UTalk / 大学ってなに?

吉見 俊哉

情報学環・教授

第22回

大学ってなに?

メディア学者が考える知識の未来

 UTalkのコンセプトのひとつに、「大学と社会の架け橋」というアイデアがあります。大学を広く社会に対して開いていく窓口になろうというものです。  しかし、では、「大学」というのはそもそも何なのでしょうか?  勉強をするところ、研究をするところ、いろいろ言い方はありそうですが、どうも、「知識」に関わる場所であることは間違いなさそうです。  12月のUTalkでは、メディア研究者であり、UTalkを企画している大学院情報学環の前学環長でもある、吉見俊哉さん(情報学環・教授)に、「知識」をキーワードにして、大学とは何か、その誕生と変容、新たなコンセプトが模索されている現在についてお話を伺います。

 今回のUTalkは、東京大学大学院情報学環教授の吉見俊哉さんをゲストにお迎えしました。吉見さんは、社会学の視点から都市と国家や権力、 メディアの関係について研究をされています。今回は、「知識」をキーワードにしながら、大学とは何か、そしてこれからどうなっていくのかについて、歴史を 踏まえてお話ししていただきました。

 まずは、吉見さんの歴史からお話が始まりました。吉見さんは1957年の東京生まれ。原風景のない最初の世代としてその意義を問うことを問題意識 に研究を始めたそうです。学生時代には演劇に没頭。人が集まり、出会う場からドラマが生れていく、そしてそこに人が巻き込まれていく様子に興味を持ったそ うです。その様子をどのように理論化・言語化できるのかを考えた結果、社会学へと行き着いたとのことでした。
 2000年代、大学激動の時代に情報学環の長といった役職に就くなど、大学の運営や制度作りに関わって来られました。そこで、自分のやっているこ とは何なのだろう、大学とは何なのだろう、という疑問を持たれたそうです。メディア学者である吉見さんは現在「大学とはメディアである」という考えにたど り着いています。なぜ、そのような考え方に至ったのでしょうか。

 現在、いわゆる「事業仕分け」を発端として、大学をとりまく環境にも変化が予想され、ノーベル賞受賞者や旧七帝大の学長が声明を出すなど、大きな 動きが生れています。しかし、世間の反応は冷ややかなのではないか、というのが吉見さんの分析。大学入試は重要視され、ものすごいエネルギーが注ぎ込まれ ているものの、そこでの教育はそれほど重要視されてはいないのではないか、ということです。それは、高等教育における公費負担の国際比較を見ても明らか。 日本のそれは、他国と比べて圧倒的に低いということを実際にグラフを見ながら説明していただきました。それは、大学の意義が明確化されていないことに関係 していると吉見さんは言います。
 
 にも関わらず、今、大学は爆発的に増加しています。20世紀初頭までは世界でも数百しかなかった、大学が今では世界で一万に迫ろうかと勢いです。吉見さんは、この大学の猛繁殖について、ぱたりと絶滅する前の生物が猛繁殖している様子を思わせると語ります。
 今日の大学の在り方を理解するには、その歴史を見る必要があります。日本には、3回大学の変革期がありました。一度目は1949年。占領軍によって、い わゆる「複線型」の高等教育の仕組みが見直され、様々な高等教育機関が「大学」にまとめられました。これにより大学の数が大きく増え、大学の概念が変化し ました。次は、1968年。大学紛争のときには「大学とは何か」をめぐって、主に学生の側から問い直しが行われました。その後、1990年代からの文部省 による大学改革が進み、最近では2004年にいわゆる大学の「法人化」が行われました。これが三度目の変革期です。このように日本においても大学という概 念は変化と問い直しの連続の中にあったとのことです。
 世界的な視野で見てみるとどうでしょうか。吉見さんによれば、大学は2度誕生しました。最初は中世ヨーロッパ。都市間交易の発達とネットワークの 成立、そして教師・学生のギルドが教皇や皇帝をはじめとした権力乱立状態を戦略的に利用したことで成立していきます。しかし、そうした大学は、研究機関と しては大きな意味を持たず、貴族などエリートの教育機関になっていたそうです。さらに、印刷革命が文字による知識の流通を可能にし、中世の後半から近世ま で、哲学や科学における大きな業績は、どれも大学の外でなされました。こうして、大学はその地位を低下させたのです。これが一度目の大学の死でした。それ が、19世紀初頭のドイツで、先端的な研究と学生の教育を「研究室」で同時に行うという、研究型大学として復活します。それを見たアメリカで、当時は今で 言う高校にあたる存在であった "college" の「上げ底」戦略として、大学院重点化という形で模倣がなされます。そして、それは世界へと広まっていったのです。
 そして、今、その19世紀初頭に生まれた研究型大学が危機に瀕していると吉見さんは言います。大学的権威に対して、Wikipediaや Googleのようなデジタルメディアが登場したためです。大学の先生の言うことだから信用できる、ということは通用しなくなっているのではないか。そこ で、解決策として中世の大学を参考にするのはどうだろうか、と吉見さんは主張します。中世の大学成立に大きく関係した都市間のネットワークや権力対立と同 様に、現在では地球規模のネットワークが存在し、また権力についても多元化が起こっているためということでした。

 刺激的なテーマ、参加者からの質問も尽きませんでした。「国民国家的な大学からグローバルな大学になった時に国家はお金を出すべきなのか?」「大 学と出版の関係は紙媒体でなくてはいけないのか」「大学の意義を考える以前の段階で志望者が集まらないような大学は淘汰されてしまっていいのか」「大学の 意義は誰が決められるのか」ひとつひとつの質問に丁寧に答えていた吉見さんが印象的でした。時間が過ぎても、話の輪は崩れず、皆さん熱心に話していらっ しゃいました。
 普段、大学生として漫然と生活していると見えなくなってしまいがちな、「大学」に改めて触れ、大学とは何だろう、と考えられる貴重な一時となりました。寒空の下熱い議論を繰り広げてくださった吉見さん、参加者の皆様、ありがとうございました。

[アシスタント:神足祐太郎]