限を設けると、教師による提示用のアニメーションと本質的に変わらないものになってしまうことを指摘した。これは、自由にパラメータを変更して見ることができるシミュレーションの特性を減じさせ、「学習の道具」でなく「教授のための道具」として利用することである。「教授のための道具」として利用することで、子どもたちに動機付けを行うことも大切であるが、そこではアニメーションだけが必要なのであり、結局自由度の高いシミュレーションのような道具は必要なくなる可能性が高いと述べた。また、例えばステラナビゲータは天文ファンの道具であるように、多くのシミュレーションツールは学校の中だけでなく、一般に利用されている知的活動の道具である。これは多くの子どもたちにあてはまるかどうかは難しいが、ツールのメニューの用語やヘルプの説明などに触れることを通して、学校の外にある知的な活動に誘われていくような効果もあるのではないかと述べた。
シミュレーションが大きなトピックであったのは90年代前半以前で、ネットワークの普及以前であるが、いまもしシミュレーションをネットワークと結びつけて新たなツールを考えるならどのようなアイデアがあるだろうか、という質問が寄せられた。
古賀氏は、先に述べた戦略経営シミュレーションにおいて、シミュレートされている会社同士をネットワークでつなぎ、会社を評価する株式市場を設けるというアイデアの存在について述べた。ただネットワークで様々な要因が絡み合いすぎると、学習のそもそもの目的が希薄化してしまう可能性について言及した。
西森氏と松河氏からは、両氏が実践したネットワークを利用した貿易のシミュレーションゲームについて紹介があった。この実践においては、そもそもゲームとして盛り上げるには参加者を長時間拘束する必要があったという経験について述べられた。
最後に山内氏は、今後のシミュレーションの展望について述べた。2005年3月のBEATセミナーにおいて発表されたMITの「TEAL」は現実世界で目に見える現象と、現実世界では目に見えない力の動きなどを仮想的に抱き合わせる新しいタイプの物理学のシミュレーションであると述べた。また、同時に発表された「NESTA Futurelab」の「Racing Academy」はレーシングカーのパラメータの設定を通して物理を学ぶためのシミュレータであるが、子どもたちが設定するに当たり、本物の自動車整備士からネットワークを通じてアドバイスがもらえるといった、ネットワークの活用を行っていることを紹介した。
コンピューティングパワーが低コスト化していて、グリッド・コンピューティングが一般化すればリアルなシミュレーションは近い将来可能になり、そのようなリアルなシミュレーションにどのような学習のためのインタフェースを適用するかが、今後の課題となるだろうと述べた。そして、そのような課題を解くヒントは「TEAL」や「Racing Academy」のような現実世界との接続への注力にあることを指摘した。
今回のセミナーでは、シミュレーションのツールのレビューが行われましたが、シミュレーションのツールにおいてリアルさを単に追求しすぎると、学習者の目的がどこにあるのかが希薄になったり、またシミュレーションの精度が低すぎると、現実の現象とはかけ離れたものになってしまうという難しさがあることを理解することができました。最後の山内氏の指摘にもあったように、シミュレーションを閉じられた環境の中で行うだけではなく、外部と接続することによりリアルさと学習目的の明確化が両立されていくのではないかと実感しました。